不死と時間遡行
全身が痛い。今度こそまともに動けない。何も見えず、ただ寒さに震えた。
「ははは。さっきぶりだな。」
「うるせーよ。」
教会の地下室でタクミと再会した。当然のように司祭には殴られた。云われない暴力にはこの数時間でもう慣れたつもりだったが、気絶なんてそう何回も味わいたいものではない。鼻の奥に鉄の味を思い出す。
「あと少しで溺れるだろ。水位がほぼ首の下だ。」
「いや、浸水自体はもう止まった。死ぬとしたら寒さでだな。」
笑えない冗談だ。夜の湖はとても冷えている。が、低体温症に怯えている場合ではない。
「タクミ、ここから逃げるぞ。」
「は?どうやって?」
「一緒にあの板を退けよう。死ぬ気で。さもないと死ぬ。」
どっちにしろ死ぬじゃんと悪態をつくタクミと一緒に板へ肩を押し当てた。全身の筋肉を全て使い押し上げる。
やはり開かない。とても人の扱うことのできる重さではない。真っ暗なのに目の前がちかちかする。
すると遠くで何か轟音が響いた。原因は知っている。副隊長の行使した魔術に違いない。この教会にもその圧倒的破壊力が地揺れとして伝わる。
「おい、なんだこれ。」
「何も考えるな!今はただ、押せー!!!!」
何度も必死に押し上げる。全身の痛みはもう感じなかった。数分も経てば一帯が消し飛ぶだろう。それに比べればなんとも無かった。
だが限界は近付いていた。もう寒さでまともに力が入らない。少し眠さも感じる。次の一回で倒れるかもしれない。
すると、肩に乗っていた重さが無くなった。
「ちっ。うるっさいのう。ゴミめら。下、穴が空いとるじゃろう。逃げられでもしたら困る。場所を移すぞ。」
突然司祭が板を片腕で持ち上げ、俺たちの首根っこを掴み引っ張り上げた。
「あああ!?」
素っ頓狂な声をあげて俺たちは引きずられる。そして教会の入り口近くに拘束された。やっとまた外に出られた。この機会を逃すわけにはいかない。
「司祭様!ここは危険です!逃げてください!」
「あ?黙らんか。貴様ら羽虫から逃げる阿呆がどこにいる。」
「何をーーーーー」
空の向こうで一層星が輝いた。間違いない、あの輝きがここに落ちる。そう直感した。青い光が次第に大きくなる。
司祭は濃くなる影に気づきゆっくり振り返る。恐らく俺たちと同じ光を見上げた。
「騒がしい夜じゃのう。貴様らなぞ、滅びればいいものを。どうして儂の前に現れるのか...」
やれやれ参った、と司祭は教会の鉄扉に手を掛けた。彼の身長より二倍は大きい。分厚い鉄の板だ。
それを、彼は取り外し手で丸める。新聞紙を丸めるように簡単に。
そして出来上がった鉄の棍棒を軽く振り、よしと一言呟いた。
そこからは何も見えていないし聞こえもしなかったが、何か二つの破壊力がぶつかり合ったのはわかった。手を拘束されていなかったら湖にまで吹き飛んでいただろう衝撃波。後ろにいるタクミもあまりの事態に涙目を晒している。
「我が膂力は星々に均衡する。」
司祭は降る星を打ち返した。
間違いなく人を辞めている。
危機は危機でなくなった。それならこちらも本当の最後の可能性に賭けよう。止まらない耳鳴りを堪え、訴える。
「司祭様。私は王国の不死管理局から来ました。拘束を解いてください。」
「そんなもんは知らん。穴ぁ塞いでくるから大人しく待っとれ。」
「ラキオラ局長から伝言があります!」
「何ぃ?ラキオラぁ?」
足を止めた。どうやら局長と司祭は知り合いのようだ。どこか雰囲気が似ていたのでもしかしたら、と思ったが。とにかく嘘でもいいからここから逃げたい。
「ラキオラの奴がお前らの頭か?」
「は、はい。」
「それじゃさっきのあいつはレキオラだったか。」
呆けた顔をして司祭が聞く。はい、と肯定すると嬉しそうにがははと笑った。
「あいつになら任せてもいいだろう。俺の自慢の息子だ。だが決して目を離すなよ。ラキオラんとこの不死者ぁ。」
司祭が何かをしたのか手枷が崩れ落ち、拘束が解けた。
さっさと失せろと顎で示したので、俺たちはその船へ急ぐ。何とか、危機は脱したようだ。
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目を覚ます。いつもの朝だ。あれから1週間が経過した。独断専行には隊長から何回もゲンコツをもらったが、事情を説明すると少し考えた素振りを見せた後許してくれた。ラキオラ局長も対象の確保に満足していた。タクミのしでかした事柄についての釈明もした。局長は笑顔を崩さずに話を聞いてくれたが、実際どうなったのかはまだ知らされていない。
あれからタクミには会えていない。この広い基地の中のどこかにいるのだろうが、一度も会えていない。ジョン先輩には少し距離を置かれた気がするし、副隊長も元気だが少し素っ気ない。
いつものように図書室で勉強していると、隊長がやってきて紙を一枚差し出した。
「イツキ、それ片付けてからこの部屋に来い。なるべく急いでな。」
地下1階へは初めて踏み入る。地下は特別照明が少なく何処となく怖かったから立ち入れずにいた。
指定された部屋に入るとラキオラ局長・レキオラ隊長・タクミがいる。タクミは部屋の真ん中の椅子に座っていた。二人はその前後に立っている。
隊長はナイフを持っている。そしてそのナイフの柄を俺に向ける。受け取る。
「来たか。イツキ、こいつを殺せ。」
そう短く言い放った。
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曰く、「不死者は自分を殺した相手・自分が殺した相手の肉体を乗っ取る」
曰く、「元の持ち主の記憶もまた引き継がれる。」
曰く、「お前がタクミと称する人物は相当前に殺されている。こいつはその記憶を奪ってお前の幼馴染を演じた見ず知らずの他人だ。」
隊長は続ける。
「こいつは俺たちと敵対する組織の情報を握っている。お前が殺し、肉体と記憶を奪え。例の契約は同じ異世界人には無効だからな。躊躇うなよ。」
「は?」
理解はできた。しかし俺が殺す?人を?隊長がやればいいじゃないか。
「俺は不死者ではない。こいつを殺せば俺はこいつになる。」
心を読むかのように隊長は俺の目を見て答えた。
「イツキ君。我々も君も薄情ではない。もし彼が君の言うタクミ君のままであったなら保護し共に歩んだだろう。だが彼はダメだ。不幸だよ。ああ、ただ不幸なんだよ。」
「でも、」「私がこれから彼に話すのは組織の機密だ。知ることが許されているのは私と、これから死ぬ者に限られている。」
俺の言葉を局長が遮る。口をタクミの耳元へ近付け、何かを呟いた。
「ッ!てめぇッ!ふざけるなぁぁぁッっ!それを知りながらッッ!ああああああーーーーーーッッっ!!!!!」
俯いていたタクミが暴れ出す。
「イツキ君。君の記憶にあるタクミ君はこんなふうに取り乱すかな?」
タクミは怒鳴るのが苦手だった。少なくとも、見たことのない表情と聞いたことのない声。
「さて、そろそろ分かったかな?イツキ君。仕事だよ。」
局長が革手袋を着けた手を鳴らす。
持たされたナイフは大振りでとても重い。気を抜いたら取り落としそうだ。それに人を刺すなんて出来っこない。何か別の手段はないのか。尋問だってそうだ。もっと時間をかければなんとか殺す必要なんて無いはずだ。
革手袋を着けた手が鳴る。
頭の中が真っ白になる。
どうして幼馴染の首にナイフを当てているんだ。どうして俺は腕に力を込めるんだ。
首に刃を入れると血が出た。指に付いた。暖かい。
更に押し込むともっと血が溢れた。床にまで溢れる。
服にも跳ねた。洗濯で取れるだろうか。
タクミは震えている。足をバタつかせ、頭を振り回す。でもナイフはそのままだ。
ナイフは真っ赤に染まっている。前を見ると局長がいた。俺をじっと見ている。後ろの隊長も静かだ。
すると頭がクリアになる。睡眠から覚醒した時のような明瞭さ。
タクミが静かになった。体が自由になる。事態を前に、俺は前に跳ねた。
と同時に視界が暗転する。
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「こいつは危険だ。」
「そう言うな。お前の部下だろう。」
「嫌な予感がしたんだ。こいつは良くない未来を運んでくる。」
床には死体が二つ。男は床に落ちたナイフを腰の鞘へ戻した。そして二人は退室する。死体に用事はない。
この日、中村樹は死んだ。契約は正しく作動した。
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「はじめまして。異世界へようこそ。どうぞ、お掛けください。」
黒を基調とした執務室だ。壮年の男性が書類が広げられた机に肘をついている。
「は?え?」
知らない声だ。俺の声ではない。記憶も、俺以外のものがある。背も少し高くなった。全てを理解する。と同時に謎が浮かぶ。
中村樹の2度目の人生がこの日、始まった。
第一章の主な謎一覧
- 双子の星の祝福とは?
- 地下室で触れた不思議感触の物体の正体は?
- 地下室で拾った物体の正体は?
- タクミの不死性はどうして低いのか?
- 双子はどうして姉妹生き残っているのか?
- 拠点に窓が無い理由は?
- ジョン先輩はどうしてタクミを前に態度を変えなかったのか?どうして任務後そっけなくなったのか?
- ラキオラ・レキオラ・メオ司祭の能力は?
- どうして異世界にマニュアル車が?
- 組織の機密とは?