浸水した地下室
ミアがタクミを追ってきたのだろうか。しかし表情は不安そのもの。当然か、男が三人のたうち回っている。
「お、おお。ミア君。どうしたんじゃ?流れ星の綺麗な夜じゃのう。はやくお休み。」
俯いて陰ったままだった司祭が初めて顔を上げた。
「その人たち悪い人じゃありません!いじめないで!」
「...怖いものを見せてすまんのう、でもこいつらはミア君やメア君が悲しい思いをする原因になるかもしれないんじゃ。危ないから今夜は家の中から出ないでおくれ。」
「嘘!その人たち怪我してたんだもん!アクレア様が皆に優しくしなさいって言ったって教典にも書いてた!司祭様が教えてくれたことだよ!?」
「ミア君の言う通りじゃ。儂が間違っておった。だから、戻りなさい。彼らは教会で手当てしよう。魔獣が出ているのは本当じゃ。戸締りはしっかりとな。」
司祭は嘘のような柔和な笑顔を浮かべ、涙目のミアに伝えた。助かったのだろうか。
彼女は司祭の表情に納得したのか、約束だよ、と一言伝え立ち去った。
場に再び沈黙が流れる。
「さて、不死者共。貴様らクズがこの地を踏み穢す今、我慢ならん。存在の一切を消し飛ばす。」
「約束!ミアとの約束はどうしたんだ!俺たちだって殴られると痛いんだよ!」
「なに、先ほどの一発は挨拶だ。殺すわけがないだろう。貴様らのこれからの一生を暗闇に閉じ込める。」
ダメだ。話が通じない。ジョン先輩もタクミも動けないでいる。どうすれば。
「もう十分だ。それ以上空気を穢すな。眠れ。願わくば永遠に。」
司祭が消えた。同時に俺の意識が、消える。
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「ぶはあッ!」
水!?背中もひどく痛む。
「Ahh...it's awful...」
ジョン先輩もタクミもいた。腰まで水に浸かっている。階段を転がり落ちたようだ。階段の上は重い板で蓋されている。出られそうもない。
「畜生、出戻りじゃねえか...」
タクミがぼやく。ここは教会の地下室なのだろう。水浸しなのは隊長との戦闘によるものか。壁から水が漏れ出している。嫌な未来を想像してしまう。暗闇の中、冷えた湖水が体温を奪い続ける。
「タクミ、ここに囚われていたんだろ?出口はないのか?」
「あるわけねえだろ。1年だぞ。出口なんてどこにもない。あの司祭に認知された時点で詰んでいたんだ。」
「If the basement wall has crumbled, we might be able to get out through there.」
「ん、ああ。You're right. I'll take a dive and check it out.」
タクミは学校の成績が良かったな。今度時間があれば教えてもらいたい。ジェスチャーでなんとなく察する。
「イツキ、浸水部分の壁に穴が開いている可能性がある。人が通り抜けられる大きさかどうか見てくる。」
寒すぎるため考えもしなかった。1年もここにいたタクミならある程度暗闇でも動き回れるだろう。
腰まであった水位はへその上あたりにまで上っている。かなり早いペースだ。このままなら数時間後には溺れてしまう。
「くそっ。想定外だ。穴は確かに開いていた。しかし何か柔らかいものが先を塞いでやがった。」
水の中へ潜っていたイツキが戻る。そして何かを手渡してきた。何か水気の多いスライムのような、ぶよぶよとした塊だ。気を抜くと指の間から零れ落ちそうな柔らかさ。これが腕が埋まるほどの量で壁となっているらしい。
「いっそ、その中を突っ切ってみるのもアリだな。で、元水泳部のイツキ君?準備は?」
「息止めが得意なんて言ったことないぞ。でもまあ次は俺か。穴はどれくらい行った先にある?」
具体的な道なりを聞いて、潜航する。服は邪魔なので脱ごうとしたが、瓦礫で怪我する可能性があるとやめさせられた。聞いた通りの場所に開いた穴に潜ると、確かに柔らかい壁があった。
石とその間に身をねじり込む。だめだ。身動きできなくなる。息ももう持たない。
ん?何かが手に触れた。
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「結構潜ったな。流石。」
息を整えながら答える。
「残念だが出口らしいものはなかった。水位もかなり上がったな...息苦しい」
「それに、上がまた騒がしくなってきたぞ。」
確かに建物自体が揺れている。ここ地下室にも揺れが伝わり、波が体を揺らす。足元がおぼつかないため踏ん張らないと転んでしまうだろう。
しばらくしてその揺れが収まった。同時に、
「Hey, rookies. Someone is opening it!」
ジョン先輩が恐らく上の板を指差す。こちらから開けようにもぴくりとも動かなかった金属の板がズれる。
「ようお前ら。指令無視たあいい度胸じゃねえか。それに、対象は健在だな。よしよし。」
「隊長ー!」
「感動の再開の暇はないぞ。司祭はすぐ戻ってくるはずだ。」
全員が教会へ出る。湖の中央は風を遮るものがなく、扉や窓から強めの風が吹き込んでいる。アクレア神の像に湖水で反射した月光が揺れている。すると隊長が走るのを止めた。
「早すぎるだろ...」
教会の入り口。鉄扉の向こうに司祭が立ちふさがる。隊長は笑いながらぼやいた。
「イツキ、ジョン。合図を出したら奥へ走れ。船で逃げろ。対象は"殺してでも"逃がすなよ。」
月明かりが司祭を見逃す。
「今ッ!」
隊長と司祭が激突する。背中に凄まじい戦闘の余波を感じながら三人で走った。振り返る余裕はない。想像もつかない強さを前に逃げることしかできない俺たちは全力で小舟を走らせた。
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村近くの岸にまで辿り着くと村の人たちに囲まれた。ジョン先輩が説得して集めたのだろう。しかし皆どこか怪訝な顔をしている。
「Sorry for causing trouble, everyone. The crisis is over. You can go back home now. Thank you for trusting me.」
「ジョンさん、それはよかったが、教会で何をしたんだ?それにそんなびしょ濡れで...何を見た?」
村長らしい老人が先輩に問う。様子がおかしい。怯えとほかの何かが混ざった眼差しだ。
「司祭様が言っていたよ。異端者が来た、と。それが君たちなんじゃないのか?答えてくれ。湖で何を見た?」
「I didn’t see anything. I was just pushed into the water by the priest.」
「異端だ。」
閉じた目を見開いて老人が短く発した言葉は一瞬で群衆に伝播する。全員の視線に敵意が混ざった。
明らかに危険だ。農夫が手に持った縄を前にしてこちらに一歩近付く。
「「逃げろ!!!」」
タクミと同時に叫び同時に走り出す。拠点のある北へ逃げるとマハルタ副隊長が危ない。南へ走り出した。それは偶然にもタクミとは真逆だった。
そして幸運にも村人に一瞬の混乱を生じさせた。走る。
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疲労でどうにかなりそうだった。背後には松明を掲げながらこちらを追う村人。捕まってどうなるかは自明だろう。これ以上痛い目に合うのはごめんだ。
すると、前に見える掘っ建て小屋の陰から声がした。よく見ると手を振っている。
間違いない、この小屋はあの双子の家だ。灯が消されているため気付かなかった。
「イツキさん!それとさっきの人!しばらくの間ここに隠れていて!!」
双子の姉ミアが俺と先輩を床下収納に押し込む。あり得ない姿勢で収納された。後ろからは村人の怒声が近づく。断る選択肢はなかった。
「ミア!メア!男が二人近くを通らなかったか!?正直に答えろ。」
「叔父さん、何なんですか...寝ていたんですけど...ふぁぁ...」
「嘘じゃないだろうな。貴様らを村に置いている恩を忘れるなよ。さもなくば...」
「本当ですよ。大体この家のどこに隠れる場所があるんですか。ほら。」
狭い小屋だ。ベットが二つと小さな炊事場が一つ。数年後には更に手狭になるだろう。叔父と呼ばれた人物は若干の疑いの色を残している。
「...それならいい。見かけたら教えろ。お前ら!もっと南だ!急げ!」
完全に足音が遠くなった。床板が軽く二度叩かれたので押し上げる。
「すみません急にこんなところに押し込んで。」
「いえ、本当にありがとうございました。おかげで助かりました。」
「イツキさんたちが何者なのかは知りません。でもはやくこの村から立ち去ることをお勧めします。」
深刻な表情を浮かべ、ミアはメアを見遣る。
「ここは双子村。何か、違和感を感じませんでしたか?」
「You sisters look so much alike. But there wasn’t a single pair of similar-looking brothers in the village.」
「はい。この村は双子の星に祝福されています。そして、呪いもまたそこにある。」
ミアは窓の向こうの湖へと視線を移す。その姿は何か人とは別のものを見つめているようで。
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荒々しく扉が叩かれ、開かれる。偉丈夫が床に影を落とした。
「おい、お前ら。逃げろと言っただろう。村人の家に隠れろなんて真似、誰が命じた。」
隊長だ。先輩の発信機を追ってきたのだろう。司祭の一件は片付いたのだろうか。
「野郎の実力は想定以上だ。今の俺の魔術じゃとても歯が立たん。撤退だ。対象は放棄する。メオに任せておけばそう問題も起きないだろう。走れるな?」
ミアの話によれば、湖には死体が沈められている。双子の星の呪いは双子の片方を死産にする。
右手に広がる黒い湖がひどく不気味に見えた。
村を迂回するよう時計回りに移動したためかなりの時間を要したが、無事に拠点へとたどり着いた。本当に今日はよく走る。
「おっかえりーみんな!マハルタ副隊長!完全復活!リベンジするぞ!頑張るぞー!」
「撤収だ。荷物をまとめろ。」
隊長は車に向かいながら短く言い放つ。なぜか全快している副隊長は明らかに落ち込んでいる。楽し気だった目は冷めきっており、怖い。何しでかすかわからない恐ろしさがあった。
「接近戦で隊長も敵わないならこれくらいしてもいいでしょ。今日は流れ星が綺麗だし。腹いせだよ。」
「待て、それは。」
「流星」
隊長の制止を無視して何かを行使した。空気が震え、落ち着く。代わりに空の向こうが小さく輝いた気がした。
「私の魔術は『引力』。つまらないでしょ?ああ疲れた。帰ろう帰ろう。今日は星が綺麗だねえ。」
声色は本気だった。嘘のような言葉だった。だが本当だと信じられるほどに隊長は慌てている。
村にはタクミが残っているかもしれない。司祭にまた捕まっているかもしれない。
気付けば車両の一台を奪って教会へと走り出していた。後で返せば問題ないだろう。こんな場所で死ぬなんてあんまりだ。それにしてもマニュアル免許を取っていてよかった。