ミッション2 昴くんを守る!
苦しくなる、重くなる。どんどん体が冷える。闇に覆われ、意識も消えそうになる。そのとき、昴くんが私を抱きしめ、キスをしてくれた。優しくて、あったかいキスだった。
『愛してるよ、ひかり…。愛してる…』
昴くんの声が、フェイドアウトしていく。
フッ…。意識が一瞬途切れた。ズン…。一回思い切り暗く、重い空間に落とされた気がした。でも次の瞬間、意識が戻った。目を開けると、目の前に昴くんがいた。
ああ…。良かった、昴くんいる…。そのうえ、昴くんはまだ、私にキスをしていた。なんだ…、まだ、高い方の次元にいるのか…。
と思った次の瞬間、ものすごい冷たいエネルギーが、昴くんから流れ込んだ。
え…?波動が、違う?それに、思い切り腕を強く掴まれていた。辺りを見回すと、そこはノエルさんの部屋じゃなかった。そして私は、足をばたばたさせて、抵抗していた。
あ、あれ…?私の意志で動いているわけじゃない…。必死で体を動かし、抵抗をしている。でも、上に昴くんが乗っていて身動きが取れない。
「いや…だ…」
私がそう言っても、昴くんは黙っている。
「やめて…」
必死で、泣くのをこらえながら、私が言う。
「お前、もうすぐ結婚するんだろ?」
え?私が?誰と?!
「なんてったっけ?長田建設の息子の名前…。徹郎だっけ?」
て、徹郎?こっちの次元では、私、徹郎とまだ結婚してないの?
「はは…。どうするんだろうな、花嫁、誘拐されて。お前の父親も、その徹郎ってやつも」
「……」
私は何も言わずに、体をこわばらせた。…。ものすごく苦しかった。泣くのを必死にこらえていたが、喉が痛い。グ……。涙が出そうになる。
私は横を向いた。涙が頬をつたった。悲しい。苦しい。色んな感情が交差する。こっちの次元の私の心を、そのまま感じてみた。
お父さんが、どうして…?
自分の父親のしたことを、信じられなかった。ワンマンで、自分のことも支配してきた父親だった。でも、昴くんのお父さんを死に追いやるようなことをしたなんて…。
まだ、私の頭の中は混乱していた。怖さと、申し訳なさと、父のしたことをまだ受け入れられない気持ちと…。
そのとき、携帯が鳴った。昴くんは、ベッドから降りて、横にあったテーブルの上の携帯を取った。
「もしもし…」
昴くんは、すごく低い声で電話に出た。
「いろいろ準備してくれて、ありがとうございます。…え?はい。そうですよ。いますよ、ここに。まだ、生きてますけど…」
ゾク…。昴くんから黒い霧が出る。こっちの次元の私は、それを肌で感じものすごく怯えている。今なら、ベッドから跳ね起きて逃げられるか…。窓は一箇所。ドアの前に昴くんが立っていて、ドアからは出れないかもしれない。
そっと、ベッドから起き上がろうとした。でも、なかなか体が思うように動かない。硬直しているし、部屋が寒いのでかじかんでもいる。
ドカ!私が動こうとしてるのを昴くんが見て、私の横に座り込み、私を押さえ込んだ。
「逃げようって思っても、無理だからな。ここは、山の中で、周りに家もない。助けを呼んでも誰も来ないし、車もない」
昴くんは、冷たい口調でそう言った。それからまた、携帯を耳に当てた。
「悟さんに迷惑はかけません。ほっといてくれてかまわないです」
悟くん…?電話の相手は悟くんなの?私は、なんとか表面に出たかった。でも、こっちの次元の私のほうが表面に出てて、何もすることが出来なかった。
こっちの次元の私は、怯えながらも、部屋を見回していた。部屋にはベッドが二つある。寝室のようだ。木で出来ているこの家は、コテージのような作りになっているのかもしれない。
何しろこの家に着いて、この部屋に入るまで、私は目隠しをされていたようだ。それに、昴くん以外の誰かが、運転をしていた。女性だった。
なんとなく私は、ここまで着く間のことを思い返していた。その回想を私も一緒に見ていると、どうもその女性というのは、珠代ちゃんのようだった。声が珠代ちゃんの声だったし、それに昴くんが、
「珠代は、家に戻れ」
とこの家に着いて、私をこの部屋に押し込んだあとに、言っていたのだ。
「昴はどうするの?私もここにいる」
「お前まで犯罪者になることない。いいから、帰れ」
「でも…」
「いいから、言うこと聞けよ!」
昴くんが声をあらげて、珠代ちゃんは車に乗り、去っていったようだった。
…こっちの次元では、珠代ちゃんと昴くんは、もうすでに出会っているんだ。それも、親密な関係なのかもしれない…。
回想では、どうやら私は朝、仕事に行くまでの道で、いきなり誰かに腕を掴まれ、車に乗せられていた。それは、昴くんのようだった。何も言わずに目隠しされて、そのまま車が発進した。
発進してから、昴くんが、
「あんた、星野ひかりだろ?」
って聞いてきた。
「誰…?」
「俺?天宮昴…」
「天宮…」
私は、血の気が引いた。2日前、天宮建設の社長の遺体が発見されたとニュースを見て、父の会社と合併した会社だったので、驚いたばかりだった。
「親父、自殺したの知ってる?」
…自殺…。
「あんたの父親に殺されたようなもんだよ」
「え?」
「知らないの?あんたも、星野建設に勤めてるんだろ?」
「……」
「自分の父親がしたこと、知らないでいるの?」
「……」
お父さんが何を?
「裏で手を回して社長の座から引きずりおろして、それどころか、親父から全部を取り上げ、死に追い込んだんだ」
まさか…。
「知らなかったの?はは…。めでたいね」
……。
「俺の親父みたいに、他にもあんたの親父に騙され、利用され、つぶされたやつは大勢いるんじゃないの?」
お父さんは確かに、ワンマンだ。人を人と思わないような、そんなところもある。私だって、会社が大きくなるための駒に過ぎない。
「恨まれて当然だよね。よく今まであんたの親父、生きてたよね。誰かに殺されてもしかたがないようなこと、してきただろうに」
殺される…?
「でもさ。本人死んだらそれでおしまいじゃん。だけど、あんたの親父の大事にしてるもんを一つずつ、つぶしていったら、ずっと苦しむことになるよね。そっちのほうが復讐になるよね」
復讐…?
そのあとは、ずっと無言が続いた。どこに向かってるのかもわからず、ものすごい不安の中で、私は怯えながら車に乗っていた。腕をずっと掴んでる、昴くんの手は冷たく感じられた。
なんとなく山道を進んでいるような、そんな感じがしていた。そして、しばらく舗装されてないような道を車が走り、止まった。
「降りろ」
先に昴くんが降りて、私を引きずり降ろした。そこから、力づくで家の中に連れられ、部屋に押し込まれた。
一緒にいた女性(珠代ちゃん)が車で去ってから、昴くんは私をベッドに押し倒して、目隠しを外した。そしていきなり、キスをしてきたのだ。そこに、私がこっちの次元にやってきたようだ。
朝からの出来事を思い出し、これから私はどうなってしまうのか、ものすごい不安に駆り立てられた。
さっき電話で、「まだ生きてる」みたいなことを言ってなかったっけ…?私、殺されるの…?
ゾク…。恐怖で、体が震えた。すぐ横で、電話をしながら私を押さえ込んでいる昴くんから、ものすごい冷たいエネルギーも来て、さらに体が冷えていく。
「それじゃ、もう切ります。もう電話もかけないでください。電源切りますから」
昴くんはそう言うと、本当に携帯の電源を切っていた。
「さて…。どうするかな」
昴くんは、私を見ると口先に微笑を浮かべた。
「あんたの親父に、なんて言ってやろうか…。まだ、さらわれたこと、知らないでいるんだろうしな」
「……」
ものすごい冷たいエネルギーだ。昴くんの体から黒い霧がどんどん出てくる。
「身代金でも、要求するか?」
「……」
「はは…。そんなのいらないけどな」
昴くんの笑い声も、不気味に感じた。
「どうやったら、1番あんたの親父は苦しむと思う?」
「……」
「結婚できなくなったら、長田建設との合併もパアになるのか?」
「……」
「あんたが殺されるのと、めちゃくちゃにされるのと、どっちが親父さんは苦しむわけ?」
「……」
私はひきつっていた。怖さがピークにきていたかもしれない。昴くんの顔は、恐ろしかった。
「あんたは、どっちがいい?」
泣きそうになったが、必死でこらえた。でも体は震えるし、涙が勝手にこぼれてきた。
「怖い?」
「……」
「怖いんだ…、はは…」
昴くんがまた、黒い霧を出しながら不気味に笑う。
私は体をこわばらせた。何も言葉に出来なかった。昴くんのことも見れなかった。恐怖でどうにかなりそうになっていた。
誰に助けを求めたらいいのか。誰も浮かばない。それに、もしかしたら、助からないんじゃないのか…、そんなことが頭をよぎる。
お父さんは私が、会社に出勤していないことを不思議に思ってくれるか。車に乗せられたところを、誰か目撃していないのか。誘拐されたことを、誰か知ってる人はいないのか?
ガタガタ体が震える。体温がどんどん下がっていくのがわかる。怖い…。私の中からも、さっきからずっと黒い霧が出ている。部屋中が霧で覆われている。
それに、昴くんの後ろに真っ黒な影が見えた。陽炎のように、ゆらゆらしている。ものすごい不気味な影だった。その影に昴くんはまるで、操られているようにも見えた。
「どうした?決まった?」
「…え?」
「どっちがいい?」
どっちって…。殺されるのと、めちゃめちゃにされるのっていうこと…?
「俺さ、別にいいんだ。このあと、死んじまおうがなんだろうが…。俺の人生なんてもうどうでもいいんだ」
ゾク…。なんでそんなに捨て身なの?
「どうせ、俺の人生なんて、ろくなもんじゃないしな」
私は、すっかりこっちの次元の私と同化していた。一緒に恐怖体験をしてしまっている。なんのためにこの次元に来たのか。それは、昴くんを守るためじゃなかったのか。
昴くんの人生を狂わせたらいけない。昴くんを犯罪者にもできない。昴くんを守らなくっちゃ!
だけど表面に出てるのは、こっちの次元の私だ。それも、恐怖でものすごい黒い霧を出している。それが、昴くんから出る黒い霧と合わさる。
いけない。光を出して、昴くんを光で包まなきゃ。昴くんに取り憑いているかのような、あの黒い影も、光で消さなくっちゃ…。
だけどどうやっても、私の意志では体を動かすことは出来ないし、言葉も出ない。それに、光も出せなかった。
どうしよう…。昴くん!心で聞いてる?高い波動の昴くんも、ここにいるんでしょ?一緒に来てるよね。今、こっちの次元の昴くんの中にいるんだよね!
心を静かにして、昴くんを呼ぶ…。でも、聞こえない。こっちの次元の私は、思い切り心を閉ざしている。
昴くん…。ただ、私は昴くんのエネルギーを感じようとした。だけど、冷たいエネルギーを感じるだけだ。
昴くんを抱きしめて、光で包むことは出来ないのか…。
昴くん、愛してるよ。この次元の昴くんだって、どんな昴くんだって…。
きっと、心を闇に占領されている。お父さんが死んだことで、闇しか感じられなくなっている。その心の中は、ものすごい悲しみや、憎しみでいっぱいになり、昴くんはきっと苦しんでいる。その思いを浄化したい。光を当てて…。
「結婚なんて、できなくさせてやろうか?」
「……」
「あんたのだんなになるやつ、どうするかな」
「……」
「どうすると思う?」
わからない。私だって、2回しか会っていない…。こっちの次元の私がそう思っていた。
え?たったの2回?
ふっと、その時のことを思い出していた。一回目は父に連れられて、食事に行ったときに会った。その次は、いきなり結納の席だ。
そう、はじめに食事に行ったときに、お前の婚約者の、長田徹郎さんだと紹介されたのだ。私は驚いていた。この年になるまで、ずっと父親に結婚もしなくていい、ずっと家にいたらいいと言われていたのだ。
兄が父の会社を継ぐことにはなっていた。私はその経営のサポートをするため、留学をしたり経営学も学ばされた。結婚することはもうないだろうと、自分も思っていた。
恋愛もしたことがなかった。私の人生のすべてが、父の会社のために注がれていた。でも、まさか結婚まで父の会社のため、いや、父の欲望のためと言ってもいいかもしれない。そのために、結婚までしなくちゃいけないなんて…。
私の人生はなんだったのか…。父の人形か…?そんなことを思い返し、悲しくなった。そのうえ、今は、父のしたことの報いを私が受けている。
いったい、私ってなんなんだろう…。悲しくて、情けなくて涙が出た。それは、ずっと押さえていた恐怖や、いろんなものと混ざり合い、止まらなくなった。嗚咽もあげて、泣き出してしまった。
昴くんは、しばらく黙って私を見ていた。
「ふん…。そんなにだんなになるやつが、大事?」
え?
「めちゃめちゃにされて、結婚できなくなるのは、そんなに悲しい?」
「……」
「そんなめに合うくらいなら、死んだ方がまし?」
「……」
何も言えなかった。何も言えず、私は泣いていた。
「でも、それじゃ面白くないよね。死ぬ方がましなら、生きててもらおうかな」
え?
「生きて、苦しんでもらわないと、俺の復讐にならない」
「……」
「あんたが、何より1番苦しむこと…。それが俺の復讐になる」
昴くんからまた、ものすごい黒い霧が出る。
「それが、あんたの親父の苦しみにもなるだろ?なにせ、大事な一人娘が不幸になるんだ。それもどん底の…」
大事な一人娘なんかじゃない。私だって、父にとっては一つの駒でしかない。
「……。私…」
私はやっと、言葉を口にした。
「結婚相手のことが、好きなわけじゃない…」
「え?」
「…父に勝手に、決められた相手だから」
「政略結婚?」
「……」
私は黙って、うなづいた。
「はは…。あんたもみじめだね。好きでもない相手と結婚させられるの?」
「……」
「じゃ、結婚できなくなったら、やっぱりあんたの親父には、痛手なわけだ」
「……」
「あれ?でも、あんたにとったら好都合?好きでもないやつと、結婚しなくてもすむ」
「……」
「でも、どっちにしろ、好きでもないやつに、あんた、めちゃめちゃにされるんだよ?」
「……」
また、私は凍り付いていた。やばい…。一瞬、一緒に怖がってしまった。真っ黒の影に、私の体までのみ込まれるところだ。
心の奥の奥で、私はまた、
「昴くん、愛してる」
とつぶやいた。心の奥まで、闇に占領されないように…。
めちゃめちゃも何も、私なら昴くんが何をしても、大丈夫だろう。でも、こっちの次元の私だったら話は別だ。男性と付き合った経験もなく、それなのに、いきなり誘拐した相手とだなんて、そりゃショックを超えている。それなら死んだ方がましって、心のどこかで思っている。何とかして、表面に出れないものか。
ガタガタ震えながら、私はまた泣き出していた。
「あはは…。そんなに怖い?」
昴くんがまた、冷たく笑う。
「ま、いいや。時間はたっぷりとある。そのうちに、あんたが誘拐されたことも、あんたの親父が気づくかもな」
昴くんはそう言うと、ベッドからおりて部屋を出て行った。
部屋の外からカギをかける音がした。この部屋のドアは、外からカギがかかるようになってるようだ。
私は、体中の力が抜けて、腑抜け状態になっていた。頭の中では、今だ、逃げなくちゃ!と考えている。でも、体がまったくびくともしない。
あまりの怖さで、動けなくなっている。腰を抜かした状態とでも言おうか…。そんな感じだ。
どうしようか…。そうだ、携帯!テーブルの方を見たが、昴くんが携帯を持って出たようだ。
ガタガタ震えは止まらなかった。真冬の山の中だ。寒いのは当たり前だ。ベッドの中に入ろうかどうしようか考えたが、入ってしまったら、逃げられないんじゃないのか…。
窓の方を見た。小さめの窓だが、私一人ぐらい出れそうな気もした。少し高い位置に窓はあったが、テーブルを窓の下にもって行けば、どうにかなるかもしれない。
体を必死で、動かした。震えながらも、どうにかベッドからおりることが出来た。
音が出ないよう気をつけながら、テーブルを動かした。そして、窓の下にテーブルを置くと、その上にどうにか乗った。それから窓のカギを開けようとしたが、ものすごく堅くて、なかなか動かなかった。
「動いて…」
そうつぶやきながら、まだ震えてる手で、私は必死で動かそうとした。
そこに、ガチャガチャ…。ドアのカギの音が聞こえた。
あ!大変!どうしよう!とっさにテーブルから飛び降りようとしたが、もうドアが開いて、昴くんが部屋に入ってきてしまった。
「何してんだよ?!」
ものすごい形相で、私の方に向かってくる。
怖い!殺される?
あまりの怖い形相で、私は縮み上がった。テーブルの上でかたまっていると、私の腕を思い切り掴んで、昴くんが引きずり降ろそうとした。でも、私は必死で抵抗した。
ものすごい力で、昴くんが腕を掴む。
「痛い!」
私はその力に負けて、昴くんの方に引きずられたが、あまりにもものすごい勢いで昴くんが引っ張ったから、テーブルから転倒した。
ゴツン…。鈍い音がした。そのあと、フワ…。魂が体から抜けた。あ、幽体離脱してる…。
眼下に私の体が横たわっていた。ぐったりとしていて、びくともしない。
昴くんが、
「おい!」
と、私の体を揺さぶっていた。だが、ぐにゃぐにゃと動くだけで、意識がまったくない状態だった。
「私、死んだの?」
こっちの次元の私が、つぶやいた。
「違うよ。幽体離脱、魂が抜けただけ」
私がつぶやくと、こっちの次元の私は驚いていた。自分の中から自分の声がするのだ。そりゃ驚くだろう。
「もう私に任せて。昴くんを怖がったりしなくても大丈夫だから」
そう私は言って、また体に戻った。ギュ…。一瞬、窮屈さを感じた。
「おい!」
昴くんが、まだ体を揺さぶっていた。パッと目を開けると、昴くんは少しほっとした顔つきをした。
もしかして、こっちの次元の昴くんは、本気で私を殺そうとか、何かをしようなんて思ってないんじゃないのか?そのとき、なんとなく私は思った。
「いた…」
思い切りぶつけたらしい。頭にたんこぶができていて、ズキズキした。これ、階段から転げ落ちたときにも、感じた痛みだな~~。
「こっちに来い!」
昴くんは、私をまたベッドに連れて行き、布団をはがし私を寝かせた。それから、
「ロープで手でも縛っておく?それとも、手をベッドの端につないでおく?」
と私の顔に思い切り顔を近づけて、脅してくる。
「……」
私は、表面化していた。さっき魂が体に戻った時から、私の意識の方が前面に出たのだ。
私は、昴くん!!!と叫びたい衝動に駆られるわ、抱きつきたいわで、うずうずした。
昴くんからは、相変わらず、冷たいエネルギーがきていた。それに、黒い霧もどんどん昴くんから出るし、部屋中を覆っていた。
昴くん、愛してる…。心でつぶやく…。フワ…。私から光が出た。
目の前にある昴くんの目を、じっと見つめながら、また、私は心でささやいた。
昴くん、どんな昴くんだって、愛してるよ…。愛しくてしょうがない。心の奥底から、昴くんが好きだって、愛しいって感情が沸いてくる。そのたびに私から、ものすごい光が飛び出す。
それが辺り1面を覆う。闇がどんどん消えていく。昴くんのことも包み込み、私自身も包まれ、がたがた震えていた体が、ほんわかあったまる。
「怖くないのか?」
「え?」
「それとも、また逃げられるとでも思ってるのか?」
「…?」
「なんで、そんな目で見てんだよ?さっきまで、怯えて震えてただろ?」
ああ…。目つきが変わっちゃってるのか…。そりゃ、しょうがないよ。だって、怖くないもの。どんなにすごんでも、脅しても、昴くんには変わらない。まるで、俳優天宮昴が、名演技でもしてるとしか見えない。
「…頭打って、おかしくなったか?」
「そうかもしれない…」
私は、思わずそう言った。
「そうかも…?どういうことだ?」
「もう、怖くないから…」
そう言うと、昴くんが一回私のことを、思い切りにらんだ。それから、荒く私の腕を掴むと、冷たいキスをしてきた。
冷たいエネルギーが来る。だけどそれすら、私から出る光で、あったかいエネルギーに変化する。昴くんから出る黒い霧も、どんどん光で包まれ消えていく。
昴くんが顔を上げ、私のことをじっと見た。
「本気で、怖がってないのか?」
「怖くないよ、もう…」
昴くんの目を見つめながら、私はそう言った。昴くんは、まゆをしかめた。そして、
「本当に、人が変わったかのようだな…」
とつぶやくと、起き上がりベッドからおりた。
あれれ…?離れちゃうの?まだ、抱きしめてもいないし、抱きついてもいないし…。私は、そのまま昴くんのことをじっと見つめていた。
昴くんは、テーブルをもとの位置に戻した。
「この窓は、たとえ開いたとしても、半分しか開かないようになってる。あんたでも出るのは無理だ。あきらめるんだな」
そうだったのか…。
「もう、逃げようなんてしないから」
「……」
昴くんは黙って、私を見た。
「もしかして、それ、演技?」
「え?」
「そうやって、安心させようっていう演技か?」
「違うよ」
「は…。ま、いいけどね。どっちにしろ、逃げられやしないから」
そう昴くんは言うと、また部屋を出て行こうとしたが、
「待って!トイレ!」
と私は、ベッドから立ち上がった。
さっきからの冷えで、トイレには行きたかったが、あまりにも恐怖を感じてて、それどころじゃなかったようだ。
昴くんは、黙って私の腕を掴んで、部屋の外へと連れ出し、左にあるドアを指差した。
「逃げようとしても、トイレのドアは格子もあって、絶対出れないからな」
そう言い放つと、昴くんは逆の方へと行ってしまった。
トイレから出て、寝室に戻るか昴くんが行った方に行くか、ちょっと迷っていると、昴くんがやってきた。手にはトレイと、その上にパンと水が乗っかっていた。
「寝室に戻れよ」
昴くんにそう言われて、寝室に戻った。部屋に入ると、ベッドの横のテーブルに昴くんは、トレイを置いた。
「そこ!」
昴くんに指を指されて、ベッドに私は座った。もう一つのベッドに昴くんは座ると、パンをおもむろに食べ出して、
「食えよ」
と私に言った。
「うん…」
私もパンを取って、食べだした。
本気で、復讐をしようと考えたのかな…。本気で殺そうとしてたわけじゃないよね…。何も言わず、もくもくと食べてる昴くんに、エネルギーを向けても、冷たいエネルギーが返ってくるだけだった。
それと、もう一つ気になることがあった。それは、昴くんの背後にある黒い影だ。さっきよりも、私の光で小さくなっているものの、まだ昴くんの後ろでうごめいていた。
なんだろう、あれ…。何か生き物のように、うごめいていて不気味だった。
それにしても、本当にこのコテージには、私と昴くんの二人っきりなんだな~~。
「……」
昴くんのことを、しばらく見つめた。黙って昴くんはパンを食べ、時々水を飲んだ。
その横顔は、私が知ってるいつもの昴くんと、なんにも変わっていなかった。奇麗な横顔で、ほくろの位置も、まつげの長さも変わらない。色白で奇麗な肌で、黒いサラサラな髪だけが茶パツだったが、あとは全然変わらなかった。
昴くんの匂いも同じだ。首も、喉仏も、肩の線も…。
私がじっと見つめているので、昴くんが、変な顔をしてこっちを見た。
「食えないか。こんな状況じゃ…」
「ううん。食べるよ」
お腹もいきなりすいてきた。きっと、体が安心したからだ。
パンを食べ終わると、昴くんはトレイを持って、部屋を出てから部屋のカギをかけた。
「あ~~あ」
カギなんてかけなくてもいいのにな。それより、そっちの部屋でも昴くんと一緒にいたい。
ごろんとベッドに横になったが、寒いから、布団の中に潜り込んだ。寒いな~~。暖房ないのかな~~。
布団の中でまるまって、あったまっているうちに、どうやら疲れがどっと出たのか、寝てしまっていた。
どれくらい寝ただろうか…。目が覚めると、すぐ横のベッドに昴くんが横たわっていた。
「あ…。寝てた?私…」
「よく寝れるよね。あんた…」
「だって、ものすごく疲れてたみたいで…。お腹いっぱいになって、眠くなったかな?」
「……」
少し呆れたって顔で、昴くんは見た。さっきから、昴くんからまったく、冷たい波動も黒い霧も出ていなかった。
「もう夜だ。あんたの親父、あんたが会社にも出てこないし、家にも帰らないし、あたふたしてるんじゃないの?」
「…どうかな?」
「どうかなって?」
私は、こっちの次元の私の記憶を探った。
「今日はお父さん、1日会議だから。私が会社に出てるかどうかなんて、まったく気にも留めない」
「箱入り娘だろ?あんた、いつも父親に監視されてたんじゃないのか?」
「…昔は…。今は兄が監視する役目かな」
「へえ。じゃ、その兄貴ってのが、あんたがいなくなって、騒いでるんじゃないの?」
「…兄は、仕事納めで取引先を回ってる」
「じゃ、明日か…。さすがに無断で外泊したら、あんたの両親、黙ってないんじゃないの?」
「多分。でも、警察沙汰には絶対にしない」
「なんで?」
「そういうのを世間に知られないようにするから。会社のイメージダウンだし」
「……」
「部下とかに調べさせたり、探偵を一回雇ったこともあった」
「いつ?」
「私が、父に内緒で、学生のとき付き合おうとしたら」
「それで?」
「相手を脅して、付き合えなくなった」
「はは…。あんたの父親って、最悪だな」
昴くんは、冷たくそう言って笑ったが、すぐに黙り込み、
「じゃ、あんたは、親父のロボットかなんかなわけ?」
と、私に聞いてきた。
「うん…。ずっと私は、父の人形でしかなかった。娘とかって意識もなければ、人間とも思ってないかもしれない」
「…最低だな」
昴くんはそう言うと、少し顔を曇らせ、私を同情の目で見た。
「昴くんは…?」
「昴くん…?なんだよ、その呼び方」
「ごめん。でも、他に呼び方わからなくて」
「……。まあ、いいけど。で…、何が?」
「昴くんの家族…」
「…親父一人で、こつこつと大きくした会社だよ。母親も事務を手伝ってた。姉貴も今までその会社で働いてた。俺だけだ、反発したのは…」
「反発?」
「親父の会社なんて、継ぐ気もしなかった。俺は俺でやりたいことがあって、家も高校卒業と同時に飛び出した。それっきり帰らなかった」
「……」
「親父と最期に会ったのは、今年の6月…。俺のアパートに突然来て、帰って来いと怒鳴られて喧嘩した。俺は、親父の会社を継ぐ気はない。俺のやりたいことをするって、そう言ったら、好きにしたらいいが、家に戻れってさ…。だけど、戻らなかった。それが最期…」
昴くんから黒い霧が出た。顔も苦しそうにゆがんだ。私は、昴くんのことを思い切り、光で包み込んだ。
「あの頃からもう、親父の会社、やばかったんだ。家も担保に入れられて…」
「……」
「それでも、親父は必死だったっておふくろが言ってた。自分の会社のっとられないよう、家族や社員のために、いろいろと駆けずり回って…」
そうだったんだ…。
「俺だけ、そんなの知らずにのうのうとしてた。夢をおいかけ、のん気にフリーターなんてして、気取ってた」
昴くんから、またものすごい黒い霧が出てくる。それをまた、一気に光で消す。
「まさか、まさか、親父が自殺するなんて…」
昴くんは、言葉を詰まらせた。それから、小さく肩を震わせた。泣くのをこらえているみたいだった。
しばらく、昴くんは黙っていた。そんな昴くんのことを、心で愛してるってつぶやきながら、光で包んでいた。
「なんでこんなこと俺、あんたにしゃべってるんだろ…」
「……」
苦しいなら、泣いてもいいよ。そう言ったら、どうするかな。でも疑うかな?また…。だけど、昴くんは本当に苦しそうだった。
父親が自殺をした悲しみや、ショック。自分が父親や家族をほっぽっておいたという罪悪感。私の父親への恨み。色んな思いが交差して、心がつぶれそうにもなっていた。
私はそっと、昴くんの方に手をのばしてみた。
「何?」
「……」
まさか、手をつないでとも言えないし、つないであげるとも言えない。だけど、その手にじかに触れて、あったかいエネルギーを送りたい。
「私が、昴くんが寝てる間に、逃げたらどうする?」
「もう、逃げないんだろ?」
「もし、気が変わったら?」
「……」
「手…、昴くんの手と、つなげておけば…?」
「え?」
「……」
昴くんは立ち上がり、部屋を出てすぐに戻ってきた。手には短めの細いロープを持っていた。それを自分と私の手にくくりつけ、離れないようにした。
「お前って変なやつ。こういうの自分から言う?」
「逃げようとしてないのに、勘違いされて、怒られたら嫌だから…」
「ああ…。それで?」
ふんって昴くんは、鼻で笑った。
私の左手と、昴くんの右手が、ロープでギュって結ばれていた。そのまま、昴くんはベッドに入り込み、私たちは寝ることにした。
心の中でもう一回、昴くん愛してるってささやいて、昴くんのことを見つめた。昴くんの手に、あったかいエネルギーが流れていくのを感じた。昴くんのことを光が、包み込む。
昴くんは目を閉じていた。顔がみるみるうちに、ピンクに染まる。ここに来たときには、昴くんの顔は青白かった。
良かった…。体がきっと、あったまってきてるんだ…。
目を閉じた昴くんのことを見つめた。昴くんは、5分もしないうちに寝息を立てた。きっと、昴くんも疲れていたに違いない…。
おやすみ…。昴くん。大丈夫…。絶対にすべてが、うまくいく。私が昴くんのことを、守るから…。
ううん、白河さんもノエルさんも、悟くんもいる。みんなで守るから…。
昴くん、愛してるよ…。昴くんに心の底から、湧き出てくる想いを、手から送り出す。昴くんが光で包まれていく…。
昴くんの手も、あったかくなり、私も安心してそのまま眠りに着いた。
夢の中で、昴くんは何かに怯えていた。黒い霧が昴くんを取り囲み、低い声が聞こえていた。
「お前のせいだ」
「お前が悪い」
その声の主はわからないが、以前、私も聞いたことがある。何か得体の知れない、低いエネルギーの波動からの声だった。
その声を聞き、昴くんは怯えていた。小さな子どものように…。そして、
「ごめんなさい」
と謝って泣いてみたり、耳をふさいでみたり、とっても辛そうだった。
私はそっと、夢の中で昴くんを抱きしめた。泣いて怖がっていた昴くんが、私の腕の中で安心しきった顔をした。
「大丈夫だよ。誰も昴くんを責めたりしない。それに、誰も昴くんを傷つけたりしない」
そう言って、私は昴くんを優しく抱きしめる。昴くんは、しばらくそのまま、私の腕の中に抱かれていた。そして夢の中でも昴くんは、安心しきって寝ていた。
ピ…ピ…ピピ…。鳥のさえずりが聞こえた。目を覚ますと、窓から太陽の光が入ってきていて、眩しかった。
隣を見ると、すでに目が覚めてたらしく、昴くんがこっちを見ていた。
「おはよう」
思わずにこっと微笑み、昴くんにそう言うと、ものすごく変な顔をされた。
ああ、そっか…。ここ低い次元の世界だった。なんか、高い次元にいて、すぐ隣に昴くんがいるのかと思っちゃった。
手はまだ、ロープが巻いてあり、昴くんの手と私の手はつながっていた。私は知らない間に、昴くんの指に自分の指をからませながら寝てたようだ。それ、たまに高い次元でも一緒に寝るとき、してたしな~~。それが安心するんだよね。
「これ…」
そう言って、昴くんはつないだ手を上に少しあげた。
「え?」
「もしかして、作戦?」
「なんの?」
「こうやってたら、俺があんたに手が出せない…とか…」
「え?」
「寝込み襲われないようにっていう、そういう作戦?」
「……」
片手がふさがったくらいでも、どうにでもなるでしょうに…。
「ま、いいけどね…。時間ならたっぷりあるし」
昴くんはそう言うと、ロープを外した。それから起き上がり、ドアを開け、
「顔でも洗うか?」
と聞いてきた。
「うん。トイレにも行きたいし…」
ほんと言うと、お風呂にも入りたかったんだよね~~。それは無理かな…。
昴くんは、違う部屋へと入っていった。多分、キッチンやダイニングがあるんだろう。
私はトイレに行ったあと、トイレの横にある洗面所で顔を洗った。旅行先のホテルについてる、袋に入った歯ブラシが置いてあったので、それをちょっと、借りて使わせてもらった。
それから、のびをしながら寝室に戻ろうとすると、もう一個のドアを開けて、昴くんがまた、トレイに朝ごはんを並べて出てきた。
それを寝室のテーブルに置くと、ベッドにどかって座って、食べだした。私も昴くんの横に座り、食べだした。
「こっち…?」
「え?」
「座る場所…、なんでここ?」
昴くんが、少し変な顔をして聞いてきた。
「あ…、ああ。そっか。ごめん」
私はもう一つのベッドに座り、食べることにした。いつもの癖かな。昴くんのすぐ横に座ってしまう。
昴くんは、しばらく妙な顔で私のことをじっと見てから、また朝ごはんを食べだした。朝ごはんといっても、ベーグルにハムがはさんでるだけ。それと、ペットボトルの水。
こりゃ、痩せられるかもしれないな~~。と思いながらぱくついていると、
「あんた…。変なやつ」
とまた、昴くんがまゆをひそめて私を見た。
「え?」
「誘拐犯と一緒にいるんだよ?なんでそんな落ち着いてるの?」
「……」
そうは言っても、昴くんだから。
「ああ、そっか。俺が何もしないだろうって、たかをくくってるわけ?」
ああ…。それもあるかな。あまり、闇のエネルギーを出さなくなっているし。って、それは私が光で包んじゃうからか。
「そういうわけじゃないけど…」
私はとりあえず、そう言ってみた。
「でも、もう少し危機感、感じた方がいいと思うよ」
「…え?」
「あんたが行方不明になったって、もう騒がれてるだろ?」
「……」
「どれくらいの間、ここにあんたをおいとくか考えてない。俺の気分次第だ。いつ殺されてもおかしくないし、俺の親父みたいに、死後1ヶ月して発見なんてこともあるかもしれない。遺書でも置いとけば、自殺をしに山に来たって思われるかもな」
「自殺?」
「結婚を嫌がっての自殺。これ、いい考えだと思わない?」
昴くんからは、まったく黒い霧が出ていなかった。どうやら、本気でそんなことを思っていないようだ。
「それとも、半年くらいここに俺といる?お腹でも大きくなって、戻るってのどう?もうおろせやしないし、あんたの父親も婚約者も、どうするだろうね?」
「……」
怖がらせようとしてるようだが、まったく冷たいエネルギーが来ない。それどころか、今日は妙な顔や、まゆをひそめていても、あったかいエネルギーが時折やってくる。もしかして、高い波動の昴くんが目覚めかけてるのかとも思った。
朝ごはんが終わると、昴くんは、それを片付けようともしないで、私を見ていた。
「変な夢を見た…。手、つないだりしてたからか…」
「え?どんな夢?」
「俺が、子どものようになってて、あんたがいて…」
「それで?」
「それだけ…」
きっと同じ夢だ。
昴くんはまだ、私を見ていた。じっと見たまま、何かを考えてるようだ。こんな時に、心の声が聞こえたらいいのに…。
しばらくすると、昴くんはトレイを持って部屋を出て行き、ドアにカギをかけた。
「さむ…」
私はまた、ベッドに潜り込んだ。どうやら、寝室には暖房がないようだ。
小さな窓から、朝の光が差し込んでいた。ああ、あの光でも昴くんは、浄化されたのかもしれない。どんなに口では怖いことを言っても、黒い霧は出てこなかったから。
昴くんは、すぐに戻ってきた。
それから、私の寝てるベッドにドカッて座った。
「あんたの親父にさ、あんたのことをさらったって、連絡しようか迷ってるんだよね」
「え?」
「知らされるのと、何も知らされないのでは、どっちが苦しむと思う?」
「知らされない方?」
これは知らせたりして、昴くんが誘拐犯だとばれたら困るっていうのと、警察に下手に連絡されたら嫌だからだ。
「そうだね。俺の親父も行方不明になって探しまくって、その間も気が気じゃなくて、家族全員おかしくなってた」
「……」
また、昴くんから黒い霧が出てきた。お父さんのことになると出るんだな。それに反応するかのように、昴くんの後ろの影も大きく膨らむ。
私は、昴くん愛してるって何度も心でつぶやいて、光を出した。
昴くんはグィっていきなり、私の顎を持ってキスをしてきた。乱暴なキスだった。それから私の体に乗っかり、全体重を乗せてくる。
「泣き叫ぶ?助けを呼ぶ?」
私の目を見ながら、そう聞いてくる。私は黙って、顔を横に振った。
「なんで?誰も助けに来ないから?」
昴くんから、また黒い霧が出る。私はそれを光で消す。私の光と、太陽の光が同化する。部屋中が光で覆われる。昴くんからの黒い霧も、後ろの影もどんどん小さくなる。
昴くんは、また私の目をじっと見つめていた。その瞳には私が映っていた。昴くんの目に映っている私は、昴くんのことを思い切り優しく見つめていた。
「なんで?」
「え?」
「なんでそんな目で見てんの?昨日もそうだった。夢の中でもだ」
「…どんな目?」
「まるで、愛しい人でも見るような目」
「…うん」
「え?」
「昴くん…」
「え?」
愛してるよ…。心でそうつぶやいて、思わず私からキスをした。フワ…。ものすごい光が、私から飛び出す。きらきら眩しい。それにあったかい…。
「…?!」
昴くんがびっくりした目で、上半身を起こして私を見た。私はそっと、また昴くんを引き寄せ、またキスをした。昴くんのことをどんどん、光が包み込んで行く。昴くんは、しばらくそのまま動かなかった。
昴くんが私を見る目が、違っていた。来るエネルギーも違う。私が出すあったかいエネルギーを、そのまま返してくれる。
昴くんの頬をなでた。それから髪も…。そしておでこ、鼻、そっとなでていく。そのたびに、私の中から愛しいっていう気持ちが沸き起こり、光が溢れ出す。昴くんを包みこむ。
昴くんの頬をなでている手を、昴くんはぎゅっていきなり掴んだ。それから、私にキスをして首筋にもキスをしてきた。昴くんは、何かを求めるかのようにキスをする。何か心に空いた隙間を埋めるように、どうしようもない空しさを埋めるように…。
私は抵抗しなかった。心の奥に潜むこっちの次元の私が、抵抗をするかとも思ったが、ずっと心の奥底に隠れたままだった。
昴くんに心の中で、ずっと愛してるよってつぶやいた。そのたびに、光が出て昴くんを包む。昴くんの心を愛でいっぱいに、光でいっぱいに満たすように…。
愛しいな…。昴くんのすべてが、愛しい…。昴くんをぎゅって抱きしめる。愛しさで、光が溢れ出す。部屋を包んだ光が、部屋から宇宙空間へと放射される。
愛してる…。愛してる…。心で何度もつぶやく。
一瞬同化した。昴くんの心は、愛で満たされていた。空いた隙間も空しさも消え、今は愛で満たされている…。
昴くんは、しばらく私のことを抱きしめたまま、動かなかった。私もぎゅって昴くんに抱きついていた。
そのうち昴くんは、体を起こして私に布団を掛けると、服を着てドアにカギもかけず、部屋を出て行った。
「……」
私はしばらく、昴くんのぬくもりの余韻に浸っていた。目を閉じると、部屋中に昴くんの匂いがして、エネルギーが残っていて心地よかった。
それからしばらく昴くんを待っていたが、昴くんがまったく戻ってくる気配がなかったので、私も服を着て、そっと部屋を出てみた。
廊下の奥にあるドアが、開かれたままになっていた。そこに行ってみると、キッチンとダイニングテーブルがあり、その横にあるソファに昴くんは、腰掛けていた。そして、じっとテレビを観ていた。観ていたというよりも眺めている感じだった。
私はそっと、昴くんに近づいた。
「あんたのこと、ニュースではやってないね…」
昴くんが、ぼそってそう言った。
「……」
私は黙って、昴くんのすぐ横に座った。
「ここさ…、別荘だったんだ」
「え?」
「よく、家族で来たよ。っていっても、俺が中学生までの話だけど」
「そうだったんだ…」
「今はうちのものじゃない。もう少ししたら、壊されるってさ」
「……」
「壊される前に、誰も使わないんだったら、使ってもいいよな…」
そう言うと、ふって昴くんは笑った。私にじゃなく、別の誰かに話しかけているかのようだった。
そっと、昴くんの肩にもたれかけてみた。昴くんは、黙ってそのままの姿勢でいた。でも、優しいエネルギーが私を、包みこむのがわかった。
「…あんた、ほんとに今まで、男の人と付き合ったことなかったんだ…」
昴くんが、テレビの方を観ながらそう言った。
「うん…」
そうみたいだ…。こっちの次元の私は、本当に恋愛もしなかったし、結婚なんてまったく考えていなかったようだ。
「親父の言いなりの人生、むなしくない?」
「うん…。そうだね、むなしいよ」
こっちの次元の私が、心の奥底にかかえてた感情だ。
「あんたも、あんたの親父の被害者なのか…」
「……」
「そんなに会社をでかくすることって、大事かな。成功することって、そんなに大事なことか?」
「え?」
「家族を家族とも思わない。娘をもののように扱う。全部、自分の成功のための道具」
「……」
本当にそうだ。いったいこっちの次元の父にとって、幸せってなんなんだろうか。成功か、会社を大きくすることか、名誉か、地位か…。
「俺の親父もそうだ」
「え?」
「そりゃ、家族を養ったり、社員を養ったりしなくちゃいけなかっただろうけど、初めは小さな規模の会社だったんだ。それをでかくしようって、家にもほとんど帰らないで、働くようになって…。一回、体も壊してぶっ倒れた。だけど、退院したらすぐに復帰してまた、働いて…。わかんないよな。その頃には、家族でどっかに行くなんてことも、なくなってたよ」
「何が1番、大事だったんだろうね」
「……」
昴くんは、しばらく黙り込んだ。
テレビでは、いろんなニュースを報道していた。どれも暗く重苦しいニュースばかりだった。
その中で、気になる名前が出てきた。「海藤玄」だ。あ…。ここに来る前の次元で、白河さんをたたいていた作家だ。
ニュースを見ていると、どうやら、何かの宗教の教祖らしい。今、活動を制限されていて、山の一角に追いやられていると、キャスターが話していた。昔私がいた次元でも、似たようなことがあったな…。
私がそのニュースに、くぎつけになっているのを昴くんが気がつき、
「こいつ、ちょっと危ないよな…。あ、俺もそうとう危ないけど…」
昴くんは、ぼそってそう言った。
「……」
心で、そんなことないよってささやいて、昴くんを私は優しく見つめた。その私を横目でちらっと見て、
「今は、落ち着いてるけど…」
と、昴くんは言った。
「落ち着いてる…?」
「ああ。声もしないし…」
「声?」
「なんでもない。こっちの話」
ああ…。夢の中で聞いた、あの怖い低い声かな…。幻聴みたいなものが聞こえてたのか。でも、きっとそれ、低い次元のエネルギーとつながってたんだ。
昴くんの後ろに巣くってた、闇のエネルギーはもう、ほとんど消えていた。
昴くんは、チャンネルを回した。年末の特番で、お笑いタレントが出ている番組ばかりをしていた。それをどれも、昴くんは観ないで、結局はまたニュースにチャンネルを移していた。
昴くんの横顔を見ていると、昴くんに憑いてた憑き物が、取れたかのようだった。顔つきもエネルギーも、まったく違う。昴くん自身も、なんだか力が抜けた感じで、ずっと無防備にぼ~~ってしている。
「もう、部屋のドアにカギかけないの?」
私がそう聞くと、
「え?」
と、何を聞かれたのか、本当にわからなかった様子で聞き返してきた。
「部屋、出て行くときにカギかけてかなかった」
「ああ…。だって、逃げないだろ?逃げようともしないで、俺のところに来たじゃん」
「うん…」
しばらくまた、昴くんが黙った。
「なんで、逃げないって思ったの?」
私は、気になり聞いてみた。
「え?」
また、ぼ~~ってしていたようだ。
「なんで?」
「なんでって、そりゃ…」
「?」
「……」
言葉に詰まっているようだった。昴くんは話すのをやめて、いきなり私のことをぎゅって抱きしめてきた。私も、昴くんの背中に腕を回し、ぎゅって抱きしめた。昴くん、愛してるよって心で、つぶやきながら。
「これだから…」
「え?これって?」
「あんた、俺のこと、抱きしめてくるじゃん」
「?」
「よくわかんないけど、俺のこと怖がってもいないし、嫌がってもいないし、それなのに逃げたりしないだろ?」
「うん…」
私はそのまま、昴くんのことを抱きしめていた。
「変なやつだよな…。とことんあんたって…」
「え?」
「ま、いいけどさ」
抱きしめられるがままになりながら、昴くんはそうつぶやいた。
それから二人で、ぼ~~ってテレビを観てる合間に、お腹がすいてきて、私は冷蔵庫にある材料で、お昼ご飯を作った。ご飯をダイニングのテーブルに運び、二人で昼ご飯を食べた。ダイニングはストーブがあり、あったかかった。
どれくらい、このまま、昴くんとここで過ごすことになるのか…。まったく予想もつかなかったし、これから先のことも、予想がつかなかった。
でも、もう昴くんは大丈夫…。そう私は勝手に思い込んでいた。
あの闇のエネルギーが実は、昴くんの影に身を潜めていただけで、昴くんから闇のエネルギーが浄化されない限り、そのエネルギーも消えないんだということを、そのとき私は感じることもなく、ただ、その時にある安らぎに身を任せていた。