ミッション4 恐怖を感じる
私は早々と、昴くんの家を出て自分の家に戻った。母はもう起きていた。
「また、薫さんちに泊まってたの?こんな朝早くに帰ってきたら、ご近所の人がなんて言うか」
「え?」
「離婚して出もどりの娘さん、朝帰り?って、言われるに決まってる。恥ずかしい…」
私は、ものすごくその言葉を聞いて悲しくなった。でも、母からは、やっぱり光のほうが出てるのが見えて、
「これからは、気をつけるよ」
と言って部屋に行った。母は、少し驚いているようだった。でも妙なことに私の心の底で、今の自分の行動を否定してる自分がいて、ものすごい違和感を覚えた。
あ…。これ、こっちの次元の私の感覚かも…。
それから着替えをして化粧をしなおし、ご飯を食べて家を出た。
バイト先に行くと、また更衣室で何人かの人がこっちを見て、ひそひそと話していた。嫌な感じだ。そこへ、葉月ちゃんが入ってきた。
「おはようございます」
明るい声だった。そして、レジへと向かう途中、
「こっちの葉月の記憶、思い出したんですけど、こっちでも昴くんと星野さん、週刊誌に載っちゃって、それでいろいろと噂されてるみたいですよ」
と、教えてくれた。
「そうなの?でも前の次元じゃ、とっくにみんなそんな噂しなくなってて…」
「ちょっと時期がずれてたり、起きてることが違うようです」
「そっかあ…」
そんなのまあ、別にいいんだけどね…と思った次の瞬間、また嫌だ…、嫌われたくない…という感情がこみ上げてきた。ああ、これも、ここの次元の私だな…。
その日の昼の休憩中に、昴くんが話しかけてきた。
『今度の週末のことで、悟さんがまた話をしたいって。会える?』
『うん、バイト終わってから会えるけど。でも、悟くんも、昴くんも忙しいでしょ?』
『それが、そうでもないんだよね。ちょっとそのへんも違うみたいだ。あっちの次元よりも仕事が少ない…っていうか、こっちの俺、かなりのわがままで仕事選んでるみたい』
『え?』
『だから、スケジュールが、びっしりじゃないんだ』
『そうなんだ』
『ま、そういうことだよ、ひかり。じゃ、7時頃俺んち来いよな』
『え?うん…』
なんか調子狂うな。ときどき、こっちの次元の昴くんのエネルギーになるみたいだ。どっちの昴くんも、大好きだけどさ…。
その夜、また葉月ちゃんと昴くんの家に行った。行く途中の電車で、葉月ちゃんが聞いてきた。
「高い次元の昴くんが、目覚めたんですか?」
「うん」
「良かったですね~~。もう、こっちの次元の昴くんには、私がっくりきてましたよ~~」
「でも、その昴くんも、昴くんには変わりないから…」
「そうですけど…。でも、高い波動の昴くんのほうが、私は、一緒にいて安心できます」
「え?」
「波動が高い方が、来るエネルギーが違うじゃないですか…。よりあったかくって、優しくって、安心できる波動ですよ。悟くんも高い波動で、ちゃんと光を送ってくれるから、いつでも安心していられます」
「そっか。そうだよね…」
でも、私はどんな昴くんでも、昴くんといられたらそれで幸せだけどな~~。
マンションに着き、306を押すと、
「開けるよ」
て、昴くんの声がした。エントランスを通り、部屋の前まで行くと、
「いらっしゃい」
と、いきなりドアが開いた。ああ、来たのを感じてくれたんだ。
「昴…くん?」
ちょっと、葉月ちゃんが昴くんに警戒した。
「ごめん。なんか、とんでもないこと俺してたよね…」
昴くんは、申し訳ないって顔で謝っていた。
「もう、低い方は出てこないよね?」
「いや、どうかな…。でも、もう混ざり合ってる気もするけど」
「え?じゃ、昨日みたいなこと…」
「しない、しない!」
昴くんはそう言って、私と葉月ちゃんを部屋に通した。
部屋はけっこう、奇麗に掃除してあった。
「今日は、中華ね」
「え?」
「マーボーナスにバンバンジー、それと野菜炒め」
「昴くんが、作ったの?」
葉月ちゃんが、驚いていた。
「うん。あ、ひかり手伝って」
「うん」
キッチンに行くと、いい匂いがしてきた。
「これお皿にのせて。それから、ごめん、ご飯もよそってくれる?」
「うん、わかった」
二人で夕飯の支度を終わらせ、部屋に持って行くと、部屋で悟くんと葉月ちゃんが、笑いながら話をしていた。へえ…、なんか、こんな仲がいいところを見たのは初めてだな。
「わ~~。いい匂い、美味しそう!」
葉月ちゃんが喜んだ。
「じゃ、乾杯ってことで。ウーロン茶だけど」
「うん、かんぱ~~い!」
乾杯をしてから、葉月ちゃんが、
「何に乾杯だったの?」
と聞いた。
「みんなが目覚めたことに…だろ?」
悟くんがそう言った。
「ただ、まだここの次元のひかりが、眠ったままでいるけど…」
昴くんが、少し寂しそうにそう言った。
「どうしたんだろうね?ひかりさんは何か感じる?」
悟くんも気になる様子で、私に聞いてきた。
「時々恐怖や、不安を漠然と…」
「そっか…」
悟くんは、ちょっと何かを考えてるようだった。
「そうとうな闇のエネルギー、持ってるみたいだ。それに、引きずられないようにしないと」
「私?」
「うん。ひかりさんもだけど、昴も…」
「俺?」
「ああ、うん。だって、お前はひかりさんだろ?」
「そっか。そうだよね…」
「昴、ちゃんと気をつけてるか?今にいるようにしてるか?」
「今…?」
「そうだよ。今この瞬間だけが、宇宙とつながる。高い、宇宙と同じエネルギーで俺らはいられるんだ。そうしたら、そうそう闇にのっとられることはない」
「あ、そうだった。なんか忘れてた」
「低い波動の世界にいるから、そういうのも忘れっぽくなってるかもしれないけど、こっちの波動にやられるなよ」
「どういうことなの?悟くん」
私は、なんの話をしてるのかわからず聞いてみた。
「低い波動の中にいると、恐怖や闇に飲み込まれる可能性もあるんだ。うっかりすると、そっちのエネルギーに飲まれて、光を忘れることもある。そうすると例えばね、地球は破滅するぞ…なんて、根も葉もないこと言われても怖くって、信じちゃうかもしれないんだ」
「え?」
「本来のリアルな現実を、見れなくなる。幻想の世界で生きるようになる」
「幻想?」
「マトリックス。本来の俺らは、何?」
悟くんが、私に聞いてきた。
「光…」
「うん、そう。でもそれをすっかり忘れて、幻想の方が現実だと思い込む」
「……」
「波動が低いから、仕方ないといえば仕方ない。それだけ本来の自分、神であり、宇宙であるという自分から遠いところに位置してるからね」
「あ、そっか…。でも今ここなら、そういう次元とか関係ないんだ。今ここは、宇宙とつながってるところだから」
昴くんは、何かを思い出したかのようにそう言った。
「そうそう。だから、今にいろよって注意したんだよ」
「うん。わかった」
「それと、なるべく高い波動のお前でいろよ?」
「え?どういうこと?高いも何も、この次元の俺と同化して混ざってるけど?」
「どんな波動で?」
「どんなって、この次元にふさわしい波動で」
「それじゃ、外側に支配されてるってこと?」
「え?どういうこと?」
「外側が低い波動だから、自分をそれに合わせてるんだろ?でも、それ逆だろ?自分の波動をあげて、創る現実もあげていくのが、俺らのミッションだ。それがアセンションだろ?波動あげてくのがミッションなのに、下げてどうするんだよ?」
「ごめんなさい。私が派動を下げて、この次元に来たから」
「ああ、違う、ひかりさん。この次元に来たのにも意味がある。これも、ミッションの一つだ。それも、かなり重要な…。だからそれはいいんだ。ただね、この次元でも、俺らは高い波動でいないと、こっちの次元に囚われる危険性があるし、この世界の次元をあげるのも役目だから、俺らが波動をあげてないと、意味がないんだ。わかる?」
「うん…」
でも、そうしたら、こっちにいる次元の昴くんは消えちゃうの?
いきなり、悲しくなって私はうつむいた。
「悟さん、じゃ、こっちの波動の俺は消えるの?」
昴くんは私の思いを知り、悟くんに聞いてくれた。
「いや、消えるんじゃない。派動をあげるだけだ。」
「え?」
私が不思議そうな顔をしたのか、悟くんが私に聞いてきた。
「もしかしてひかりさん、こっちの次元の昴が消えたら、寂しいとか思った?」
「ええ?!なんで~~?あんな昴くん」
葉月ちゃんが、ちょっと顔をしかめてそう言うと、
「悪かったな。あんな昴で」
と、昴くんが言った。葉月ちゃんは、びくってして悟くんの影に隠れた。
「まあまあ…。今の低い方の昴だね?」
「低いも何も、俺は俺だよ」
昴くんがそう言うと、
「そもそも、昴って光なんだ。そこも忘れてる?」
と昴くんに聞いた。
「え?いや…」
「環境や親の考えや、世間の考えなんかで、性格が作られた。ものの考え方、行動、言動、そういったものは、本来のお前じゃなくて…」
「幻想、創られた俺、思い込みに過ぎない…だろ?」
「そういうことだ。ここの波動で、創られた幻想のお前でしかない。お前の中にある、孤独感、悲しみ、エゴ、そういったものを浄化させていくと波動はあがるよね?」
「うん」
「ここの次元の昴が波動が上れば、高い次元にいる昴になる。ただ、それだけだ。わかる?ひかりさん」
「うん。なんとなく…」
「消えるわけじゃないんだ。だって、もともと人格だってないんだから。うまくたとえられないけど、そうだな…。幼稚園の昴が、小学生になるようなもんだ」
「ひでえ、俺幼稚園児?せめて、高校生が大学生になるくらいに言ってくれない?」
「……」
悟くんは、少し呆れたって顔をして昴くんを見た。どうやら、また低い次元の昴くんが表面に出たようだ。
「幼稚園児はさ、自分さえよければいいとか思ってるだろ?相手の痛みを知るとか、そういうことをまだわからなかったり、やっぱり行動も幼いだろ?」
「俺がそうだって、言いたいわけ?」
「でも小学生になると、相手の気持ちをいたわったり、自分さえ良ければいいって考え方から、他とのつながりも考えて行動できるように、なったりするだろ?」
「だから、何が言いたいわけ?」
昴くんは、少しむっとしていた。
「すべては一つなんだ。相手は自分なんだ。それに気づいていたら、相手を傷つけたり、ののしったり、自分さえよかったらいいって考えもしないし、競争もないし、孤独感もなくなる。次元の高い昴は、けっこうそういうのわかってて、だから自然と相手を思いやり、光で包むことが出来てたんだ。それが、ミッションだし、ミッションを遂行できてたんだよ。でもお前は?」
「俺?」
「ミッションすら、思い出せなかったお前は?」
「…俺はなんだよ。役に立たないって言いたいのか?」
「そうじゃなくて…。もっと、大人になれってこと」
「え?」
「まあ、人間ぽく言うならね。でも、魂のレベルで言えば、神様に近いお前でいろってこと」
「……」
「人間してるんだから、人間の体験をするのは重要。でもミッションも大切。ミッション、遂行させよう。昴」
「……」
昴くんは、なぜだか黙っていた。
「それに、昴。お前、低い波動でいても、お前の大事なひかりさんを守れないよ」
「え?」
「ひかりさんの中には、まだ、闇の部分がだいぶ残ってる。それ、こっちの低い波動のエネルギーとリンクしやすい。それに引きずられないようにするには、お前が光を送ることが大事になるんだ。低い波動のお前だと、それはできないよ。へたすりゃ一緒に闇に食われる」
「……。ひかりを守る?」
「そう。大事なお前の役目だろ?思い出した?」
「うん…。そっか…。そうだよね」
昴くんの顔つきが変わった。
「でも悟さん、俺はひかりだから、ひかりの中に闇があると、俺もそっちのエネルギーと同化しやすいみたいだ。それで低い波動の俺が、表面化しやすいのかも…」
「だから、今にいろって言ってるんだよ」
「そっか。わかった」
「ひかりさんも、今にいるようにして」
悟くんは私の方を向いて、そう付け加えた。
「うん。わかった」
私がうなづくと、隣にいた昴くんは優しい表情になり、私に向かって光を送ってきた。そして、心の中で、
『ひかり。今にいようね、いつも…。それから…』
『うん、何?』
『もうどんなひかりでも、自分を許すんだよ?裁いたりせず、俺に見られないように隠さなくてもいいんだ。ね?』
『うん』
『多分、多分だけど、そういう思いが、この次元のひかりとリンクして、この次元に引き寄せられたんだと思うから』
『うん』
そう心で言いながら、ずっと昴くんは、あったかい光を送ってくれていた。
「もう、大丈夫そうだな。昴…」
「え?」
「安定しただろ?低い方は、出てこなくなった」
「あ、うん…。ひかりを守るって気持ちでは、一致したみたい。それで低い方の俺も、一緒にひかりに愛を送ってるよ。なんかものすごい愛だ…。低い波動でも、変わらずひかりのことは愛してるみたいだから」
それを聞いて、私は真っ赤になってしまった。
「あれ?反応してる?」
「え?私?」
「うん。でも、こっちの次元のひかりだ。それ…」
「え?そう?」
「うん」
昴くんには、わかるのか…。
「低い波動の昴から、お前が目覚められたのってどうやったの?」
悟くんが聞いてきた。
「ひかりが低い波動の俺も、どんな俺も愛してくれたから…」
「そっか…。なるほどね」
悟くんは、静かに微笑んだ。
「じゃ、俺もこの次元のひかりを愛したら、この次元のひかりは目覚める?」
「う~~ん、そうだな~~。でもお前の場合、どう見ても、どの次元のひかりさんも愛してそうだから」
「うん。愛してるよ」
「多分、ひかりさんの中の何か、闇を癒して浄化しないと、駄目なんじゃないかな…」
と、悟くんが言ったのを聞いて、私は思い出した。
「あ!こっちの次元の昴くんの、悲しいとか孤独とか、そういう感情を私も、一緒に感じて浄化したの。それからだよ?昴くんが目覚めたの」
「そっか…。感情の浄化が大事なんだ」
昴くんが、手をぽんとたたきそう言った。
「浄化か…。それにはその感情を、ひかりさんが感じたりしないとな…」
「昴くんは、夢の中でそれを感じてたの。それに私が同化して、一緒に感じたんだ」
「夢?じゃ、俺もひかりの夢の中で、感じたらいいのか…」
「夢で、ひかりさんが感じてたらね…。でも、それすら嫌がってたら?」
「どういうこと?」
「頑丈に感情にかぎかけて、しまいこんでたら、夢でも感じないよ。多分ね」
悟くんが、冷静にそう言った。
「じゃ、どうしたら?」
昴くんは、少しお手あげだって感じでそう言った。
「そう、先を焦るなよ。忘れたか?今に生きる…。あとは…」
「宇宙に任せる…」
「そうだ。あれこれ考えても答えは出ないさ」
「わかった」
昴くんは、静かにうなづいた。それを見てから、悟くんはみんなに向かって、
「じゃ、この話はもうおしまい。週末のこと決めよう。何時にどこで会うかとかさ」
と言った。
「うん」
それから私たちは、土曜の夜7時過ぎに、新宿の本屋のビルの地下で会う約束をして、悟くんと葉月ちゃんは、帰っていった。
「今夜も、泊まれるの?」
昴くんが、聞いてきた。
「今朝帰ったら、お母さんに怒られちゃった。だから今日は帰るよ」
「そう。なんだ…」
昴くんは、ちょっと寂しそうだった。
「夢で会おうよ。ね?」
「うん。わかった。じゃ駅まで送ってくよ」
昴くんと駅まで歩いていくと、途中でよっぱらいが喧嘩をしていた。駅に着くといきなり恋人どおしが喧嘩してて、女性が泣きながら走って行ってしまった。切符を買ってると、横にいたよっぱらいが私に絡んできた。
怖い!一瞬、恐怖に身を震わせると、昴くんがすっと横に来て、
『大丈夫だよ』
と、心で声をかけてきた。
それから、昴くんも切符を買いホームまで来てくれた。
「なんかこの次元で起きることは、前いた次元と違うね」
と昴くんは、ベンチに座りながらそう言った。
「うん…。なんか怖いよ…」
「こういうのに巻き込まれて、一緒に恐怖を感じないようにしろって、悟さんは言ってたんだろうな」
「うん」
「家まで大丈夫?」
「うん。大丈夫」
電車が来て、私だけが乗った。昴くんは、ホームでずっと手をふっててくれた。昴くんからは光がずっと飛び出してて、私を包んでくれていた。
私も、いつでも愛を感じていよう。そして、今に生きていよう。そう思いながら、家に帰った。
家に帰ると、リビングで母がテレビを観ていた。
「ただいま」
私が帰るとかなり、血相を変えて、
「あんた!薫さんちに泊まってたんじゃないの?」
と叫んだ。
「え?何が?」
「テレビよ。夕方のニュースでやってたわよ」
「何を?」
「あんたが、天宮昴のマンションのベランダで、天宮昴と抱き合ってるの…」
「え?!!?!」
「今朝のよ。朝早くから、彼女と抱き合ってる天宮昴って写真が写ってて…」
あちゃ~~。撮られていたか。
「あんたでしょ?どういうつもりなの?」
「ごめん。昴くんのところに泊まってた」
「……」
母はわなわな震えていたが、何も言えないようだった。
「はあ。まいったな…。また、バイト先でいろいろと言われちゃうかな~」
「何のんきなこと言ってるの?家にだって電話かかってきたり、お母さんだって、町歩いてたらこそこそ言われたりするのよ」
「そうなの?」
「あ、あんただって、バイト、クビになるかもってこの前言ってたじゃない」
「え?本当に?私が?」
こっちの次元じゃ、そんな大騒ぎになっちゃうのか。
「なんだって、こんなことするの?あんたは…」
「昴くんって、うちに来たことある?」
「ないわよ!あるわけないでしょ。来たって家に入れさせないわよ」
「え?そうなの?!」
「当たり前でしょ。ご近所の人が見たら、どうするか…」
え~~~~~?ここまで、違うの?前の次元の母は、喜んでたよ。奇麗な顔だとか言って…。父も兄も、賛成してくれたのに。何、この違いは…。
「とにかく、これ以上変なことしないで!」
「わ…、わかったよ」
私はそう言うと、階段を登り部屋に行く途中で母を見た。黒いもやもやが出たり、光が出たり、忙しそうだった。
ごめんね、心配かけてるんだよね…。そう思ったが、また心の奥底から、暗い重い感覚が噴出してくる。ああ、こっちの次元の私、母の言葉で傷ついているのか…。
もっと、もっと、感情を出してしまった方が、楽になるかもしれないのに…。少しの黒い霧が出たかと思ったら、すぐさまぱって消えてしまった。どうして、心の奥底に隠れたまま、出てこようとしないのだろう。
お風呂に入ると、昴くんから声が聞こえた。
『ひかり?聞こえる?』
『うん。聞こえるよ』
『あのさ、今朝の俺たちのこと写真に撮られてて、夕方の番組で、話題もちきりになってたみたいなの知ってた?』
『今、お母さんから聞いた』
『お母さん、どうした?』
『すごい怒ってた。こっちでは、昴くんのことよく思ってないみたい』
『実は、事務所でも…。マネージャーからずっと、連絡がはいってたのを、俺、携帯の電源オフにしてて、今さっきつながって…。もう、カンカン…』
『なんか、前の次元と違ってるよね』
『うん。でもまあ、こっちの次元の俺はもともと、わがままなやつみたいだから、マネージャーもしょうがないって言ってたけどさ…。ただね』
『ただ?』
『うん。俺が10歳も年上の女性を、もて遊んでるとかなんとかって…』
『へ?』
『俺の、評判ってどうなのよって…。こっちの昴くん、なんか今までに変なことしたことあるのかなって思ってさ、記憶たどっても、なんもないんだよね』
『そう思われてるだけじゃないの?』
『だろうな。なんてったって、もて遊ぶことができるような、やつじゃないみたいだし』
『そうなの?』
『うん。付き合ってた女性も、いないみたい』
『ふうん』
『ああ、そうそう。そういうこと』
『え?何?私何か、思ってた?』
『うん。じゃ、私が初体験の相手だったのねって…』
『……』
私、そんなこと思ってたの…?
『そうみたい』
あれ?じゃ、高い次元の昴くんは…。は!またこれも読まれちゃう。今のなしなし!
『ぷ…』
『あ、聞いてた?』
『うん。面白いよね、ひかりは…』
『だ、だって…』
『俺は…』
俺は?ってことは、違うのか…。
『あ、間違い。俺も…』
『え?!』
『い、いいじゃん。だって俺、まだ19だよ。それも女の子といちゃついてる時間も、そうそうなかったんだよ?ずっと、この業界で恋愛だって数少なくてさ』
『わ、わかったよ』
『なんだよ~~。いじめんなよ~~』
『いじめてないよ』
『冗談だよ』
『もう。それより!私、バイトクビになるかもって…』
『え?』
『この次元の私が、心配してたみたい。』
『ああ、そうなんだ。でも、大丈夫じゃない?今のひかりが心配してなかったら、そんな現実創らないだろうし。もし、そうなったら、そうなったときだよ。だってほら…』
『うん?』
『全部、必要で起きるだけだから』
『そうだよね。うん、心配しないよ』
『うん。それじゃ、今風呂でしょ?のぼせたら大変だから、もう交信切るよ』
『うん。おやすみなさい』
『おやすみ』
嬉しいな…。またこうやって、心で会話が出来る。メールや電話でのやりとりじゃなくって…。
『俺も嬉しいよ。ひかり、愛してるよ!』
昴くんから、また声がした。それから、あったかいエネルギーを送ってくれた。ほわ…。何か心の奥から感じた。ときめきと喜びとが、心の奥底から湧き上がってくる。
この次元のひかりも、昴くんからの光を感じているんじゃないだろうか…。それで、喜んでいるのかもしれないな~。
翌日は遅番だったから、しばらく家でのんびりとしていた。8時過ぎに一階におりていくと母が、電話で何か話しこんでいた。
「あ、今起きてきた…」
母は、受話器を私に渡した。
「誰から?」
受け取りながら聞くと、
「徹郎さん」
と母が答えた。こっちの次元では、これから会うことになっているのか、それとも、もう会っているのか。
バシ!
いきなり受話器をほおり投げ、私は階段を駆け上っていた。
あ、あれ…?自分の部屋に入ってから、自分の行動に私は驚いた。
母が、2階にあがってきて、
「あんた、何をしてるの?徹郎さんに失礼でしょ?」
と、ドアをたたきながらそう言った。私は部屋のドアを開けられないようカギをかけ、ベッドの布団の中に潜り込んだ。そして耳をふさいだ。
「聞いてるの?ひかり!せっかくかけてくれたのに…。この前もあんた、電話かけなおさなかったんでしょ?」
「ほっといて!!」
え?私?何で、勝手にしゃべってるの?
「もう、ほっといて!徹郎には絶対に、会いたくない」
私はそう言うと、そのまま声を殺して泣き出した。体はわなわなと震え、喉が痛くなる。苦しくて、苦しくて、どうしようもなくなる。
何?これ…。こっちの次元の私が、表面に出たの?
すう…。あれ…?私…?なんだか、意識がぼんやりとする。どんどん暗く重苦しくなる。窮屈で頭も痛くなる。何?これ…。
次の瞬間、体の中から昴くんの声がしたのに、
『ひかり。ひかり?』
って呼んでいるのに、答えようとしても答えられない。なんで…?
「何?何これ。変な声がする…」
って、私が言ってる。
『ひかり?俺だよ。昴だよ?』
『昴くん?』
『そうだよ。昴だよ?どうした?なんか、冷たいエネルギー感じたから。何かあった?』
『なんで、声がするの?』
『え?何言ってんだよ?』
『怖い!なんで?』
『ひかり?』
それから、どうやらこの次元の私が心を遮断して、昴くんの声を聞こえなくしたようだ。
ああ。私は、この次元の私の意識の表面には、出られないのかな…。
昴くん、私はここだよ…。聞こえない?昴くん。
もしかして昴くんも、こっちの次元に来たときこんなだったの?表面には次元の低い昴くんがいて、奥の方にずっといたの?
この次元の私のエネルギーは、本当に低く、心の中は暗闇が広がっていた。その中にぼんやりと、過去の記憶があった。それが、どんどんよみがえり、一緒に私は苦しみを感じていた。
走馬灯のように、ぐるぐると徹郎との記憶がよみがえった。
驚いた。この次元では、徹郎はお酒を飲むといきなり怒ったり、ものを壊したりしていた。子供が死んだのはお前のせいだと、私は思い切り怒鳴られてもいた。
これじゃ、怖いはずだ。怯えてしまうはずだ。
離婚して戻ってからの記憶は、父と兄がしょっちゅう喧嘩をしている記憶だ。その横で母が泣き、私は部屋で怯えていた。
そんな頃に、薫が時々外に連れ出してくれた。ああ、そこは同じなんだ。
そして、緒方さんに会った。だけど何回か食事をしたきり、会わなくなっていた。
それから美里に誘われ、舞台を観に行き昴くんに会った。
美里とステージの前で写真を撮っていると、たまたま昴くんが袖裏に来て、誰かスタッフの人と話をしていて、それを美里が見つけて、
「昴くんだ!」
と叫んだのだ。昴くんが会場の方に来て、ぶっきらぼうに、
「ああ。どうも…」
と頭を下げた。美里は大喜びで、握手をしてくださいとねだったけど、
「そういうの、できないから」
と昴くんは、断っていた。私はその横で、すごく奇麗な顔立ちの昴くんに見とれていた。
「……」
昴くんも、黙ってこっちを見た。それから、
「あんた、なんて名前?」
と、聞いてきた。
「私?星野ひかり」
「どっかで会った?」
「え?ううん」
「そっか…。でも、見覚えある顔なんだけどな…」
「え?」
「ああ。そうだ。携帯持ってる?」
「うん」
携帯を出すと、昴くんにその携帯を取られ、勝手に自分の携帯と赤外線通信をしてしまった。
「今度、電話する。それじゃ」
「え?!」
私も美里もただただ驚いて、その場でしばらく呆然としてしまった。
なんで?私?
帰り道、美里は隣で興奮していたが、私は何がなんだかわからず、頭を真っ白にしたまま家に帰った。
そしてその夜遅くに、本当に昴くんから電話があり、突然、
「俺と付き合ってよ」
と言われたのだ。
…どうして、いきなり、私と?
…からかってるの?
…ふざけてるの?
…私、どうしたらいいんだろうか。
…もしかして、こうやって、何人もの人と付き合ってるの?
…そうだ。私に本気で付き合ってって、言うわけがない。
そんなことを、私は一瞬のうちに思っていて、
「からかわないで。もう切るよ」
って、私は昴くんに言っていた。
「からかってないよ」
「じゃ、なんで?」
「付き合ってるやつがいるの?」
「私?」
「そう」
「いないけど、でも私あなたよりも、10歳も年上よ」
「それが?」
「それがって…」
「そんなのまったく、関係ねえよ。とにかくさ、明日昼の部だけだから、夜めしでも食おう」
「え?!」
「7時、赤坂の駅の改札」
「え?ま、待ってよ。そんなところじゃ目立ちすぎない?」
「別にいいさ。とにかく明日。じゃ」
昴くんはそう言うと、さっさと電話を切ってしまった。うわ…。ものすごい強引さ。
私はどうやら、記憶の再生を見ているようだった。
でも見てるだけでなく、体験も一緒にしている。バーチャルシアター、まさにそんな感じだ。感覚、感情、なぜかその時の匂いだったり、感触まである。
その次の日の夜7時の記憶が、よみがえった。
昴くんが、待ち合わせの場所にやってきた。現れたのは、真っ黒ずくめの昴くんだった。
「こっち…」
来たと思ったら、いきなり手を引き歩き出した。行った先は、あそこだ。美里と行った、ビリヤードのあるお店だ。
「何か酒でも飲む?」
「ううん。飲まないよ」
昴くんは、ジュースとピザやパスタを頼んだ。
食事をしながら、昴くんは私に質問をあれこれしてきた。仕事は何をしてるのかとか、どこに住んでいるのかとか。そして、食べ終わると、
「ビリヤードしようよ」
と言って、立ち上がった。こっちの私もどうやら、ビリヤードは苦手らしい。ものすごく下手だった。昴くんは、
「そういうときは、こうやって持つんだよ。こう…」
と、私の手を持って教えてくれたり、真横に来て打ち方を教えてくれた。
これ、私の次元では変な男性がべたべた触ってきて、具合が悪くなったよな…。こっちの次元じゃ、昴くんなんだ…。
昴くんは手を触ったり、横にぴたりとくっついたりしたけど、私は特に嫌悪感もなく、それどろこか内心、ときめいているようだった。
手、奇麗だな~~。横顔も、奇麗だ…。なんか、いい匂いがする。石鹸?
そんなことを思いながら、ドキドキしながらビリヤードをしていた。
しばらくビリヤードを二人でしてから、その店を出た。
「なんか、コーヒーでも飲まない?」
昴くんに誘われてついていくと、あのカフェだった。そう、あっちの次元で写真に撮られちゃった、あのカフェだ。
昴くんと、二人でその店に入りコーヒーを飲んだ。昴くんは帽子もサングラスも外して、そこでのんびりとしていた。
「ふ~…」
と、コーヒーを飲むと、ため息もつく。
「疲れてるの?」
「ううん、なんで?」
「今、ため息」
「ああ。これはなんだろう?なんか、安心したって言うか、ほっとしたって言うか…」
「え?」
「あんた、不思議だね」
「え?私?」
「うん。あ、ひかりって呼んでもいいよね?」
「呼び捨て?」
「いいじゃん。ひかりって不思議だ。一緒にいるとほっとする」
「私が?」
「うん」
そうか。こっちの次元の私といると、ほっとしてたのか…。そりゃ、私と会って、冷たい感じがして嫌だって思うはずだわ…。
「私も…。男の人って苦手だけど、昴くんは大丈夫みたい…」
「え?」
「あ。10歳も下だから、弟みたいな気がするのかな」
「弟?!なんだよ。それ」
わ…。思い切りすねた。
「ま、いいか…」
そう言うと、昴くんはぼりぼりって頭を掻いて、
「そろそろ出る?」
と言った。そして、駅まで送ってくれてそこで私たちは別れた。
記憶がまたとび、今度はいきなり母親の怒る声が聞こえた。うっすらと、母親の怒る顔も見えてきた。
「この週刊誌に写ってるの、あんたでしょ?」
見ると、カフェで昴くんと二人でいるところを、写されていた。ああ、こっちでも、あのカフェで写真、撮られちゃったんだ…。
「どういうこと?この人、俳優でしょ?」
「うん」
私は、母の声に縮みあがっていた。
「こんな人となんで、あんた付き合ってるの?」
「付き合ってるっていうか…。ご、ご飯食べて、お茶しただけ…」
「なんで、こんな人と?」
「何でって言われても…」
「もう、ご近所に恥ずかしいわ。離婚したと思ったら、こんな若い子と、それも芸能人と付き合ってるなんて…」
私は何も言わず、そのまま部屋へと逃げた。部屋に入るとカギを閉め、布団に潜り込んだ。どうやら、怒られる声が本当に怖いようだった。
そのあとも、次々に昴くんと会っている場面が映し出された。昴くんは、いつもぶっきらぼうだったけれど、特に私が嫌がるようなこともしなかったし、私はどんどん、昴くんに惹かれていってるのがわかった。
どこに惹かれたのかわからない。でも、きっとぶっきらぼうでありながら、いつでも素のままでいる昴くんに、惹かれたようだ。裏表がない。言いたいことは言う。
わがままではあるけれど、昴くんは、自分の言いたいことをストレートに言うので、その辺が私には、惹かれるところだったようだ。
私は、言いたいことが言えずにいた。昴くんがよく、
「ひかりは俺のこと、どう思ってるんだよ」
とか、
「俺は、ひかりのこと好きだよ。はじめっから、好きだよ」
って言う言葉に、戸惑っていた。
私も昴くんが、好きだ。でも言えない。恥ずかしさもあったけど、怖さがある。何が怖いのか…。どうも、嫌われるのが何よりも怖いようだった。
また、失ったらどうしよう…。そんな思いがいつも、心の奥に広がっている。大切に思うと、失ってしまう。もう大切なものを失うのは嫌だ。
失うくらいなら、はじめから持たないようにしたらいい。そういう思いがいつもあって、昴くんになかなか、心を開けないでいた。
大切なもの。何より1番は、赤ちゃんだ。こっちの次元の私もやっぱり、赤ちゃんを大事に思い、生まれてくるのを心待ちにしていた記憶があった。
流産したときのショックは、こっちでも同じだ。悲しい、苦しい、そして自分を責めていた。殺してしまったのは、私だ…。そう、責めていた。
徹郎のことも、失ったのが辛かった。いくら乱暴までする夫だとは言え、はじめは優しかったし…。浮気もされ、離婚まで言い渡され、そのショックはこっちでも同じだ。こっちの私も、3ヶ月部屋に閉じこもっていた。
その間、両親はほったらかし。兄もほったらかし。たまに聞こえるのは、兄と父親の喧嘩の声。その声に震えながら、私はずっと布団の中にまるまっていたようだ。
私よりも、さらに、さらに、閉じこもっていたんだな。奥深く、闇の中に…。
うらみ、悲しみ、苦しみ、でもこっちの次元の私の1番大きな思いは、自分を裁く心だった。
どうやら、何度か自殺も考えていたようで、部屋には睡眠薬もあった。だがある日、なくなっていた。両親か、誰かが見つけてかたづけたのだろう。
精神も少しおかしかったようで、時々幻聴も聞こえていた。心の奥底で誰かが言うのだ。
「お前が殺した。赤ちゃんを殺した。そんなお前なんか、死んでしまえ」
怖かった。こっちの次元の私の記憶とはいえ、身震いした。こんな声、私は聞いたことがない。こんな声を聞いていたら、そりゃ、心の奥底から出られなくなってしまうかもしれない。
いったい、この声の主は誰?自分なのか…。自分を裁いている、自分の声なのか…。
『ひかり…』
よみがえる記憶が消えかけた頃、昴くんの声がした。
『昴くん?』
『あ、通じた…。良かった。ずっとひかりのエネルギー、遮断されてて、どうしたかと思った』
『うん。今までこっちの次元の私が、表面に出ちゃってたみたい』
『え?そうなの?』
『うん。でもまた心の奥底に、ひっこんじゃった』
『表面に出てたときには、どうしてたの?ひかりは…』
『私?私は、心でこっちの私の記憶を見ながら、一緒に恐怖を味わってたよ』
『恐怖…?』
『うん。幻聴も聞こえてた。怖かった。死んでしまえって誰かが言ってるんだ』
『そっか。今は?聞こえる?』
『ううん。それ、こっちの次元の私の記憶の中だけだから』
『そっか…』
『ね。今、その過去を振り返るから、昴くんも一緒に感じてくれる?』
『うん。いいよ』
私は、今見た過去の記憶を心の中で、再現した。そして、その怖さ悲しみ、苦しみも感じ取った。
『ああ…。かなりきついね、これ…』
『うん』
『でも、こっちの次元のひかりにとっても、昴は救いの魂だったんだ』
『え?』
『一緒にいることで、かなり癒されてたよ』
『うん…。そうかも』
『昴もね。無意識のうちに、二人とも癒しあってたんだ』
『うん…。ぶっきらぼうな昴くんだったけど、とてもほっとできた』
『うん。そうみたいだよね…』
『こっちの次元の昴くんの記憶も、昴くん、知ってるんでしょ?』
『うん。ひかりにまじで、ひと目惚れしてる。それに、一緒にいてすごく嬉しかったみたい。でも、独占欲が強かったし、ひかりがなかなか、自分の気持ちを言ってくれなくて、俺は相当いらだってたみたい。わざと、やきもちやかせてみたり…』
『でも、それ失いたくなくて、それでみたい…』
『ああ。うん。それもさっき、感じ取れたよ。絶望したんだね、こっちのひかりは』
『うん…。愛されることも、拒否しちゃったみたい…』
『うん…』
『癒されるかな~~。そんなに重苦しいのに…。ふたして、カギまでしてる感情…。どうなのかな』
『癒されるさ。大丈夫。絶対に大丈夫』
『そ、そうだよね?』
『ひかり、俺がついてるから。低い次元の俺だって、ひかりのことものすごく大事に思ってるし』
『うん』
昴くんのあったかいエネルギーが流れ込み、あたたかいエネルギーに抱かれ安心して、私はバイトに出て行った。
バイト先ではやはり噂になっていて、主任に呼ばれ、
「悪いけど、あなた、お店の方に出るのはやめてくれる?」
と言われた。
「少しの間、事務の仕事して。わかった?」
「はい」
やっぱり、事務の仕事をすることになるんだな~~。
そこにいたのはやっぱり斉藤さんで、やっぱりこの斉藤さんは小説を書いていて、でも私も書いているんだよと言っても、なんの反応も示さなかった。
ああ、こっちの次元の斉藤さんは、なんか違ってる…。
バイトが終わると、一人で帰ろうと私はビルを出た。そして目の前に徹郎の姿があり、思い切り驚いてしまった。
ぐるりと背を向け、逃げようとすると、
「待って、ひかり」
と腕を掴まれた。私の体が震えるのがわかる。ああ、ものすごく怖がってる…。
『昴くん、お願い。あったかいエネルギー送ってて…』
心で、そう話しかけるとすぐに昴くんが、
『うん。送るよ。それにもうすぐしたら、仕事も終わるから、すぐにひかりのところに行くよ』
と言ってくれた。
『うん』
昴くんは、なんとなく今の事態を把握したようだ。
「逃げないで、ひかり。話があるんだ」
徹郎が、腕を強く掴んだままそう言った。
落ち着け…。落ち着いて、ひかり。こっちの次元の私。大丈夫。昴くんだって、ついてるんだから。
私はどうにか、心を落ち着けるようにして、徹郎に、
「わかった。わかったから、手を離して」
と言った。どうも、手を掴まれてることがすでに恐怖らしい。
「ああ…」
徹郎は手を離した。そして私は徹郎と、近くのカフェに入ることにした。