第1話
「間違っていますわ!」
グランシェル侯爵家の次女、ロレッタ。現在16歳、貴族学園の1年生。
ロレッタは、たとえ一般的な常識であっても「間違っている」と思う事は、「間違っている」とハッキリと声を上げる人物である。
今、「間違っている」と言ったのは自分の専属メイド、エレナに向けたものだ。
何もエレナが不適切な事をした訳では無い。
ロレッタの朝の支度の介助をしただけだ。専属メイドとして。
いつものように髪を梳かし、メイクを施して着替えを手伝う、という専属メイド(レディースメイド)としての職務を全うしただけである。
しかしロレッタは「自分で出来る事は自分でするべき」と言っているのだ。
興味本位や我儘ではない。
貴族令嬢として、そうするべき(そうあるべき)、と言っているのだ。
エレナも実家であるカレーリア子爵家及びグランシェル侯爵家で、高位貴族家で仕えるにふさわしい厳しい教育を受け、身に付けた令嬢でもある。
決して業務が未熟であったり、考え方が間違っているわけではない。むしろ、かなり優秀なメイドである。
グランシェル侯爵家は数ある侯爵家(といっても貴族家全体からすればごく少数)の中でも「3大侯爵家」と呼ばれる侯爵家の中でも最高クラスの1家である。
その侯爵家にメイドとして採用されたことからも、エレナの優秀さが伺える。
確かに、髪を梳かしたりメイクを施したり着替えをする事は、メイドが介助しなくても一人ですることは可能である。
中にはパーティー用のドレスなど、物理的に一人では不可能な場合もあるが、今日はロレッタの通う貴族学園の制服であり、寝衣から着替える事は一人でも難しい事ではない。
実際、下位貴族家など、経済的にメイド(使用人)を多く雇えない家の令嬢は、一人で行っている者も多い。
しかし、貴族令嬢が自分で行うのと、専門知識や技術を持ったメイドが介助して行うのとでは仕上がりに明らかな差がでる。
前述の通りロレッタは、高位の貴族令嬢である。
蔑視しているわけではないが、"学園に通う程度"とはいえ仕上がりが、経済的に事情がある貴族家と同等では問題がある。
それに、レディースメイド(ご令嬢専属メイド)という職業が存在している、という事実。
レディースメイドは一般的に"メイド"と呼ばれているハウスメイドという一般職とは違い、高度な専門知識、技能を持つ専門職であり、メイドなら誰でもなれる職ではない。
当然、レディースメイドの仕事は、令嬢の仕度の介助だけではない。
主である令嬢の勉強やレッスン、社交や趣味に至るまで、その準備や補助が業務範囲であり、更には令嬢を守るために身を挺する覚悟が必要である。仕度などは業務のほんの一部にすぎない。
(雇用主はあくまで当主であるが、レディースメイドとして専属となる令嬢が決まった場合、その令嬢が主となる。つまり、余程の事がない限り、令嬢の命令が最優先となる。補足すると、当主の命令より優先されるという事である)
しかし、決められているわけではないが、やはり令嬢を美しい淑女に仕上げる事が、レディースメイドにとって最も重要でやりがいのある仕事なのだ。
(もちろん令嬢の安全が第一だが、それは護衛の仕事)
レディースメイドという専門職がある、という事は必要だからである。
ロレッタが言っている事はレディースメイドの仕事の1つを否定するものだ。
ロレッタもそれは理解しているのだが、彼女には彼女なりの根拠がある。
しかし、現段階では受け入れられず、エレナに諭された事もあって、ロレッタはやむを得ず矛を収めたのであった。
◆◇◆◇◆◇◆
ロレッタの住むアルスハイム王国は、女性の社会進出が他国より遅れている。他国から"女性の社会進出後進国"と揶揄されるほどに。
それには、前国王が関係している。
前国王が王太子だった頃、婚約していた公爵令嬢をあろうことか一方的に婚約を破棄し、懇意にしていた子爵令嬢と強引に婚約した。
王太子妃の選定は王妃に権限が与えられており、王太子に甘い王妃が承認したのである。
この時国王は、病に臥せっており、この暴挙を止める事が出来なかった。
当然、婚約破棄された公爵家を筆頭とする派閥は王家に反発。他の派閥の貴族家も王家に不信感を抱いていた。
しかし、運の悪い事に前年に発生した大災害や、それによって引き起こされた大飢饉により、各貴族家は疲弊している上に自領の事でそれどころではなかったため、結果的にそれらを静観する事になってしまった。
さらに、その大飢饉の最中に国王の病状が突然に悪化し、崩御した。
通常であれば、王太子は、王位継承権を剥奪されてもおかしくない事態を起こしたのだが、継承順位第2位の第二王子は10歳であり、第3位は12歳の王女であり、国政を任せられる年齢ではない。
当時は大災害の復興や大飢饉による非常事態であったため、お飾りでも国王は必要である。
やむを得ず貴族議会は王太子に国王の即位を承認した。そして、婚約者であった子爵令嬢が王妃となった。
この異例な事態は貴族議会より王家や王族に条件が付けられていた。
まず、王太子の婚約者の子爵令嬢は、王族である公爵家の養女としてから王妃となること。
王妃が不在というのも問題であるため、これもやむを得ず、である。
(前王妃は、国王が崩御した時に廃妃処分となった)
国王、王妃の業務及び王宮機能の維持は王家、王族がサポートすること。
大災害の復興や大飢饉の対処に関しては口出ししないこと。金銭的支援はすること、など様々な条件が課せられる事となった。
こうして、何とか国としての体裁を保つ事が出来た。
しかし、この事により、王家や王族と各貴族家には深い溝が出来てしまった。
この状態が良くない事は皆分かっていたが、思いのほか長く続くのであった。
現国王は、そんな考え無しの国王、何も出来ない王妃の両親が反面教師となったのか、優秀な人物に育った。
そして、当時王太子であった現国王は、反発していた公爵家を含む王家の親族の協力もあり、早々に国王を退位させ、若くして即位した。
以前襲った大飢饉は、ここアルスハイム王国だけではない。
周辺諸国も大打撃を被った。
そのため、他国も自国の事で精一杯で、他に構っている余裕が無かった。
そうでなかったら、混乱していたアルスハイム王国は侵略されていたかもしれない。そういう意味では幸運であった。
その他国が劇的な速さで復興する事が出来たのが"女性の社会進出"である。
きっかけは単に人手不足だったから、なのだが、これが意外に功を奏した。
現在の周辺諸国では、"女性の社会進出"は常識となっていた。
しかし、長年に渡る男尊女卑の考えや、古いしきたりを固辞する考えを完全に払拭する事が出来ず、また社会の仕組みや法整備などまだまだ課題は多い。
周辺諸国でもそのような状況である。
外交がおろそかに(出来なかった)なっていたアルスハイム王国は、現国王になってから"女性の社会進出"に着手したのだった。
これが"女性の社会進出後進国"と揶揄される理由である。
現王妃が精力的に活動しているが、なかなか進まない。
周辺諸国は当時大飢饉による緊急事態であったため、必要性も相まって新しい考えが早く浸透したが、アルスハイム王国は、現在そこそこ安定している状態だからだ。
◆
後にロレッタによって、"女性の社会進出"の改革が一気に進歩する事となる。
そこで思わぬ問題に直面した。
過去にロレッタの言っていた「自分で出来る事は自分でするべき」という事を、当時はやむを得ず行っていた下位貴族令嬢達などが、この状況に素早く順応したのである。
焦ったのは、特に高位貴族令嬢達だ。
仕事をするのにメイドや侍女をゾロゾロと連れて、いちいち介助してもらうのは非効率的であり、何より現実的ではない。
やがて、そういった高位貴族令嬢達が、こぞって自分で出来る事は自分でするようになるのだが、それはまだ、先の話。