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中国で映画を撮った日本人   作者: 羽渕 定昭
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<江南慕情>の歌手孫静(スンチン)

<江南慕情>の歌手孫静スンチン


 私が孫静のデモテープを聴いたのは小さな電器屋の片隅でした。私は株式会社日中交流センターのO社長と中国ロケの根回しに鎮江市に訪れた時の事でした。鎮江市の日本担当者に個人的に連れていかれたのです。

彼は直前まで研修生として来日しており、私達は何度も大阪で会った仲でした。彼が研修期間を終えて帰国する直前に、私は彼にカラオケと周さんの唄入りの<江南慕情>のカセットテープを渡しておいたのです。

「私が中国語に翻訳しました。私の知り合いの女性に歌わせました」 

 3人は土埃のする道路を歩いて行きました。その道はコンクリートかアスファルトで舗装してあるのですが、まるで地道にしか見えません。日本では豪雨で泥水が道路にあふれ、その後乾いた時にしか見る事の出来ない様でした。中国の人には悪いけれど、その店は外からは馬小屋にしか見えなかった。土壁で作られた長屋の一角で、外も中も土埃に埋もれていました。中に入ると、古道具屋の様でした。彼は店に在ったカセットデッキを手に取り、埃を祓い、持っていたテープを掛けたのです。やはり、その店は新品を売る電器屋だったのです。まるで中古にしか見えなかったカセットデッキは性能の良い新品だったのでしょう。すばらしい前奏が流れ、そして美しい彼女の唄が流れました。<江南慕情>は全く昔からあった有名な中国の唄に聞こえたのでした。


彼女は鎮江歌舞団の歌姫でした。私は直ぐに歌手と演技者で映画に採用する事を彼に告げました。

翌日、南京市の要人達とのロケの交渉の席にO氏は大胆にも鎮江市にいる孫静をタクシーで呼び出し、主題歌を歌わせたのです。会議室にはカセットデッキは無く、彼女は憶することなくアカペラで歌ってくれました。歌詞もメロディも正確に覚えていて持ち歌の様でした。その日の夜、ホテルのラウンジでカラオケを流し、マイクを持って歌ってくれました。私自身、涙が流れるほど感激しました。作曲では素人の私は譜面が書けません。口ずさみで作曲した曲が中国語に翻訳され、中国人歌手によって初めて中国のラウンジで流れたのです。

 アンコールが出て、今度は客達が曲に合わせてダンスをしたのでした。そんな光景は予想も出来ませんでした。全く観客の自主的な動きだったのです。映画の成功は約束されたも同然でした。



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