南京撮影所
南京撮影所
「スタッフは3か月前に手配しないと集められない」とF氏は言いました。
F氏と私は既にレーザーディスク2曲分作った仲だったので、信頼関係が出来ていました。
「今から直ぐに手配して」と私は言いました。
「中国での撮影が許可されるかの確認が先決です」とF氏は言いました。
私とF氏はそれぞれのルートで確認を急ぎました。
「中国の撮影機材を使うなら撮影は問題ありません」の返事が返って来ました。私とF氏は早速、その機材を見に中国に飛びました。私達と旅行社の添乗員は南京の撮影所に案内されました。高校の体育館2つ分位の広さの天井の高い建物でした。中国側の担当者が静かにたたずむ建物のカギを開けて暗い建物の中に私達を中に入れ、点灯しました。天井にある照明器具を全部点けたのですが、まだ明るくなったとは言えません。4人は奥の方に進みました。
「これが撮影機です」と言って担当者が指さしました。それは確かに日本のニュース映画で見たことのある撮影機でした。そのロボットの様な物体は、つい先程あるシーンを撮り終えたばかりの雰囲気でそこに佇んでいました。レンズの向く先には実物大の戦車が有りました。今にも動き出しそうなリアルなその物体の下には少し傾斜を作る砂が敷いてありました。薄明りでしたが、よく見るとその戦車は木造に着色された代物でした。戦車の後ろには私が過って見たことのない大きな壁があり、その全面に絵の描かれた布が貼ってありました。それには砂浜と海と空が大きく描かれていました。おそらく別の照明を当てて、朝、昼、夜を表現したのだろうと想像させました。この背景と戦車の前で役者はどんな演技をして、どんな映画が完成したのだろうと興味をそそられました。
しかし私たちの目的はその映画には関係ありません。その撮影機が使えるかどうかでした。余計な質問はせずに機器を調べました。もっとも私には判る訳もなくF氏に任せていました。F氏は熱心に機器を一回りしながら、そしてレンズを覗いたりしながらチェックしました。後でF氏に聞くと、それは儀礼的なジェスチャーであり、実際は見た瞬間に使えないと判断を下していたとの事でした。それは機種が前時代の物であり、大きすぎて持ち運びが出来ず、移動しながらの撮影には無理との事でした。
私たちは場所を変え、要人と懇談をして、この機器では移動の多い今回の映画には不向きである事を訴え、日本からの持ち込みの許可を貰ったのでした。ずっと後になって分かったことは上海空港は北京政府直轄であり、南京政府が撮影を許可しても、上海空港をカメラが通過できなかったのです。天安門事件以後、北京政府はマスメディアの入国を禁止していたからでした。この事を知らず、南京政府の延期せよの指示を無視して撮影部隊が入国してしまった為、知らない内に南京政府が恐れる大問題が解決してしまったのでした。
解決してしまえば笑い話で済みますが、それは大変な事件でした。
「許可は下りていません。撮影を延期して下さい」
そのFAXを受け取ったのは渡航1週間前の事でした。私はF氏の言葉を思い返しました。
「映画の世界ではスタッフもキャストも3か月前に契約します。2か月前からはキャンセルは出来ません。キャンセルされると他の契約は無いからです」
しかも中国に持ち込む器材の購入やレンタルも済ませています。私の場合、映画経験が全くなくて信用取引は出来ず、全て前払いしています。今更キャンセルは出来ません。
私はH氏に相談しました。
「実力行使しか解決の方法はないね」
H氏は暫らく考えてから平然と言いました。
それは大きな決断でした。社会主義の国、中国相手に、南京政府を相手に、命令に逆らって、実力行使をするのです。私とH氏は30人の撮影部隊にこの悲壮な、そして危険な決意を2人だけの秘密にして、渡航を実行したのでした。