経済視察団長
経済視察団長
この映画を作る為に尽力して下さったH氏の存在は大きい。私は済視察団に加わる事になって初めてH氏を知りました。
視察団の団長のH氏は、日中経済交流研究会を立ち上げる以前に、個人的に視察を重ね、中国を研究していました。H氏が到達した中国に関する知識は次の様なものでした。
「日本の大企業は北京政府を相手に交渉を重ねている。大きな話ばかりしていて、なかなか交渉は成立していない。まして我々中小企業の入り込む余地はない。しかし、中国には南京政府が有って自治を行なっている。南京政府は旧政府であるが、まだ大きな力を持っている。対外政策は北京政府が行っているが、日中合弁企業の承認は南京政府独自で決済できる。南京市の有る江蘇省が一番固い地盤なので、我々大阪府中小企業家同友会は江蘇省を交流の相手とする」
H氏は続けた。
「中国人は古い友人を大切にする。だから何をするにも先ず古い友人にならなければならない」
「大きなことを言うのでなく、先ずは小さなことをこつこつと積み重ねることが大切だ」
H氏は日中友好で気の合うO氏に声を掛け、研究会を組織したのです。O氏は不動産業の社長であり、不動産仲間の私に誘いがかかったのです。H氏は視察旅行の団長である前に中国の古き友人でした。H氏がいないと何もできないという状態でした。
映画はH氏とO氏がいないと前には進みませんでした。しかしこの2人がいれば安心という訳でもなかったのです。H氏の見解が合っているのかどうかはやってみないと分かりません。未だ合弁企業1つ作った実績は無かったのです。 私自身いろんな要人と会うのですが、日本では想像が付いても、中国では客観的にどのような地位の人か想像できないのです。名刺を見ただけではどれほどの権限を持っている人なのか分からないのです。
しかも中国は社会制度が違い、体制が違うのです。そこに人事異動や体制変更が頻繁にあるのです。中国政府が大きな進路変更をしたり、天安門事件で微妙に進行状況が変わったりしていたのでした。こんな関係からも私は一層薄氷を踏む思いだったのです。
「映画を作りたいのです」
私は余り親しくしていなかったH氏に恐る恐るこの場違いな計画を打ち明けました。
「面白いやないか、手伝うよ」
軽く請け負って下さったが、その時、それほど深く手伝って貰えるとは思いませんでした。しかし、まるで映画製作委員会のメンバーの様に中国側との交渉を引き受けて下さったのです。おそらく、H氏は経済交流の試金石だと位置付けたのだと思います。日本側と中国側にどれだけの力量が合って、どこまでやる気があるかをお互いが知る機会だと位置づけたのだと思います。