第一話 死者に会う呪術(8)
一週間経って訪れた手塚邸は一変していた。
門をくぐってすぐから庭へと続く中道一斉に、白バラが咲き誇っている。
暫しその様に見とれていると、キョージュがなにやら理由をつけて、依頼人の手塚氏を庭のほうに引っ張ってきたようだ。
一息大きく吸い込んで、バラの香を堪能した後、キョージュが言った。
「たいへんよく手入れされたバラですね。もうアレの影響も無くなりましたし、これが本来のお庭です」
なるほど猿の手があるうちは蕾も付けられなかったということか。この前に来たときはこれがバラであることすらわからなかった。
手塚さんも目を細めてバラを眺めていた。思うところがあったのだろう。こころなしか目頭が潤んでいるようにも見えた。
「これは妻のバラです」手塚さんは言った「妻は庭いじりが好きでした。生前は、暇さえあれば庭に出ていました」
「いや、そんなことはありませんよ」
「は?」
キョージュは何を言っているのだろう。手塚さんも私も狐につままれたような顔でキョージュを見た。
「奥様は、別に庭いじりが好きだったわけではありません」
「でも、妻は…」
「奥様は、このバラが好きだったのです」それまでじっとバラだけを見つめていたキョージュは、不意に振り返って手塚さんに尋ねた「このバラは、どんなバラなのですか?」
「いや、私は花には詳しくないので、これがバラだということしか…」
キョージュと手塚さんはいまひとつかみ合っていなかった。キョージュはいつものとおりだが、手塚さんは戸惑っていた。
「質問の仕方が悪かったようです」キョージュは詫びた「このバラはだいぶ年数を経たバラとお見受けしました。こちらのお宅を建てられた時に植えられたものですか?」
「いや、その前だと思います…。この家を建てる前はアパート暮らしで、その頃は確か…、鉢植えで」
「あるいは?」キョージュは意味ありげに微笑んだ「ご結婚の記念とかではないですか?」
「いや、違う」手塚さんの声が急に大きくなった。その表情から何かを思い出しつつあるのがわかる「結婚前です。あれはプロポーズする少し前に」
「結婚前でしたら、まだ奥様ではありませんね」こまかいヤツだ。そんなことはどうでもいい。
「あ、はい。…その恋人というか、告白もしていなかったから彼女とも言えない。…良子が入院して、見舞いに行ったんです。まあその頃は常識もない若造でしたら、病人の見舞いに鉢植えなんて、と、みんなに笑われて…」
手塚氏は大きく目を見開いて、眼前の白いバラをまじまじと見つめた。
「まさか…、あのバラなのか? これが?」
妻を亡くした初老の男が見つめていたのは、正確にはバラの花ではなかった。嫣然と咲き誇る白いバラ、そのバラの上にかぶる、
白い影。
「…良子。そうなのか? これが、あのバラなのか?」
キョージュが二の腕を掴んでつんつんする。耳元に小声で囁く「来てるんですか?」
あわてて、二度三度と頷く。確認したキョージュは強引に手を引っ張って私を門の外に連れ出した。
「痛、痛い。そんな引っ張らないで」いちおう配慮して小声で不満を告げる。
「あ、ごめんなさい」
もう門の陰で二人?は見えない。キョージュは手を離した。
「どういうこと?」
「どうって、あなたが見たとおりですよ」キョージュが答えた「奥さんは、バラが好きだったんじゃなくて、ご主人に貰ったあのバラが好きだっただけです」
「それはわかるけど。そうじゃなくて、どうやって奥さん呼び出したのよ」
「ああ、そのことですか」さして興味もなさそうな口振りでキョージュが言う「呼んだのは手塚さんです。それと、あのバラ。僕は手助けしただけ」
顔が真っ赤になった。言われて気づくとは、こんな当たり前な、恥ずかしい。
「近しい人が亡くなるというのは、一般の人にはかなりのショックらしいですからね。うっかりやり方を間違えるくらいは、よくあることなんじゃないですかね」
僕にはよくわかりませんけど、とでも言いたげに、キョージュは塀からこぼれる白いバラ、その向こうを見つめていた。
<死者に会う呪術 − 了>