第八話 霊魂の籠る壷(6)
川のぼりの旅であるから、船の横幅より川幅が狭くなれば必然的にクルーズはおしまいである。
クルーズがおしまいということは、上げ膳据え膳、昼寝の時の団扇からそよぐ風も無し、ということである。余計な酔っ払いがついてきたことを除けば、総じて快適な船旅だっただけにやや残念ではある。
ま、どうせ本部の用意した話だし、こんなもんだろうとは思っていた。後はあの酔っ払いと壺をかついでナイルの始源探しということだ。
私たちが船を降りる時は、少しばかり大変だった。いろいろ事情があるらしい『壺』との別れをスタッフたちが惜しむのはわからないでもないのだが、どういうわけか、私にもすがってくるスタッフが多かったのには驚いた。遠巻きに拝んでいるらしい人もいて、どうにも座りが悪い。シモンにどういうことなのか問うてみたのだが、なんとも要領を得ない話しぶりで、なんどかやりとりをしてみて諦めた。私にはアラビア語なんかわからないから直接話しするわけにはいかないし。シュンコウさんには、ぜったい聞きたくなかったし。
ほろ付きのジープの後部座席に壺とシュンコウさんを置いて、助手席に座る。運転はシモンにお願いした。
「運転してやるって言ってるのに」後ろでシュンコウさんがぶつくさ言っている。
「シュンコウさんが運転したら、飲酒運転になるじゃないですか」
「ほんっと、世間知らずだよなあ、アキは」シュンコウさんが壺をなでながら声を張り上げる「エジプトには飲酒運転をとりしまる法律なんかないぞ」
そのかわり、運転しなくても、お酒飲んだだけで鞭打ちだけどね。どこから見てもあからさまに異教徒だから大目に見てもらってるだけなのに、調子に乗りやがって。本当に、イスラムの教義とか関係なしでも、こいつは縛り首にしてほしい。
シュンコウさんはヒマそうだ。壺に何かを語りつつ、ときどき思い出したようにこっちに話をふる。酔っ払いが壺に語りかけていたりするのは、ごくごく普通のことなので無視すればいいのだが、こっちまで巻き込まれるのは非常に迷惑だ。
「アメントも故郷に帰ってきてうれしいよなあ、なあ、アキもそう思うだろ?」
壺の気持なんかわかりませんが。
「もうすぐアメンにも会えるしなあ」
アメンというのを聞いた壺がほんのり輝きだし、それは長く淡い青色の光を保って続いた。やっぱり、うれしいんだろうか?
それにしても、
船のクルーやサービススタッフがアマルナの末裔でアトン崇拝だとすると、どうしてアメン神や、アメント神を崇めるのだろう? アメンホテプ4世、イクナートンはアメン神を崇拝するのを禁じて、石碑のアメン神の名前まで削り落とさせたハズだが…
「なぜ、アメントをアマルナの神官が奉るのか不思議か?」
こちらの心を見透かしたようにシュンコウさんが問うてきたので、無視した。
「なあ、アキ」シュンコウさんはしつこい「そもそも、アトン神て、いったい何だろうな?」
「太陽神かなにかだという話ですけど?」面倒くさいので適当に流す「イクナートンがアメン神の代わりに、最上神にしたんでしょう?」
「問題はそこさ」シュンコウさんは壺をかき抱いて話し続ける「いままで信仰されていた神様の代わりに、急になんだかよくわからない神様をどこからかひっぱてきて、「今日からこの神を崇めよ」なんて言ったところで、どうにかなるもんだと思うか?」
「どうにもならなかったから、揉めたんじゃないんですか? イクナートンの死後、またアメン信仰に戻っちゃったんでしょ」
「アメンに戻ったのは、アトン神がいなくなったからだよ」
「何で、神様が急に出てきたり、急にいなくなったりするんですか」
「アトンってのは、いろいろ変ったところがある神様なんだが、特徴のひとつに両性具有ってのがある。まあ、性別のない神様ってのは別に珍しくはないんだが、エジプトでは稀だな」
「あの、話が、あっちゃこっちゃ行っちゃってますが…」
「まあ、聞け、アキ、それでな…」
いいかげんにしてくれないかなぁ。シュンコウさんの腕の中の壺はほのかに光を明滅させている。壺も迷惑そうである。
「普通、神様をすげかえるときはだな。今いる神様よりグレードアップしたやつをもってくるんだよ。そうしないとみんな納得しないからな」
「知りませんよ、そんなこと。神様すげかえたりしたことありませんし」
「だからぁ、黙って聞け、ってば」
はいはい、もう知らん、勝手にしろ。
こっちが、無視してだんまりを決め込むと、シュンコウさんはかさにかかって話し続ける。
「たとえば、だ。太陽神にたいして、月の神様を持ってきても、見劣りするわな。なんて言っても、太陽と月じゃ、太陽のほうが偉そうだからな。じゃあ、どうするか。太陽と月を合体させて太陽月神を誕生させるわけだ。それで、こっちのほうが太陽神よりエライ、今日からこっちが本当の神様だ、ってやるんだ」
何を言ってるんだ? この女? とうとうアルコールで脳細胞が壊死し始めたか。
「でも、神様をくっつけるなんてのは、なまなかなことじゃできないんだ。アメンホテプ4世てのはかなりの能力者だったんだろうな。まがりなりにも当時最高神とされていたアメンと…」
なんだか、どうでもいいことをだらだらしゃべっている。本当に酔っ払いというのは、もう…。
「で、なあ、アメンは男神だろ…、で、アメント…、はぁ…、女…」
なんか、おとなしくなったなあ、と思って、後ろをのぞくと、シュンコウさんは壺を抱いたまま寝息をたてていた。
やれやれ。
「シュンコウさん、寝ちゃった」運転席のシモンに声をかけると、シモンは笑いながらピースサインを出して、ハンドルを大きく右に切った。
「シモン、って目的地知ってるの?」シモンの迷いのないハンドルさばきに、少々不思議な気持ちがして問うてみた。
「シリマセン」
「たいへん、じゃあ、シュンコウさん起こさなきゃ」
「タイヘンナイヨ。ダイジョウブダヨ」シートから身を乗り出して手を伸ばし、シュンコウさんを目覚めさせようとする私を、シモンが止めた「ミチハ、ツボ、オシエテクレル、ヨイツボダカラ」
「壺が?」
「ソウデス」シモンは前方を見据えたまま、大きくうなずいた「ヨイツボ、オシエテクレル。シュンコウさん、ヒミツハナスノヨクナイ。ネムラセマシタ。ダイジョウブデス」
「眠らせたって…、シモンが?」
「シモン、ソンナコトシマセン」シモンは首を振りながら私に向かって微笑んだ「ツボハ、ヨイツボダカラ、ミチオシエル、シュンコウさんネムル、ダイジョウブダヨ」
壺は我が意を得たりと輝きを増す。
まあ、確かにそうかな。
眠っているシュンコウさんは、起きているシュンコウさんより何倍も素敵だ。