第八話 霊魂の籠る壷(1)
「アキちゃ~ん」
ソンコさんが呼んでいる。
「お仕事よ、お仕事なのよ~」
ソンコさんは私の上司であるから、仕事のことで呼ばれるのは当然といえば当然なのだが。
「ね、ね、すごいでしょ。これ、これ、本物なの」
はあ、とため息をついて、ソンコさんのデスクに置かれたモノを見つめる。
古い壷だ。素焼きで、何かをかたどった蓋のようなものが乗っているが、あちこち傷んでいて、うっかり触ったら壊れそうだ。
「何が、どう、本物なんですか?」
そんなこと、問うたところで身にはならないとは思うのだが、いちおう尋ねてみる。
「ふふふ」ソンコさんはなにやらうれしそうだ「エジプトよ。アキちゃん。エ・ジ・プ・ト。ナイル川を船で遡るディナークルーズ、ね、素敵でしょ」
あらためて机の上の壷を見る。よく見ると、こいつには見覚えがある、とは言っても昔写真で見ただけだが。
「魂の壷、ですか?」
「大当たりぃ」ソンコさんはワザとらしく両手を広げて見せた「さすが、アキちゃん、飲み込みが早いわ。もう航空券は手配してあるし、着いてすぐのホテルも予約してあるから、もちろん三つ星よ。三つ星。そこで一泊してもらって次の日はもう船」
「お断りします」
「船もねぇ、ほとんど貸切みたいなものだから、気分は女王様よ。クレオパトラよ。さあ、アタシにかしずきなさい、てなもんよ」
「行きませんから」
「食事もお酒もよりどりみどりよ。ナイルの岸辺を眺めつつ籘のソファに寝そべって、のんびり川を上っていくのだわ」
「行かない、って言ってるでしょ。そんなにナイルの船旅がお気に召してるんなら、ソンコさんが行ってください」
「イヤよ」ソンコさんは真顔で答えた「あそこの料理は口に合わないし、何より埃っぽいうえに日差しがきつすぎてシミできちゃうもの」
「じゃあ、私もイヤです」
「そんなこと言わないの」ソンコさんは私のおでこを人差し指でツンツンした「もう、アキちゃんてば、わがまま言わないの。お仕事だって言ってるでしょ」
「だから、嫌なんだってば」とうとう私は声を荒げた「仕事、ってことは、これ、入ってるんでしょ。中身」
「あ、ぁああ、入ってるわよ」ソンコさんは、ふふんと鼻でうそぶいた「だって、仕事なんだから、入ってるの当たり前でしょ」
何をいまさら、という顔で挑発的な眼差しを私に向けるソンコさん。こいつ、開き直りやがったな。
「キョージュに行かせればいいじゃないですか、キョージュに」
「だめよ、キョージュなんかにやらせたら、この場で中身ごと壷消しちゃうでしょ」
「それで、何の問題があるんですか?」
「ねえ、アキちゃん、ちょっと考えてみてくれる?」ソンコさんは一見しおらしく語りだした「来世を夢見て三千年の長い眠りについたというのに、こんな最果ての異国の地に拐われて朽ち果てるなんて、無念だと思わない? 可哀想だと思わない?」
この壷の中身は、自ら進んでこんな壷に入ったわけだし、自業自得だと思うが。だいたい、壷だけならまだしも、欲ばって財宝まで一緒に埋めるから盗掘にあったりするんじゃないか。
「ね、かわいそうでしょ。壷の中身だって、きっと故郷に帰りたいわ。そうに違いないわ。だからあんなことが…」
「あんなことって、どんなことですか?」
「あら、たいしたことじゃないのよ」ソンコさんは、しれっと言う。わざとなのか天然なのか判断がつかない「この壷の持ち主とか関係者とかが原因不明の病気とか不慮の事故で死んでるだけ、よくあることでしょ。こういうのは」
「確かによくあることですけど、なおさら嫌です」
「ねえぇ、アキちゃん、よく考えて」ソンコさんは、こびっ、とシナをつくった。まあ、男には効くかもしれんが、私には無意味だぞ「もし、キョージュがこの壷、浄化しちゃったら、『いたちのなんとか』みたいなのでアタシたちにもとばっちり来るかもしれないじゃない」
「たち、ってのは何だ? アタシたち、ってのは? まるで私が関係者みたいじゃない?」
「だからぁ」諭すような口調でソンコさんは言った「関係者なの、アキちゃんは。この壷、術師会が買ったんだから」
「何?」
「そうしないと前の持ち主から障りが移らないでしょ。形式上、アキちゃんのボーナスから特費で引いといたから、今の持ち主はアキちゃんなの。ああ、お金は来年のボーナスに特別手当加算付きで戻すから心配しなくていいよ」
「こらあ、そういう問題じゃないだろ。何勝手に他人のボーナスから金抜いてこんな得体のしれないもの買うんだよぉぉ」
「だってぇぇ、買う前に言ったら、アキちゃん怒るじゃない」
「あたりまえだぁぁぁぁ」
そのとき、詰所のドアが開いて一人の男性が現れた。
「タカちゃ~ん」
「ショウちゃ~ん」
中年の夫婦は向き合うと、互いの瞳を見つめ、彫像のように抱きあった。
術師会会頭、タモンさんは、ソンコさんのご主人である。術師界隈ではいろいろ言われている二人らしいが、私に言わせれば、ただのバカップルだ。
たっぷりとお互いのぬくもりを確かめあったあと、おもむろにタモンさんが私の方を向いた。
「アキハさん、ありがとう」タモンさんは言った「こんな難しい仕事を引き受けてくれて、感謝の言葉もありません」
我に返った私は、全力で首を左右に振ったが、タモンさんの目には入らないらしい。
「ほんとにありがとう、アキちゃん」
違うぞ。絶対に違う。
「じゃ、アタシたち、これからデートだから、あとはよろしく」
言い残したソンコさんがタモンさんと一緒に消え、同時に詰所のドアが閉じた。
声も出せずにたたずむ私に、壷がぽぉっと輝いた。
壷に同情されるようじゃ、おしまいかも、そんなことをぼんやりと考えていた。
諸般の事情で半年ほど休んでおりましたが、ぼちぼち再開しようかと。
どの程度のペースでいけるか(そもそも続けられるのか?)微妙なところではありますが、いちおうがんばってみます。