第六話 風に乗る封神(9)
シュンコウさんの足は、全治八週間だった。
たぶん、私がやった分は二週間くらいだと思う。
後でグチグチ言われるのも嫌なので、見舞いに行った。
病室に行くと、何故か、サンタの彼女がいた。まあ、同じ病院だし、それほどおかしくはないのかもしれないが。
「こんにちは、アキハさん」サンタの彼女が挨拶した。シュンコウさんは寝ていた。
「あ、どうも」
「ちょうどよかったわ」彼女は言った「サンタ呼んでくれる? 今日はまだ来てないの」
事情がわからず、ぽかん、としていると、彼女が微笑みながら付け足した。
「あら、ごめんなさい。アキハさんはまだ聞いてなかったのね。この人の左半身、サンタの担当になったの。私が呼びに行ってもいいんだけど、時々逃げられるから…」
「あ、そう」そういう話になったのか「じゃ、呼んできます」言われるまま、サンタを呼ぼうと病室を出ようとする。
「あら?」彼女は首をかしげた「アキハさんなら、ここからでも呼べるんでしょう?」
彼女の言葉に一瞬、え? と思ったが、すぐに例のとんぼ玉を思い出した。鎖をひっぱって取り出そうとしたが、サンタに貰ったものだということもあって、少し躊躇していると、それを察して彼女が言った。
「気にしなくていいのよ、アキハさん」彼女は笑う「あなたがいろんな人から守られてるのは知ってる。サンタもその一人。それはサンタのお仕事だし、その護符は仕事に必要なものだから」
「あ、はあ」なんだかよくわからないが、彼女がいいと言ってるんだからいいんだろう。取り出した護符に向かって念を込める。
「あんまりこういう使いかたは感心しないけどなあ」ブツクサ言いながらサンタが現れた。
「あなたが逃げなければ、アキハさんに頼んだりしないわよ」彼女が言う「もう逃げない、って約束する?」
「逃げたことなんかないよ」
「嘘ばっかり」
こんな顔のサンタをみたのは久しぶりだ。彼女の前でないと、この顔はしないんだな。
サンタは寝ているシュンコウさんの左に立ち、手をかざした。サンタの手が、ぼうっ、と緑色に光る。
視線に気づいたらしいサンタが、私のほうを向いて言う「まさか青でやるわけにもいかないだろ。ルミが見てるのに。赤じゃ治療にならないし、これぐらいが調度いいんだ」
そうだ、思い出した。サンタの彼女の名はルミだった。
「私は気にしないよ」ルミが笑う「サンタが誰を好きでも」
青は愛情、赤は憎悪、そして緑は尊敬だ。
ベッドに横たわるシュンコウさんの穢れを、サンタが緑の手で浄化していく。この人を尊敬しなければならないとは、サンタの努力を思うと涙が出てくる。
ちょっと気になったのでルミに問うてみた「そう言えば、この病室で何してたんですか? あまりお見舞いにも見えなかったけど」
「ああ、アレ?」ルミはまた笑う「そうねえ、どう説明したらいいかな…。私ね、嫌いな人からいろいろ取って、好きな人にあげられるの。ずっとサンタにあげてたんだけど、それはダメだって、この人に言われたでしょ。だからそれはやめたんだけど、吸い取ったものため込むのはあまり良くないから、この人に引き取ってもらうことにしたの。まんざら知らない仲でもないしね」
「ため込むとどうなるの?」
「太るのよ」ルミは言った「ね、こまるでしょ。だから、私にとっては、いちばんお手軽なダイエットなの。この人なら少しぐらい太ってもかまわないかな? と思って」
まあ、こんだけデカいからなあ。病院じゃ酒も飲めないだろうし、調度いいんじゃないかな。
「はい、今日の分はおしまい」サンタが言った「じゃ、俺、帰るから」
「ゆっくりしていきなよ」サンタを引き止める「私が帰るよ。後はお二人さん、仲良くね」
「こんな婆さんと一緒じゃ嫌だ」サンタがシュンコウさんを指して言う。
「じゃあ、自分の病室行けば?」
「あんな変な死体みたいなのが寝てる部屋は、もっと嫌だ」サンタが言う。
ま、それもそうか。
「いいよ帰って」ルミが言う「私がサンタの店に行くわ。もう逃げないって、約束したし」
サンタは、チェシャ猫のように、笑みだけ残して消えた。
「じゃあ、私も行くわ。あなたなら、まかせても大丈夫そうだし」ルミはそう言い残して病室を出た。
サンタとルミがいなくなった病室、シュンコウさんをじっと見つめる。
がばっ、とシュンコウさんが上体を起こした「行ったか?」
「ええ、まあ」あいまいに返事する。
「どうも、あの女は苦手だ」ぼりぼりと腋の下をかきはじめるシュンコウさん、だからね、アンタ…「アイツ、ここの看護師でな、夜勤専属みたいに仕事してて、昼間はサンタの病室で寝てるんだよ。なんか、婦長に抱き込まれて、ここにきて監視まがいのこと始めやがって、本当に、もう」
監視されなきゃいけないようなこと、アンタがやってるからだろうが。
「で?」とシュンコウさんが小声でうながす「持ってきたか?」
無言で、カップ酒、三本をバッグから出して、シュンコウさんに差し出した。
「おお、これこれ〜」
「ほんとに大丈夫なんですか、こんなところで?」
「何にも知らないんだなあ、アキは」シュンコウさんが飽きれた顔をして諭す「いいか、いま入院してるのは、整形外科なんだ。足が折れてる以外は健常者と変わらないんだ。病院暮らしってのはストレスも多くてな、医者がストレス解消に飲酒を奨めてるくらいなんだぞ」
まあ、好きなように言ってくださいよ。私は、もう知らん。
「じゃ、帰りますんで、これで」
「おお、また、よろしくな」
次はないよ。
帰りしなに、ナースステーションによって、受付にいる看護師さんに話しかける。
「すみません、三田高彦さんの病室はどちらでしょうか?」
「三田さん?」看護師さんは怪訝そうな顔する「ちょっとお待ちください」
そう言った彼女は端末を操作して、二度、三度、タッチペンを動かすと、納得して、答えた。
「ああ、その人、五階の患者さんですよ。ここは整形外科なんです。階が違いますね」
「あ、そうなんですか」私はすまなそうに返した「六階だって聞いてたものですから、間違えちゃった、すみません」
「いえいえ、よくあることですから」
「あの〜」ここで、わざとらしく声を潜めて、看護師さんにむかってつぶやく「話は変わるんですが、ここの病院って、病室でお酒飲んでもかまわないんですか?」
「え?」看護師さんの表情が一気に曇る。
「私、病室のぞきながら三田さん探してたんですけど、ベッドに座ってお酒飲んでる人がいて〜」
「どこの部屋かわかります?」看護師さんが顔を近づけて耳許でささやく。私は黙ってシュンコウさんの病室を指さした。
「また602号室ね」看護師さんは憤怒の形相で立ち上がった「抗生剤投与中は、飲酒厳禁ってあれほど言ってるのに」
廊下が揺れるかと思う程の足取りで、看護師さんは602号室に向かう。
まあ、医者が奨めてるって言うくらいなんだから、看護師さんの説得なんて、朝飯前ですよね。シュンコウさん。