第六話 風に乗る封神(4)
朝風呂からあがったシュンコウさんは、私が昨日、洗濯した鈴懸を頭から被る。ボロ雑巾みたいな袋を肩からかけて、玄関で草履を突っかけると、思い出したように私に声をかけた。
「おい、アキ、サンタのところに行くぞ」
え? 私も行くの?
シュンコウさんと並んで歩くと、露骨に酒臭い。私まで酔っ払いと思われるのは迷惑なので、少し離れてついていく。
「あ、シュンコウさん、ここ、ここですよ。サンタの店」
私の言葉には耳も貸さず、シュンコウさんは、ファントム・ショップ・サンタの前を素通りして行く。
サンタのところに行く、って言ってなかったか、シュンコウさん。
店の裏手に回って道路を渡る、シュンコウさん。あれ、もしかして、サンタのところって…。
病院の玄関から病棟の廊下へ向かう。やっぱり、そうだ。
5階の例の部屋、ここまできたら帰るわけにもいかないし、ええい、しょうがない。
シュンコウさんの後ろについて、部屋に入った。
「よ、ひさしぶり」シュンコウさんは、袋から干物みたいなものを取り出して、サンタの彼女に手渡した。
「あら、どうも」
サンタの彼女は、パイプ椅子から立ち上がって、シュンコウさんに椅子を勧めた。
「いや、いい、すぐ帰るから」
「あら、あなた」サンタの彼女は、私のほうを見て笑った「この前、来てた方ね」
げ、気づかれてたのか。ちょっと狼狽えてしまい、ごにょごにょとわけのわからない返事をしてしまった。
「すまないけど、時間無いんだ、単刀直入で言わせてもらう」シュンコウさんが切り出した「あんたがサンタにやっているアレ、やめてもらえないか?」
ふふ、と彼女はわらった「やっぱりバレてたのね。サンタがそう言え、って?」
「いや、そうじゃない」驚いたことにシュンコウさんは真面目だった「あんたがどう思ってるかは知らないが、アレは、サンタにとってはあまりよくないんだ。おそらく…」シュンコウさんは少しためらっていたが、どうやら思い切ったらしく、彼女に言った「サンタが目覚めないのは、アレのせいだと思う」
「そうなの?」初めて彼女は動揺を見せ、ベッドに横たわる植物状態のサンタに視線を落とした「私は、サンタを助けようと思ってたのに…」
「いや、普通はそうなんだ、そうなんだが…」シュンコウさんの声が大きくなる、横から脇腹をこづいてやって、やっと声のトーンが下がった「サンタはいま極めて特殊な状態なので外側から霊力補給すると、極端にバランスが悪くなるんだよ。なんというか、うまく説明できないが、わかってくれ」
「わかった」彼女は肯いた「私、ジャマだったんだね」
「いや、だから、そうじゃないんだよ、その…」シュンコウさんは早口で続けた「見舞いだけなら、いままでどおりで。そのほうがサンタにも良いと思う。あと、サンタが来てるときに無視するのやめてくれないかな。その…、サンタには、もう別れ話しないように言っておくから…、それが嫌で知らないフリしてたんだろ」
ここで、ぷっ、と彼女が吹き出した「それもバレてたの? うまく、やってた、と思ってたんだけど」
「サンタは鈍いから気づいてないと思います」私はやっとそれだけ言えた。
「じゃ、サンタによろしく」そう言って、シュンコウさんは右手をあげると、去ってしまった。
私に、さっきの話をサンタに言え、ってか?
そのために付き添わせたんだな。
でも、何でシュンコウさんは、サンタを避けてるんだろ。
成り行き上、しかたないので、ファントム・ショップ・サンタに寄る。
店に入るとすぐにショミが駆け寄ってきた。
「アキハ」何故かショミの瞳が潤んでいる「キョージュに金で買われたって、ホント?」
「な、な、な」
なんですとー。
「いったい誰が、そんなことを」
「じゃ、違うの?」
「違うに決まってるでしょーが」怒りが沸点を超えて、爆発しそうになったところで、視界にサンタの顔が入った「どういうことよ。サンタ」
「知らないよぉ」サンタはあいかわらずだ「みんな言ってるよ」
「みんな、って、具体的に、誰だ?」事と次第によっては血の雨降らすぞ。
「みんなは、みんなだよ」サンタが言う「それ以上、どう言えっていうのさ」
「名前を言え、名前を」
「名前ぇ」サンタはかったるくてしょうがない、という風に指折り数え始めた「この界隈だと、まず、タモンさんだろ、ソンコさん、レイカとカゲもそんなこと言ってたな、萬山のジイサンなんか、わざわざうちの店まで来て吹聴していったし…」
「アタシもママから聞いた」
な、な、な、なんだとぉ。
「アキハ、正直に言って」ショミが私の両肩をつかみ、目をまっすぐに覗き込んだ「昨日の晩はどこにいたの?」
「どこって、そりゃ、キョージュの家」
ああ、とショミがため息をついて、サンタと目でやりとりする。
「違う、違う、誤解だってば」あわてて説明する「昨日は、いきなりシュンコウさんが来て、それでキョージュのお養父さんも来て、シモンも混ざって酒盛りになっちゃってそれで…」
「じゃあ、聞くけど」ショミが重ねて問う「ここ一週間でどれくらいキョージュの家に泊まったの?」
「ええ〜」なんだよう、なんか私、不利じゃん「一週間、っていったって、昨日はまず酒盛りでしょ。その前の日は、キョージュの帰りが遅かったから、晩ご飯温め直して食べさせてたら十二時まわっちゃったんで。それでその前はDVD見てて遅くなったんで、物騒だから泊まっていけって言われて。それでその前の日はキョージュもシモンも外出だから留守番で。それでその前がBS昭和の歌で八代亜紀が出てくるまで粘ってたら遅くなって。その前が…」
「もう、いい…」ショミがうなだれて悲しそうに言った「アキハ…、信じてたのに…」
「だから、違うんだよぉ」なんか、涙が出そうになった「キョージュにご飯作ってるのはお仕事で、それで、テレビが部屋に入らなくて、キョージュん家に移したから、キョージュん家いかないと、テレビ見れなくて、それで、食事の支度とテレビだけだと暇だから、掃除と洗濯して、だから、だから、だからぁ…」
「なんちゃってぇ」ショミが顔をあげて舌を出し、両手をほっぺたの横で広げてみせた「みんな知ってるよーん。アキハ、ってからかうとおもしろーい。ほんと、カワイイんだからぁ」
「な、な、な」
舌がもつれて言い返せないでいると、サンタが、ぼそっ、と言った。
「世間じゃ、そういうの、金で買われた、って言うんだけどな。覚えておいたほうがいいよ、アキ姉さん」
「な、な、な」
「そう言えば、シュンコウの婆さん、来てるって?」
「あ、ああ、来てるけど」サンタ、いくら何でも、婆さんはないんじゃないか? 「そう言えばシュンコウさんから、サンタにことづけが…」
「知ってる」皆まで言わさず、サンタが告げた「さっき聞いてたから」
「聞いてた?」
「ほら、例のとんぼ玉」
「ああ」言われてペンダントの鎖をひっぱり、サンタにもらった護符を取り出す。
「わあ、キレイ」覗き込んでショミが言う。
この護符はサンタの霊体を飛ばすときの目標になる。盗聴器代りに使えるとは知らなかった。ま、サンタに聞かれて困ることなんかないけどさ。
「あれ? デザイン変えたんだ?」護符を見たサンタが言う。
「あ、うん」
「ちょっと見せて」サンタは鎖の先についた護符をしげしげと見つめる「稀介のこけし針じゃない、どうして?」
「キョージュに貰ったんだよ」実は、サンタに貰ったとんぼ玉と、父さんのこけし針を合わせて遊んでいるうちに、はずれなくなってしまったのだ。とんぼ玉はともかく、こけし針は身につけていたかったので、ペンダントにして首から下げることにした。
「へえ、俺が何度頼んでも、絶対くれなかったのに、アキ姉さんにはあげるんだなぁ」
「あたりまえじゃん」とショミが言う「サンタなんて、全然かわいくないけど、アキハかわいいモン」
なんか、いろいろうやむやになってしまった気がするけど。彼女の件をサンタに説明せずにすんだので、まあ、良しとしておこう。