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術師たち  作者: 二月三月
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第一話 死者に会う呪術(5)

 

「アキハさ〜ん、もし良かったら、シャワーどうぞ。何故かガスがダメみたいで水しか出ないんですけど。今日は暑いから水だけでもけっこうすっきりすると思いますよ」


「…」


「あ、覗いたりしないから大丈夫ですよ」


「いいですよ、別に。覗いても」


「…え?」


「命の保証はしませんけど」


「…」


「冗談です。せっかくだから、いただきます」


 これ寝間着代りにどうぞ、とキョージュから浴衣を受け取った。ソンコさん、こんなものまで持ってきてたのか。手回しのいいことだ。


 念のため、洗面所のドアを内側から掛け、浴室に入る。


 滴る水を背中に感じながら、さっきのキョージュの説明を頭の中で反芻した。


 あれは、人間の手なんです、と、キョージュは言った。


 猿の手というのは隠語で、実際には中国のとある高僧の手なのだそうだ。


 弟弟子が自分より先んじて戒壇を受けたことに嫉妬した修行僧。暫くその嫉妬心を隠して修行に勤しんでいたが、遂にそれが凝って獣の手となった。僧は己の心弱きことを恥じて即座にその手を切り落としたところ、師がそれを認めて戒壇を授けたという。


 依頼主の手塚さんは猿の手が反魂に使えると誰かに聞いたのだろう。しかし手に入れたものは人間の手のミイラ、それも得度の際の煩悩落としでは、使者の魂を呼び戻すのにはあまり向いていない。呪物としてみれば一級品なのがなおさら始末に悪い。とうとう手に負えなくなって、こちらに話が回ってきたということだろう。


 そもそもそんなものを「猿の手」などという隠語で呼ぶのが間違いではないか?


 ふと、そんなことを考えたが、何故だかひどく気になる。当面、猿の手以外に気になるモノなどないはずなのだが。


 シャワーを止めた。


 水だけでもそれなりの爽快感は得られるものだ。特にいまのような状況では、ちょっとした心のくつろぎがうれしい。


 バスタオルで体を拭き、浴衣に袖を通す。無地の帯を占め。鍵を開けて廊下に…


 待てよ。


 気がついたときには悲鳴を上げていた。


 そして頭の奥のほうで、ぷちっと何かが小さく音を立てて切れた。


「どうしました? アキハさん?」


 駆けつけたキョージュは私の形相を見るなり、たじろいで一歩引いた。そのすきに勝手口から外に出て重要なことを確認する。


「貴様ぁぁぁ」屋内にとって返してキョージュの首を締め上げる「どういうつもりだぁぁ。わざわざガスの元栓締めて、シャワーだと騙して水ごりさせた挙句に、こんなもん着せやがってぇぇぇ」


 浴衣と言って渡されたのは木綿無地の一反作り、帯も併せて抜けるように白く、そして念入りに清められていた。


 明らさまな死装束である。


「ち、ちが、誤解、誤解です」


「誤解、って、どの口が言う? この口か? この口かぁ?」


 キョージュのほっぺたをつまんで、思い切り左右に引っ張った。


「ひはう、おひふいて、あひひゃあん、ひはう」


「何が違うだ。こんな怪しいミイラ鎮めるために贄になんかされてたまるか」


 贄?


 自分で叫んだ言葉に触発され、和室に視線が動く。


 ボストンバッグ。


 鬼神のごとくに一飛びし、バッグの中身を畳の上にぶちまけた。


 衣類に紛れ、修学旅行の土産物屋に並ぶ一本千円の木刀に似た物。


「何だこれは?」


 白木鞘の一振りの懐剣を握りしめ、キョージュの眼前に突き出して迫った。


「こ れ は 何 だ ?」


 今度はキョージュのほうが速かった。懐剣をもぎとると懐に抱えて部屋の隅に逃げる。


「待て、待つんだ。話せば判る」


「判らんっ。この大嘘つき」


「嘘なんかついてません。ほら、これだって形ばかりだから」


 言いながらキョージュは懐剣を抜いてみせた。


 怪しく刀身が光を映す。その迫力におもわず唾を飲んだ。


「ね、ぜんぜん、なんでもないでしょ。模造、そう、模造刀です。刃だってついてないんですよ。格好だけ、格好だけなんですよ。あなたの浴衣もそう。白装束だと思うから気味悪いと思うんです。無地の浴衣だと思えばなんでも…、あ…」


 あせったのか、キョージュが刀を取り落とす。鈍い音がして一尺ほどの刀身が半分畳にめり込む。


 二人は見つめあった。


「あれえ、おかしいなぁ。この畳腐ってますね」


「やかましいぃ。間違うこと無き真剣じゃ、このアホたれ」


 突然、


 本当に突然に閃いた。


 今日の昼、キョウジュの電話、シロムクとセンゴ。




 シロムクとセンゴ


 そして、センゴでないと無理。




 シロムクは白無垢。私がいま着ている。


 ならばセンゴは、この刀?


 刀、センゴ、戦国? 違う。銘だ。銘でセンゴ…




「千子村正」




「ピンポーン、ご名答」


 おもいっきり首を絞めた。殺す気で絞めた。


「ぐ、ぐぇ、だめ。首ナシ。締めるのナシ」


「村正って、これ以上にない妖刀じゃないか、このやろう」


「別に何だっていいじゃないですか、本当に切る訳じゃないんだから、村正だろうが何だろうが」


「いいわけないだろがぁ」


 妖刀村正。切れ味はともかく徳川家にまつわるその怨念が恐ろしい。


 霊を断つのであれば物理的な刃ではなく、その怨念で断ち切るべし。聖剣、邪険の違いこそあれ、対峙する霊障とのバランスで使う刀は吟味すべし。


 だとすれば村正で切らねばならぬ呪物もまた、


「吐け、本当のことを言え、本気だぞ」


「ホントだってば、全部本当」


「誰だ?」


「え?」


「あの手は誰の手?」


「知らない」


 キョージュはブンブン首を振る。かまわず締める手に力を入れる。


「嘘をつけぇ、知らなきゃ、わざわざ村正なんか持ち出すかぁ。言え、言ってしまえぇ」


「知らないよぉ。昔の中国の坊さんの名前なんか。話も本当だってば、嘘じゃないですぅ」


「嘘吐き、嘘吐き、嘘吐きぃ」


「嘘じゃないぃ、弟弟子の名前が空海っていうだけだよ」




 力が抜けた。




「空海?」


「空海」


「弘法大師の?」


「そう」


「弘法大師の兄弟子?」


「弘法大師の兄弟子の…」


 視線がリビングに、


 テーブルの上の箱に、


「手」




 涙がこぼれた。


 顔を両手で覆い静かに泣く私に、男は戸惑っているようだった。


「あ、あの…、…アキハ、さん?」


「空海なら、密教なら、戒壇じゃなくて灌頂でしょう」


「灌頂なんて言ったら、それこそ、すぐバレちゃうじゃないですか」


「どうして、ちゃんと言ってくれなかったんですか?」


「え? あの…、その…」


「私だって、最初からきちんと説明してくれれば…、どうして…」


「だって、本当のこと言ったら、アキハさん逃げちゃうでしょう?」


 左脚を半歩踏み込み、腰を落とした。


 男から見れば、私の体が頭一つ分低くなったように見えたと思う。


 一息浅く吸って、丹田に気を練る。


 胸の前で手を組み、右肘を一旦下げ、添え足を伸ばすと同時に前方に繰り出す。


 狙いは相手の水月。


 コイツは殺しちゃってもいいかな、みたいなことを頭で考えていた。


 入ったと思った瞬間、私の前で鶴が両翼を広げた。


 翼ではなかった。


 私の意識は、男の両の一本抜き手が首筋の双点穴に当たった音で、消え失せた。



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