第五話 精霊が降る聖夜(4)
「本当にすみません、アキハさん、まさか親父があそこまでマヌケとは、面目次第もありません」
キョージュは焼き鮭の切り身を頬張りながら謝ってきた。土下座でもしていればまだしも、まるきり説得力というものがない。
「オマエがサケ持って来いっていうから…」養父は不満気に口ごもる。
「お手伝いさんを廻してと頼んだんですよ?」キョージュの語尾が危険に上がる「具合の悪い友人を家で寝かせているが、どうしても出かけなければならない用ができたから、介抱できるお手伝いさんを一人廻してください、と言ったのに、何であなたが来るんですか? あなたなんか来たって何の役にも立たないでしょうが」
「サケ持って来いって言っただろ?」
「そりゃ、何か足りない物無いか、って聞かれたから、お酒がもうありませんとは言いましたが、だからって鮭持ってくるって…、ボケたんですか?」
「酒の飲みすぎは良くないぞ」
「よりによって、あなたに言われたくはないですね」
「オカワリ、アリマス。 サケ オイシイ」そう言ってご飯茶碗を突き出す外人。で、いったい誰なんだよ、コイツは?
「あ、いいよ、シモン。僕がよそうから」キョージュは外人から茶碗をひったくってキッチンに向かった。まあ、それぐらいはして当然だろう。
キョージュの養父の来訪直後に倒れた私は、その後、帰ってきたキョージュに針を刺されて気がついたらしい。おかげで二日酔いはそれなりに軽くなったが、キョージュの連れてきたこの外人が、腹が減ったと騒ぎ出した。しかたがないので、まだ残る吐き気を我慢しつつ、鮭をさばいて、冷蔵庫のあり合わせで夕食を作ったのだ。給仕くらいしてもらって当然だろう。
「アギーさん、アリガト、トテモオイシイ」
「シモン。アギー、じゃなくて、アキハ、さんです」
「アキハさん、アリガト、トテモオイシイ」
お粗末さまです、と返した。シモンは本当においしそうに食べる。焼き鮭や味噌汁はもちろん、ニコニコしながら、おひたしと酢の物まで平らげた。外国の人にはちょっと無理かな、とも思ったが、少し腹も立っていたので、和風の献立にしたのだが、彼には難ではなかったらしい。こんなにきれいに食べてくれれば、作ったほうだってうれしくなる。
問題は残りの二人だ。
「オマエ、ちゃんとおひたし食えよ。せっかくアキさんが作ってくれたのに」
「アナタこそ、酢の物には手もつけてないじゃないですか、シモンだって全部食べてるのに、ホヤが苦手、とか子供みたいなこと言わないでください」
「味噌汁の小松菜も食え。味噌汁、ってのは汁だけ飲めばいいってもんじゃないんだぞ」
「ちゃんと食べますよ、おひたしと一緒に。子供の頃から、最後にまとめて食べるのが習慣なんです」
「大人になってまで、そんなことするなよ」
「だいたいアナタは、魚の食べかたが汚すぎるんです。身もボロボロで半分も食べてないじゃないですか。その箸使い、本当に日本人なんですか?」
あんまりうるさいのでキッチンに避難して、コーヒーを淹れる。
シモンがやってきた。コーヒーの香りに惹かれて来たのだろう。ダイニングの二人は、まだ低レベルの争いを続けている。
「アキハさん、アリガト、トテモ、カンシャシテマス」
いや、あの程度の食事で、そこまで言われても、かえって恥ずかしい。
たいしたことないですよ、と答えたのだが、シモンは首を振る。
「ナイ、ナイ。チガイマス。アキハさん、パーデレ タスケテクレタ」
「パーデレ?」
問い返した私に、シモンは困ったような顔をする。
「パーデレ ニホンゴ ナニトイウカ? ハルヒコ キイテクル」
テーブルにとって返したシモンは、キョージュと異国の言葉で何か話している。そしてキョージュを引き連れて帰ってきた。
「シモンはアキハさんにとても感謝してるんです」とキョージュは言う。
「それは何度も聞きましたけど、そんなに感謝されるほど、たいした料理作ってないし」
私の答えに二人はブンブンと音を立てて左右に首を振る。また二言三言、言葉を交わして、もう一度キョージュが言う。
「シモンは、アキハさんにお父さんを助けて貰ったので感謝している。お礼がしたいと言っているんです」
「お父さん?」訳がわからないので問い返した。
「お父さんです」キョージュが繰り返す「マッツァリーノ枢機系、この間、ザラスシュトラの鏡から一番最後に出てきた人」
あ〜ぁ、思わず叫んでシモンの顔を指さす。どこかで見たと思ったら、そのお父さんが出てくる前に、アワセカガミと一緒に出てきた外国の人ではないか。
「ソウデス。アキハさん。カンシャシテマス。タベマショウ。タベマショウ」
え? まだ食べるの? いま、ご飯三膳もおかわりしたばかりなのに。
「違う、違う、シモン」キョージュがあわてて取り消す「そう言うときは、食べましょう、じゃなくて、ご馳走します、って言うの」
「ゴチソシマス?」
「そう、ご馳走します」
「アキハさん。ゴチソシマス」
ここに来たときから、ずっと、タベマショウ、と言ってたので、てっきりお腹がすいているのだとばかり思っていたのだが、そういうことだったのか。
「あ、ありがとう、シモン」
私の答えを聞いて、やっと二人は安堵したらしい。顔を見合わせ、またよくわからない言葉で会話する。
「シモンが言うには」キョージュがおずおずと問うてくる「フレンチでいいか聞いてくれ、と言うんですが、アキハさん、フランス料理は大丈夫ですか?」
「え?」
「いや、フレンチのフルコース、道玄坂に良い店があるって、シモンが言うんだけれど、もしフランス料理が苦手だったら、別でも…」
「苦手ない、食べるっ」思わず叫んだ。フレンチが苦手な女性がいるとかいう発想は、いったいどこから出てくるんだ、この男は本当に。「行くっ? いま行くっ?」
「いや、さすがに今日はもう…」キョージュはシモンと相談している「もし、アキハさんの都合さえつけば、明日でどうですか? シモンもあまり長くは日本にいられないそうなんで」
「わかった。明日ね」そしてシモンのほうを向いてにこやかに微笑んだ「ありがとう、シモン」
シモンは、とても良い顔をした。よく見るとアジアンテイストな顔立ちだ。どことなく名前はヨーロッパ風なのに、何故だろう。
ま、いいか、明日はフレンチだし。