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術師たち  作者: 二月三月
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第五話 精霊が降る聖夜(3)

 

 目覚めたのはベッドの中。


 しかも見知らぬ部屋だった。


 部屋が猛烈な勢いでななめに回る。立ち上がるにも壁に手をつく必要があった。


 頭を少し揺らすだけで、脳内に釘をばらまいたかのような激痛が走る。


 頭痛は歯をくいしばって耐えた。しかし…、


 よろよろとドアに向かうも、立っては歩けない。四つんばいでにじり寄る。


 自分の部屋でないのは、もう、わかっている。喉の上蓋までこみ上げてくるものがあるが、ここでぶちまけるわけにはいかない。


 ドアから廊下に這い出る、突き当たりに階段が見えた。


 二階?


 階段を降りるのは…、とても、間に合いそうにない。


 が、


 階段の手前、他のドアと違う引戸が見える。


 あれなら…、


 己が頭部に刺激を与えぬよう、細心の注意を払いながら引戸ににじり寄る。


 手掛かりまで手を伸ばすのももどかしく、すき間に指を入れ、引戸をこじ開けた。


 あった。


 便器を見つけてこれほど嬉しかったことはない。


 頭を突っ込んで、思いきり吐いた。



 ひとしきり吐いた。


 便器を抱いてまどろみつつ、ときどき思い出したように吐いた。


 胃液しか出なくなった。


 胃袋をひっくりかえすほどに吐いて、小休止の均衡を得、手すりに捕まりながら階段の上をずりずりと尻を滑らせて降りた。


 どこの誰の家かは知らないが、階段に手すりがついているのはありがたかった。バリアフリーって健常者にも必要だと思った。


 キッチンで水をたらふく飲んで、そのまま一階のトイレで吐いた。


 飲んで吐き、吐いて飲んで、吐いた。


 キッチンは広くて豪華だったが、あまり料理に使用しているようには見えなかった。


 気がつくと、かなり広い家なのだが、あまり生活臭がない。というか、さっきからバタバタしているわけだが、家人の一人も出てこない。


 着ているのがデカいパジャマなのに気づいた。男物だ。いろいろ考えたほうが良いのかもしれないが、頭が働かない。


 飲んで吐き、を繰り返していると、窓の外が勝手に光の向きを変えていった。長い西日を浴びながら、水を飲んで吐いていると、やがてその日も落ちた。


 知らない人の家だったが、灯りつけるくらいはいいか、と思ってスイッチを入れた。


 ダイニングテーブルにつき、椅子に座ってテーブルに頬をのせた。ひんやりと冷たさがつたわり、とろとろと微睡んだ。



「おーい、…ルヒコぉ、いいサケが…」


 リビングの入口に顔を向けると、変な爺さんがいた。


「おや、ハルさん」じじいは言った「何でこんなところに?」


 白髪を短く刈り込んだ爺さんは、オレンジのポロシャツにコールテンのパンツといういでたちだった。右手に買物袋を下げている。


 どっかで見たことあるな、この爺さん。何でだろ?


「いやあ、ハルさん」爺さんは買物袋をテーブルに置いた。ムッとする生臭さが袋から漂う「久しぶりだなあ。ハルヒコのところに居たのなら、もっと早く連絡くれればいいのに」


「…ハ…ル…?」


「どうした? ハルさん?」


「ワタシ…、アキハ…」


「え? アキ?」


 再び、嘔吐がこみ上げてきて、トイレに駆け込んだ。


 洗面所で顔を洗って、軽く身なりを整える。おずおずとリビングに戻った。


 良く考えてみると、いま私は男物のパジャマを着ている。このお爺さん、素性は定かではないが、たぶんこの家の主人の知合いだろう。


 どう考えても、この状況はヤバい。


 誤解される。


「そうかあ、アキさんかあ」爺さんは一人で納得している「もう季節が変わっとるのだな。いつもそれでハルヒコに怒られるのだが…、しかもナツを通り越して…、アキか…、歳とるとどうしようもないなあ」


「あの…」


「ん?」


「…すみません、…ハル…ヒコ、さん…って?」


「あ、ああ、あ、ああ、すまん、すまん」老人は大げさな身ぶりで謝ってみせた「アイツ、ハルヒコのヤツは皆にはそう呼ばせておらんのだな。いまどき名縛りでもあるまいに…、どうも、ああいうところは古くさくて好きになれんのだが…、なんだっけな…、うーん…、あ、そうそう…」


 老人の次の言葉に私は驚愕した。


「…キョージュ」


「…え?」


「キョージュ、とか呼ばせているのだよな。自分のことを。それほど学があるわけでもないのに、何を考えているのやら…」


 …キョージュ? キョージュ、って…


 ここ、キョージュの家?


 だぶだぶの、手のひらが半分かくれるパジャマを見る…


 これ、これ、って、もしかして、キョージュのパジャマぁぁ???


 いままでにないぐらいの速度でリビング全体が回りだした。これは二日酔いのせいでは、…絶対ない。


「まあ、何にせよハルさ…いや、アキさんか、アキさんがいてくれるなら安心だよ。ハルヒコ一人じゃなあ、どうにも不安で」


「ち、ちが…」


「ん、どうした、アキさん?」


「違うんです。ぜんっぜん、ちが…、とにかく、違うんですう」


「違う…って、何が」


 そう言って笑う、老人の顔が、私の記憶の中の一人の人物と重なった。


 術師会創始者にして、日本の、いや世界の秘術者の羨望と嫉妬をその一身に集める異能者。生ける魔神とまで称された男。


 賀茂萬山。


 萬山の術師としての逸話数あれど、最たるものはその養子。


 賀茂家のリーサル・ウェポンと呼ばれたその子は、他のどんな呪術の影響を受けることもなく、瞬時に相手の術師を粉砕するという。


 一説には、その子は人から生まれた者でなく、萬山が手ずから創り出したとも云われている。


 その名を、賀茂晴比古。


 って、この爺さん、キョージュのお養父さんなわけぇぇ。


「あ、ちょ、アキさん…。アキさんっ」


 もう一度、リビングが揺れ、床が急速に左頬に近づいた。


 テーブルの上の買物袋から、とびっきりの生臭さが鼻へと流れ込む。


 いまわかった。


 袋の中身は鮭だ。



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