第四話 真実を映す魔鏡(9)
「はぁぃ、アキハさん、元気ですかぁ」
廊下の奥のモノは、ぴたり、と気配を閉じた。
振り向かなくてもわかる、この声。現れただけでアレを黙らせるのは、さすがと言うべきなんだろうが…。
ホント、死ねばいいのに。
「元気です」さっきまでの緊張感が抜けた勢いを、そのまま怒りにしてキョージュにぶつけてみる。
「それは、なによりです」全然、効かないみたいだ。私は悲しい。
「ソンコさんが、悪いんですよ。出掛けにグチグチいうから」尋ねもしないのに、キョージュは言い訳をはじめる「センゴ出して、って頼んでるのに渋るから」
「あたりまえでしょ」ソンコさんは、ムッツリ顔だ「言っとくけど、あれはウチの家宝なんだからね」
悪い予感がする「せんご…、って、あの…、村正?」
キョージュがこれ見よがしに白木鞘の懐剣を振る。
「わあ、築山殿だ」うれしそうに声をあげたのはショミだ。「使うの?」
「もちろん」キョージュが答える「そうでなければ、わざわざ持ってきません」
猿の手を封じたときに使った妖刀ではないか。しかも、使うだと?
「築山…、殿?」
「家康の正妻だよ」ソンコさんが言う「織田家に押し切られて、まあ、家臣に殺されることになったんだけどね。その築山殿を刺したのがこの刀。曰く付き過ぎだってことで、いったんは廃刀にされたんだけど、折った刀の切先五寸だけ打ち直したのが、この築山殿」
「なんで、そんなものが…、家宝?」
「ご先祖がさ、徳川係累なのよ。いろいろあって冷や飯食わされたんで本家筋を恨むようになって…、まぁ、同族嫌悪ってヤツかも?」
「あのぉ〜」ソンコさんとショミ、二人の顔を見比べる「ご先祖様、って…、誰?」
「駿河大納言忠長卿」
「それって、徳川三代…」
「そ、家光の弟」
何…、この母娘、世が世ならホンモノのお姫様なの?
「いくら家宝だって言っても、折れた刀リサイクルしてるだけでしょう」キョージュは不満気である「もう十分元は取れてると思うし、みみっちいこと言わないでください」
「これ壊したら、あたしが親戚中からやいのやいの言われるの」ソンコさんも仏頂面で返す「年寄り連中から嫌味いわれるあたしの身にもなってよ」
「だから、天叢雲剣でいい、って最初に言ったのに」
「あんなもの折ったら、あたしの親戚どころの話じゃないでしょうが」
「あのね。キョージュ」スゴく嫌だったが、背に腹は変えられない。恐る恐る問うてみた「この間、天叢雲剣を使ったときはすんなり許可がおりましたよね?」
「あ、はぁ、まあ…」キョージュの顔色が明らかに変わった。ソンコさんもである。
「今回、使えないのはどういう理由なんですか?」
「…」
「…」
答えは意外なところから返ってきた。
「ようするに」そう発したのはショミだ「エリの件より、ヤバい。そういうことじゃないの?」
エリの件、死者の石のときは霊的炎の逆巻く中に半裸で梁つけにされたのだ。
あの時、天叢雲剣は、石は砕けても剣自体はビクともしなかった。それが折れることを案じなければならないということは…。
「失礼します」
きびすを返して、外に走り出ようとした瞬間に両腕を捕まれた。
「いやいや、いやいや」
「イヤイヤ、イヤイヤ」
母と娘、二人はそれぞれ私の左右の手を握って離さない。
「刀だけじゃ、どうしようもないの、わかってるでしょ、ね、アキちゃん」
「アタシ、前からアキハの仕事するところ見たいと思ってたんだー」
「離してください」見た目華奢な母娘のどこにこんな力が…、必死にもがいても振りほどけない「私は、まだ死にたくないんだぁ」
「死んだりしないって、大丈夫だってば」
「そうそう、この前も無事だったし、その前も…、だから…、ね。今度も大丈夫」
私に、大丈夫、っていうヤツは、みんなダイッキライだ。
「とりあえず奥の部屋に入りましょう」キョージュは他人事みたいに言う「アワセさん、放っておくわけにもいかないし、他にもいろいろ入ってるわけでしょう?」
「そうだよ、アキハ、助けなきゃ」ショミが言った「あの鏡には、たくさんの人たちが囚われているんだ」
「そうよ、アキちゃん」ソンコさんも言う「その人たちを助けないなんて、そんなの、全然、アキちゃんらしくない」
らしくなくて、いい。嫌なものは、嫌なんだぁぁぁ。
恐ろしい力で両手を引っ張られ、意志に反して引きずられてゆく。廊下の奥へ。
これなら、さっきの得体の知れないモノのほうが、まだマシだ。
「あ、そうだ」不意に思い出したようにキョージュが問うた「ソンコさんと、ショミさんは、大丈夫なんですか?」
「パパに巻いてもらってる」
「一回半くらいは保つ、らしいよ」
「一回半かぁ」キョージュはひとりごちた「師匠らしいな」
どーん、と背中を打つ感触と圧倒的な圧迫感。私はがくりと頭を垂れる。
「あ、急に軽くなった」
「何かした?」
「いや、何も」キョージュが頭を振る「むしろ、やめただけです」
体中を悪寒が這いずり回る。吐き気をかみ殺して、悲鳴もあげられぬままに、部屋の中に引きずり込まれた。