第四話 真実を映す魔鏡(3)
どうしましょうか、と問うと、もちろん行きますよ、とキョージュは返事した。
ショミを帰した後のニューオータニのロビーでの会話である。ケーキバイキングの時間をフルに使った後だったので、お茶しながらという訳にはいかなかったのだ。ケーキは私が二個多く食べた。
「でも、行ったとしても、アワセさん、いないんですよね」
「いないでしょうね」
この点では二人の意見は一致している。失物探しの詳細は不明だが、ショミがいないと言い、また彼女ですら探すのがかなり困難だというのであれば、我々が出向いたところでアワセさんに会える可能性は限りなくゼロに近い。
「依頼人に会えないのなら、行っても仕方無いのでは?」
「う〜ん、そうは言っても、アワセさんがいないのを知っているのは僕らとショミさんだけですし、約束しているのに行かないのはかえって変ですよ」
「まあ、そりゃ、そうですけど」
「それに鏡がそこにあるのは確かなんですから、行ってみましょう」
そんなわけで、キョージュと私は、いま、アワセさんの屋敷の前にいる。
インターフォンの前で軽く呼吸を整えているスキに、キョージュがドアを開けて入ってしまった。
「チャイムぐらい鳴らしましょうよ」
「どうせ誰もいないんだし、時間の無駄です」
「家族の人とかいたら、どうするんですか」
「アワセさんは、一人暮しです」
「それにしても、鍵かけてないなんて不用心だな」
「鍵はいま僕が外しました」
「…」
いまさらながら…、この男は…。
たぶん、セコムとか入っててもみんな黙らしちゃうんだろうな。
キョージュは片っ端からドアを開けて部屋の中を覗き込む。階段から地下に降り、突き当たりのドアを開けたところで足を止めた。
手招きするキョージュに従って、部屋の中に入る。
部屋に入るなり、むせかえるようなタバコの煙、しかも普通のタバコではなさそうだ。部屋の真ん中に大きなテーブルがあり、たらいのように大きな灰皿が置いてあった。壁一面にはタペストリーが飾られており、地下室ということもあって、当然、窓は無い。
ショミの言っていたのはこの部屋のようだ。
「アキハさん、鏡はどこにありますか?」
「知りませんよ。私はショミちゃんじゃありませんから」
「ああ、そうか」キョージュはこちらに振り向いた「じゃあ、いまから力抜くので、探してみてください」
「え? 力抜くって、何? …ひぁ、いやぁぁぁあぁ」
全てが遅かった。キョージュの意図を悟ったときには、目に見えぬ巨大な手に捕われた後だった。骨がきしみ、途方もない圧迫と地を這う悪寒が襲ってくる。
「ひ、ひゅぁ、キサマ、また、いきなり、なんてこと、外道、人非人、悪魔、クズマヌケぇぇ」
たったいままでキョージュが中和していた場が解き放たれ、行き場を失った力が、私めがけて殺到した。
「アキハさん、気をしっかり、鏡を探すんです」
「なにが鏡だぁ…、そ、その前に、し、しんじゃうぅぅ」
「死なない、死なない、大丈夫だから」
「うるさぃぃぃ、オマエがだいじょうぶ、っていって、だいじょうぶ、だったことが…、ぃ、ひぃやぁ、くる、くるぅ」
最初は強烈な重圧としてしか感じられなかったソレが、黒い光を帯びながら、ゆらゆらと床を這いつつ近寄ってくる。
「どこから来てますかぁ?」
「どこって、…ぃや、だめ、ダメなの、ホント、許して、おねがいぃぃぃ。あっちいけぇ、かえれぇ」
「あっちって、どっち?」
「てーぶる、てぇぶるぅ…」
テーブルの上、と叫んだ瞬間に凶つモノは霧散した。体を縛り付けていた力が消え、そのまま床に崩れ落ちた。跪き、肩で息をしながら、目頭に滲んだ涙を右手でぬぐう。
「なるほど、これか…、ぐぁ」
テーブルに向かって歩くキョージュに飛びついて、背後から思いっきり首を締めた。
「わ、アキハさん、首は…、ダメ…」
「うるさぃ、この悪魔、いつも、いつも、いつもぉ」思いのたけを両手の握力に托して絞り上げる「なんで、こーゆーことするんだ、死ぬだろ、死んじゃうだろぉ」
「いや、ゴメン、…ホント、…悪かった。あやまる、だから…、落ち着いて」
「やだぁ、ゆるすもんか、しんじゃえ、キョージュなんか、しんじゃえ」
指も折れよと締めた。絶対に、ここで殺さなきゃ、次は殺される。
「…いや、…おちつ…いて、…ね、…ばんごはん、おごる…、から…」
「え?」
一瞬、手の力が緩んだすきにキョージュが抜け出した。喉を抑えて屈み込んでいる。
キョージュの方に諸手を突き出し、一歩踏み出す。
「え、…えび」キョージュが絞り出すように言った。
「…えび?」
「海老…、伊勢海老の…、おいしい店知ってますから、連れてきますから、ほんとごめんなさい」
「海老? 晩ご飯?」
「そう、海老…」
「ほんとに? 海老?」
「ほんとに、海老」
殺意が急速に萎んでいく。とりあえず、コイツを殺すのは海老食べてからでも良いかな、と思った。