第二話 恋が叶う呪文(8)
結局、磔のまま1時間放置された。助けが来たとき、キョージュはまだ気絶していたので、そのまま救急車で運ばれた。なるほど、救急車が便利なものだというのは良くわかった。
「ごめんねぇ」とソンコさんが言った「まさか、キョージュがぶっ倒れてるなんて思わなかったから…、ワザとじゃないのよ」
ワザとじゃなくても、十字架に1時間縛り付けられたら、人を恨むには十分すぎる時間だと思う。
「何で庶務班は誰も待機してなかったんですか?」
「ああ」何をいまさらと言った風でソンコさんが言う「キョージュの仕事場に近寄りたいヤツなんていないってば。とばっちり喰ったらイヤだもの。いつも仕事中は4キロ以上離れてる。アキちゃんは特別なの」
「私も4キロ離れたいです」
「え? 何か言った?」
「…べつに」
はい、着替え、と渡されたジーンズとTシャツをひったくる。
「で、どんな感じだったのよ? 実際のトコロ」
問われるままに、ダラダラと話した。ソンコさんはただ肯いて聞いていたが、部屋が青くなったくだりで、ぴっ、と眉が上がった。
「青くなった?」
「…はい」何かマズいこと言ったか?
「それで?」
「石が砕けたような…」
「…砕けた? ああ、確かに」ソンコさんは私の胸元をしげしげと見つめる「ヒビ入ってる、へぇ〜。それで?」
「…それで、キョージュが急に剣を引き上げたから…」
「え?」ソンコさんは目を真ん丸にした「急に、って…、一気に戻したの? キョージュが?」
「はい」
それだけ聞くと、ソンコさんは、へー、だの、ほー、だの、あの男がねぇ〜、だのと意味のない言葉を羅列しながら、一人で納得していた。
「あの〜」思い切って尋ねてみた「キョージュ大丈夫なんですか?」
「え? あ、何?」ソンコさんはなぜか面食らっている「ああ、キョージュ? ダイジョウブ、ダイジョウブ、あれは殺したって死なないから」
「でも、力使い果たしちゃったんでしょう?」
「違う、違う」ソンコさんは顔の前でちぎれんばかりに手を振る「むしろ逆、閉めすぎたの、あれは」
「え?」
「いい? こうよ」ソンコさんは無刀で大上段に振りかぶりながら言った「これがキョージュの一の太刀、これで力を解放するの。わかる?」
ソンコさんは構えた手を垂直に降ろす。
「これで解放、一瞬で切ればほんの少し力を出すことになるし、振り下ろす時間が長ければ長いほど放つ力は大きくなる」
見えない切っ先を手首で返し、切り上げる。
「これが二の太刀、返す刀で自分の力を封じる。これがキョージュの虎尾返し。つばめ返しのほうが通りがいいかな。佐々木巌流小次郎の秘剣よ」
「つまり、蛇口開けたり閉めたりするようなモンですか?」
「そうそう、それそれ」ソンコさんはキャハキャハ笑う「旨いこと言うわね。アキちゃん。それでね。今回はかなり大きく蛇口を開けたのね。それをいきなり閉じてしまった。普通は同じ速度で返すのよ。というよりは、それしか出来ないってキョージュ言ってたのよね。やれば出来るくせにねぇ。それとも急に出来るようになったのかな? んなわけないか」
「もし、いつもどおり、ゆっくり返してたら、どうなったんです?」
「え? どうって言っても」ソンコさんは腕組して、しばし考える「キョージュの力がダダ漏れになるだけ。周囲に術師でもいれば、再起不能になるだろうけど。一般の人には関係ないし…」
「私、もしかして再起不能?」
「ああ、アキちゃんは別」また私を特別扱いだ「そもそも、アキちゃん、キョージュの力には影響受けないじゃないの。何故かは知らないけどさ」
「じゃあ、どうしてキョージュは急に閉めちゃったんです? その…」問う声が少し小さくなった「あんな風になるの判っててやったんですよね?」
「さぁ?」ソンコさんは首を傾げた。キョージュが何考えてるかなんてわからないもの、と、のたまう。それについては同意見だが…。
「でも、あの子、助かるかもね」
「え?」
「最後、青かったんでしょう?」
「あ、はい、そうですけど」
石が力を失う寸前、そこに見えたのは、淡い青だった。
「青は思慕の念」ソンコさんが言う「怨み辛みだけなら青くはならない。怨みも愛も根っこは同じだけど最後に残ったのが愛情なら、穴は掘らずにすむもの」
「はぁ、そんなもんですか」いちおう頷いてはみたものの、あまりしっくりはこない。あの家族が助かるのは素直にうれしいのだが、何かひっかかる。
…あ、
「あのぉ」ソンコさんに問うてみた「この間の猿の手も青かったんですけど…、しかも真っ青」
「え?」ソンコさんが一瞬怯んだように見えた「じゃぁ、伝え聞いてたのと、ちょっと違うような。嫉妬じゃないね…」
「あの…、それって」私もちょっと言い淀んだ「男性同士のアレ?」
「坊主は多かったみたいね、昔は。空海はイイ男だったらしいし、しかも異国からの留学僧ともなれば…」
「はぁ」
そういうことなら、腕の一本も切り落とさないと解脱できんか。
一段落着いた帰りしな、改まった口調でソンコさんが話しかけてきた。
「あのね、アキちゃん…。お願いがあるんだけど」
「何ですか?」思わず身構えた。最近、ソンコさんのお願いはロクなことがない。
「うん、キョージュのことなんだけど」ソンコさんは深刻な顔だ「今度会ったら、ウチの娘にちょっかい出すのやめるように言ってくれない?」
「へ?」なんじゃ、そりゃ? 娘って、突然、何?
「ショミよ。ショミのこと」
あー、あの子。
そう言われれば、確かに、似ていなくもないが、それにしたって。
「そういうことは、自分で娘さんに言われたほうが?」
「さんざん言ったわよ」ソンコさんは急にむくれだした「ぜんっぜんっ、親の言うことなんか聞きゃしない。サンタぐらいなら大目に見ないこともないけど、よりによってキョージュだなんて、絶対許さない」
「だから、娘さんが無理なら、直接、キョージュに言ってください」
「キョージュが人の言うことなんか聞くと思う?」
「いや、ぜんぜん」
「でしょう? だから、アキちゃんから言って、ね。お願いだから」
目の前で拝まれてしまったが、はっきり言って、すごく困る。
そもそも、キョージュが私の願いを聞き入れてくれたことなど、一度もないよ。