第二話 恋が叶う呪文(6)
狭い車内でキョージュと差し向かい。ただでさえ気分の悪いシチュエーションなのに、キョージュが上機嫌なのがなお癇に障る。
「これは何ですか?」キョージュに問うた。
「ああ、この救急車ですか」キョージュが答える。ファンファンとサイレンがうるさい。いま乗ってるヤツのほかにもう一台、併走している「便利なんですよ、色々と。面識の無いお宅に大勢で押し掛けるときとか、他の車両だと目立つでしょ。パトカーとか。その点、救急車なら、ご近所の方もそれほど騒ぎませんし。何かあったときは、そのまま病院に搬送しても自然ですからね」
思いっきり不自然だろ。救急車に患者でも家族でも救急救命士でもないのが乗ってたら。
「あ、もちろん借りてきただけですから。ウチで持ってる訳じゃないです」
「どこから借りたの?」
「やだなぁ、アキハさん」キョージュは屈託無く笑う「消防署からに決まってるじゃないですか。他にどこから借りてくるんですか?」
「…そうじゃなくて」なおもキョージュに問う「これは何ですか?」
「ああ、コレのこと?」キョージュは錦紗の袋に包まれた1メートルちょっとの棒状の物を少し持ち上げた。救急車に乗る前からキョージュがずっと両手で抱えている。
「天叢雲剣です」
「あまのむらくも…って、三種の神器じゃない?」
「そうですよ」キョージュは、しれっ、としている。
「何でアンタが持ってるの?」
「僕のじゃないですよ。本部が借りてくれたんです」
本部から使用許可が出た、と言ってたのはこいつのことか。いったい本部は何を考えてるんだ。
「…そうじゃなくて、何で一般人がそんなもの使えるのよ」
「僕、一般人じゃないですよ」
「…」
コイツと話してると、ほんっとうにイライラしてくる。
「そうじゃない」立ち上がろうとしたが、頭が天井につかえて中腰になる。キョージュに向けて頭を突き出すような格好になった「これは…、いま私が着せられてるモノは何だ、って聞いてんのっ」
頭を指さした。
「これは何?」
「アルフル族のかんむり」
胸を指さした。
「これは?」
「アルフル族の胸飾り」
臍から2センチ下を指さした。
「じゃあ、これは?」
「アルフル族の腰ミノ」
「だから、何で私は、無理矢理こんなもの着せられてるんだぁぁぁ」
「あの石のもとの持ち主にお借りしたんです」キョージュは救急車の壁にへばりついて言う「こうなっては、取り戻すことは不可能だろうし、これ使って何とか治めてくれ、って言われて」
「だからって、何で私がビキニの上にこんなもん羽織らなけりゃいかんのだ」
「本当はビキニなんか着ないんです」キョージュが言った「アルフル族の死者の正装は肌の上に直接です。アキハさんが恥ずかしがると思って、まあ、ビキニくらいはしかたないかなと…」
「あたりまえじゃぁぁぁ」言うが早いかキョージュにつかみかかった。
「わ、まて、…だめ、首はやめなさいってば」
「貴様と二人っきりで、すっぽんぽんにこんなもの着けてるだけなんてハメになったら、舌噛み切って自決するわ」
「落ち着いて、話し合いましょう。短気はいけません」
「キサマはそうやって、いつもいつも…」
何か重要なことを聞き漏らしたような気がする。
「いま、何て言った?」
「…アキハさんが恥ずかしがると思ってビキニを…」
「その前っ」
「石の持ち主から…」
「借りたのは何?」
「アルフル族の…、…正装」
「何か抜いただろ?」
「死者?」
コイツ、わざとやってるな。
車が止まった。
この車の運転手と、併走している救急車から人が降りる音がする。
「お膳立ては庶務班がやってくれるから」キョージュは私の手をふりほどいて、聞きもしないのに説明しだした「僕らは、呼ばれてから行けばいいんです。とにかく、落ち着きましょう」
サイレンは鳴りっぱなしだ。もしかして、音を聞かれないようにワザと止めずにいるのだろうか。
いったいどんなお膳立てとやらをしているのか。もう、想像すらしたくない。
「それじゃ、キョージュ、アキハさんお願いします」
後部ドアが観音開きに開いて、そこは玄関の真ん前だった。
おそるおそる外に出ると。
その家は紅蓮の炎の中にあった。
熱さをまったく感じない、霊的焔であるために、より一層の近寄りがたさを以って眼前にある。
後込みする私の手をキョージュは掴んで離さない。
アスファルトがひんやりと裸足に冷たい。
「…あ、あはは、…あははは」
冷たく燃え上がる朱で透明な炎の前に、無意識のうちに笑い声を上げていた。自分の声だという自覚はなかった。
その声に反応したキョージュが訝しげに見る。
「…アキハ、さん?」
キョージュの手を振り払うと同時に、きびすを返した。
こんなの人間の手に負えるモノじゃない。
キョージュが、否、他の誰が何といおうと、こんなものは、絶対に、お断りだ。
右足を前に繰り出そうとして腰ミノに目がいった。誰かに会ったら仮装行列の練習とでも言おう。いや、いっそキチガイだとでも思われたほうがマシかもしれない。
そんな思いがよぎって、反応が遅れたのが、命取りになった。
ちくり、と鈍い痛みが首筋に走り、四肢が力を失った。
針だ、ちくしょう。
道路に倒れ込む私を抱えると、そのままキョージュは担ぎ上げた。
「逃げちゃだめだ、って言ったじゃないですか」
紅い炎が蛇のようにまとわりつく。声も出せない私を担いだまま、キョージュはエリの家にズカズカと入り込む。