第9話 再会
雲間から顔を出した月明かりがその人影を幻想的に映し出す。
3年間、藁をもつかむ思いで必死に手掛かりを探し、僅かな望みをかけて世界中を這いずり回り、半ばあきらめつつも渇望し、あきらめきれなかった俺の思い人が静かに佇んでいた。
3年前、朦朧とする意識の中、最期に見たままの彼女の姿。
毛先にかけて黒くなっていく長いダークグリーンの髪をたなびかせ、後ろ側頭部から額にかけて捻じれるように伸びる白と黒の2つの角がその艶のある髪をかき分けるようにして生えている。
背中から伸びる黒地に白のまだらが入った鷹のような大きく美しい羽がまるで全てを包み込むように大きく開かれ、赤紫の光彩に黒の輪郭をした大きな双眸で、聖母のように慈愛に満ちたまなざしが俺に向けられていた。
その肩に、あの青いカラドリウスを乗せて。
そう、あの時、魔人化したままの姿で。
月の光が後光のようにさし羽を広げるその姿は、俺には天使のように映った。
その姿がかすみ、揺らいでいる。涙が頬を伝う。
「リン。 生きて……生きていたんだな。」
俺の嗚咽交じりの問いに、鈴を鳴らしたような声でリンが答える。
「リュージ。 あなたも。」
「俺は、ずっと……」
俺が手を伸ばしかけたところでリンは目を逸らし、遮るように言葉をかぶせる。
「今は、ほかにやるべきことがある。 違う?」
そう言いつつ、リンは首から血を流し倒れ伏している少女と、先ほどから何事か喚き散らしている魔人に目を向ける。
リンが何事かカラドリウスにつぶやくと、少女の首元に飛んでいき、やがて少女が淡い光に包まれる。
「私はあの人を。 柳二はあの子を見てあげて。」
「だが……」
リンに会えた今となっては、正直他はどうでもよくなっていた。
その思いだけで3年前死ぬはずだった俺は今日まで生きながらえてきたのだから。
しかし、リンは俺の気持ちを知ってか知らずか、俺の言葉を遮って言う。
「また、私のような犠牲者を出すというの? 昔のあなたはそんな選択はしなかった。違う? それに、あなたを一目見て分かった。 今のあなたなら、あの子をも救えるのでしょう?」
少女を救いたいという俺の気持ちは確かなものだが、正直リンを目の前に俺はためらった。
リンはそれを聞いてもまだ動かない俺を嗜める様に、しかし顔を伏せ悲しいまなざしを浮かべて口を開く。
「それに……あなたも気づいているのでしょう?」
俺はリンから目を離さず、ゆっくりと顔を振る。
「私が魔人化してから3年もの間生き続け、今ここに立っているということがどういうことか。」
だめだ。それ以上は聞きたくない。
「魔人は人間を取り込まないと生きていけないのだから。」
「そんなもの俺はどうだっていいんだ! リンがどんな姿で何をしていようとも、それはすべて俺のせいだ! 俺にリンを守れる力がなかったから! 世界中の人間を敵に回しても俺はそれを否定してやる!」
俺はすかさず否定する。その事実を認めたくなくて。
俺の言葉にリンは困った顔をして俯くが、やがて決意したように顔を上げた。
「できればあなたとは敵対したくなかったけど……仕方ない。」
リンは羽を大きく広げ、柳二に向け先ほどの魔人を穿った羽を無数に放ってくる。
俺の覚悟を拒絶するように。
俺は咄嗟に体捌きと籠手を使い躱し受け流すも、突然の攻撃に動揺し、たまらず距離をとる。
「何故だ? なんでなんだ! 俺はお前を……」
リンは瞳に悲しみをたたえながら、それでいて覚悟を決めた強いまなざしを向けてくる。
「もう私は後戻りはできない。既に人の道を踏み外してしまった。所詮、魔人と人は相いれないもの。」
俺はそんな答えは望んじゃいない。
そんな答えは聞きたくない。そんな目を俺に向けないでくれ……。
俺はただ、リンが生きていると信じたくて、ずっと探し旅を続けてきた。
それだけが俺にこの世界で生きる意味を見出せる唯一の希望だった。
人間に戻す術はリンを見つけてから考えればいいと思っていた。
もしかしたらそんな方法は無いとどこかで気づいていながら、ただ現実逃避をしたかっただけなのかもしれない。
それでも、俺はリンが生きてさえいればそれでよかった。
それなのに。
なぜ拒絶するのか理解できない。
なんで。なぜ? なぜ。なぜ。・・・・・・・・
俺は無様にもリンの強いまなざしに気圧されて、何か反論の言葉を見つけようと口を動かそうとするがそのたびに言葉が出ずに言い淀む。
その時、腕を抑えて喚いていた魔人が何かに気づいたように急になりを潜め、目を見開きリンを指さしてつぶやく。
「あなたは……! 何故あなたがここに? 血の戒めの幹部であるあなたがなぜ…そうか、その小僧の始末をしに来ていただけたのですね!?」
俺は、魔人のつぶやきの中に看過できない単語を見つけ、口を開く。
「血の戒め! リン。どういうことだ!?」
リンは俺の問いかけに答えず、魔人に向かい首を横に振りながら近づいていく。
何かを感じたのか魔人は後ずさりながらも必死に言いつくろう。
「!? ああ、この惨状は……この惨状を引き起こした罰として私の腕を? だとしたら誤解です! そう、そうです。すべてその小僧の仕業なのです。どこで知ったか、あの終焉のドラゴンゾンビの封印を開放したせいでこの有様ですよ。
私がどうにかドラゴンを始末しなければここら一帯は不毛の大地となっていました。 そんな大罪を犯したその小僧にドーゲンベルグ様の名代として天罰を下すところだったのです……」
魔人はさも当然のように嘘を吐き散らし言い訳を繰り返すが、リンは無言のままその歩みを止めない。
リンの雰囲気に何かを感じたのか、さらに警戒を強める。
そして魔人は少女を治癒しているカラドリウスをちらりと見て言う。
「そのカラドリウス…まさかあなたが西棟の侵入者というわけではないですよね!?」
「……」
魔人は無言のリンに目を見開き困惑の表情を見せる。
「!?ではなぜ……?」
リンは魔人の前に立ち、静かに言い放つ。
「ここでドーゲンヴェルク勅命の第1級秘匿研究 RZ―0254を実施していたはず。その研究レポートはどこ?」
「!? なぜあなたがそれを知っているのですか!? それに、あの方を呼び捨てとは!」
「……」
リンは答えない。
その瞬間、魔人ははじかれたように後ろに飛びずさり、魔法を発動する。
会話中に魔力を練っていたのだ。
「『マリオネット』!」
それに対しリンは右手を軽く振り払う。
「私には効かない。あなたも知っていると思うけど?」
「お前は何者だ? いかに血の戒めの幹部と言えど、あの研究は存在そのものが秘匿されているはず!」
魔人はリンを近づけさせまいと土属性の魔術を行使しているが、リンはその全てを封殺し圧倒しているように見える。
そうして、俺を置いて魔人対魔人の戦闘が始まった。