第6話 覚悟
「がはぁ!」
巨大な何かに吹き飛ばされ、肺からせり上がってくる赤い液体でむせ返る。
全身の骨が砕かれたような強烈な痛みとめまいが襲い、目の前が真っ赤に染まり焦点が定まらない。
頭部の出血が目に入ったか。
『柳二!!大丈夫か! 今治癒するからの!』
朦朧とする意識の中、ばあちゃんだけは何とか庇えたかと安堵する。
そして土埃の中で暴れる俺を吹き飛ばした何かに朦朧としながらも焦点を合わせる。
不意を突かれたとは言え、受け流したうえでこのダメージは普通じゃない。何だ今のは?
土埃が晴れるにつれて、全容があらわになる。
それは、まさに腐った…異形のドラゴンのような魔獣だった。10mはくだらない巨体だ。
足が2、いや4本か?曲がりくねった羽のような腕のような突起が2本、大木のような骨がむき出しになった尾。
そして触手のようなものが背中あたりから2~30本ほどのたうち回り、お互いに絡まり、うごめいている。
中には自身の背中を食い荒らすかのように体内に食い込んでいるモノすらある。
肉は腐り、骨は露出し、得体のしれない緑紫の液体が体のいたるところから溶けるようににじみ、液体のふれた岩や地面からは異臭とともに煙が立ちぼっている。
その足元には人間の胴回りほどの太く長い鎖が転がり落ちていた。
まだその鎖は体の大部分に巻き付いているがその腐敗したドラゴンが暴れるたびに徐々にちぎれ落ちていっているのだ。あれが解けるとヤバい気がする。
眼孔にはあるはずの眼球はなく、その漆黒の闇の奥に紫色の無機質な光がこちらを覗いていた。
「ギャーハハハ!!!傑作だ!人族風情はそうやって這いつくばっているのがお似合いだ! こいつは、さすがのお前でもどうにもできまい。あの方が自ら封印した災害級の魔獣さ。 そうだ。お前がこいつの封印を破り、暴れたことにすればいい!それで全部なかったことにできる!」
先ほどまで苛立ちの頂点だったクソ魔人が口元を歪ませて俺を罵倒する。
ドラゴンが完全に自由を取り戻しちまう前に回復しなければ不味いな。
そう頭では冷静に判断し早く動かなければと思うが、体が全く言うことを聞こうとしない。なんで動かない。クソ、動けよ。
その時、魔人の方から叫び声が聞こえた。
「…ッ! キャァ! …あ!? お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
この騒ぎで意識を取り戻した女の子が、血まみれの俺を見て叫び、体をばたつかせる。
ダメだ、今暴れたらそのクソ野郎が!そう思い俺が口を開くより早く魔人が動く。
「うるさいガキですね。 実験動物らしく大人しくしていなさい。」
魔人は能面のような顔でそう言うと、泣き叫びもがく少女のか細い首に手を伸ばし容赦なく締め付ける。
「やめろ。やめろ、クソ野郎!」
そう叫ぶも、俺は全身が砕かれたような痛みと衝撃による呼吸困難で声がかすれ、思うように声が出ない。
俺が焦燥にかられたその時、ふと女の子と目が合った。そして、苦しみながらも少女が叫ぶ。
「…ッ…お兄ちゃん逃げて! 早く!ックゥ…ああ!」
その細い首が折れそうなほど締め付けられ苦しむ少女が叫んだその言葉は、助けを求める叫びではなかった。
その顔は苦痛に歪んではいたものの、恐怖に打ちひしがれる顔ではなかった。
俺には心底申し訳なさそうなそしてどことなく寂しい表情に見えた。
しかし、魔人は容赦なく首を締め付ける。
指がめり込む。そして次第に女の子の顔から血が引いていく。
訳も分からず攫われて。
儀式と称した人体実験を受け。
霊子崩壊による計り知れない全身の痛みと恐怖を感じたはずだ。
普通なら目を覚ました瞬間パニックを起こしても全く不思議じゃない。
さらに今まさに自身の首を潰される痛みと恐怖を感じているはずなのに。
あの少女は命乞いはおろか俺に助けを求めるでもなく、こともあろうか俺の心配を口にした。
タダの依頼請負人である俺を気遣って“逃げろ”と。
8歳足らずの年端もいかない子が・・・なんて顔しやがる。
少女のその顔を見た時、3年前のあの時の出来事がフラッシュバックした。
この世界に訳も分からず投げ出され、魔獣に食い殺されかけていた俺を身を挺して助けてくれたばかりか、その後も親身になって面倒を見てくれたお人好しなリン。
そして、冒険の最後。逃れようのない絶望が、死が俺たちに降りかかった時。
リンが最期に見せた出来の悪い弟を叱り諭すような、それでいてどこか困ったような表情。その時のリンの顔と少女の顔が重なった。
それを思い出した瞬間、俺の中で後悔とともに、形容しがたい怒りが湧きあがる。
クソ!ダメだ!これじゃ、3年前のあの時と同じじゃないか。
あの時のように、誰一人守れず、俺はただただ膝を抱え蹲って、仕方なかったって自分を正当化し、後悔したふりをして目の前の現実から目をそらして逃げて。
また俺は同じことを繰り返すのか?
いや、違うだろ。
あの時、誓ったはずだ。他の誰でもない、俺自身に。
俺は強くなると決めたはずだ!
そのために3年間死ぬ思いで修行してきたはずだ。
俺の体、動けよ!今動かないでどうする…いいから、動きッやがッれ!
「うおぉぉぉ!」
叫びながら、俺は悲鳴を上げる全身の痛みを無視し、力の根源である俺の霊子に集中する。
その奥の奥を彗心眼で凝視する。
自身の深淵に深く沈み込む…怒り狂う自身の感情のその奥底にあるものに手を伸ばすように。
その時、俺の荒れ狂う感情の奥に、ひどく懐かしく、俺に不思議と安心感をもたらしてくれる柔らかい光が見えた気がした。
普段はどんなに集中しても感じられないその光が、なんだか俺を呼んだ気がした。
やがて光の輝きが増し、熱を持ち始める。周りにある俺の荒れ狂う感情にそれを少しだけ溶かしてゆっくりとかき混ぜる様にイメージする。徐々に早くしていきドロドロになるまで混ぜ込み、やがて灼熱になったそれを掬い出す。
『柳二!ダメじゃ、その力は今のおぬしでは耐えられん!!そんな体でその力を使えば制御しきれずに暴走するぞ! 今全力で治癒に回している。少し待つんじゃ!』
首もとで俺に必死で訴えかけるばあちゃんのつぶらな目を、俺はまっすぐに見つめ返す。
「ばあちゃん… 俺、もう二度と3年前のようなことは繰り返したくないんだ。 3年前だけじゃない。父さんの時も、凜香の時も。俺はいつも守られてばかりで肝心な時には誰も何も守れなかった。もうそんな自分は嫌なんだ。」
「それに・・・お人よしが過ぎるあの子。妙にリンと重なるんだよ。あの子は死なせちゃいけないって思うんだ。助けたい。・・・今は俺の体よりもあの子を守れる力が必要なんだ。 だから力を貸してくれ。頼むよ、ばあちゃん。」
俺は、そういうと、ばあちゃんの目を真剣に見つめる。懇願するように。力を込めて。
『・・・3年前。確かにワシはあの時、おぬしを連れて逃げ帰った。そしてこの3年間、死をも恐れないお主の姿を見ていると、あの時逃げ出すのが本当にお主のためであったのかと疑問に思ったことが幾度となくあった。
・・・ワシは、おぬしの体を気遣うあまり、図らずも深く傷つけてしまっていたのかもしれぬ・・・。』
ばあちゃんは目を閉じてしばらくの沈黙の後つづけた。
「・・・わかった。ワシも腹をくくったわい。最後までおぬしの望む道を行ったらええ。最期まで付き合わせてもらおうかの。』
「!? あぁ! ありがとう。ばあちゃん。」
その言葉に、目頭が熱くなる。
同時に、不思議と焦りは霧散し、俺の中で渦巻き焼き焦がすような熱が力に変わっていくのを感じた。
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