佐藤、コンビニ初体験。
十二月二七日午前八時頃……。
外に出た佐藤をまず最初に迎えたのは、久方ぶりの太陽光と、肌を刺すような寒気だった。
「うぅぅ、眩しい、ですな」
左手を目上に翳し、まだそこまで強くもない太陽の光を遮り苦し気に顔をしかめる。
長い間暗闇の中で生活してきた彼には朝日程度の光量でも体に毒のようだ。
「そ、それに……おも思った、よりも……ささ寒いで、あります、ぞ……」
白い息を吐きながら全身を数度ぶるぶるぶるっと震わせる。
寒いのは当たり前である。
年末の朝方の気温は十度を下回る。
そして暖房が常に入りっぱなしの部屋にいた佐藤は、暫く外界に出てなかった事もあり外の気温を舐めきっていた。
深く考えもせずにランニングシャツの上に緑のチェックのシャツ一枚という超薄着の格好で外に出てきたのだ。
朝の凍てつくような冷気が薄手のシャツの防御を無視して佐藤にダイレクトアタックを仕掛ける。
まだ家を出て数歩なのにも拘わらず、既に佐藤の決意という名のヒットポイントは殆んどない。
半分心折れかけで、玄関扉と門扉の間で何度も視線をさ迷わせる。
ここで一般の考えの持ち主なら上着を取りに行くという選択肢があるのだろう、だが佐藤の場合は違った、そして誰よりも自分自身の事を理解していた。
上着を取りに戻るのはいい、だが部屋に戻ったら最後、自分の部屋の安心感にまた外に出る決意を抱くことは当分不可能だろうと。
だからこそ佐藤は決意した。
このまま行くしかない、と。
ぐぎゅるると鳴く腹の音に背を押されるように勢いよく前へと歩き出す。
門を出て辺りを見渡す。
久方ぶりに見る外の景色、だが佐藤の記憶にこの光景はヒットしない。
こんな場所だったっけ?あれ?と首を傾げながらも取り敢えず適当に右へと歩き出す。
彼が引きこもっていた二十年の間に近隣の建物はその頃の面影を残さない程様変わりしていたのだ、佐藤が首をかしげるのも仕方がない事だろう。
見慣れない景色に辺りをキョロキョロしながらも、勘任せで適当に住宅街を進んでいく。
だが彼はまだ気付いていない。
日曜日の朝八時、本来なら少なからず見掛けるであろう主婦達の姿や散歩する老人達の姿、はたまた部活動や遊びに出掛ける子供達の姿が、どこにも見当たらない事に。
そして人気が全くない所か鳥や猫などの動物の姿すら見掛けない、それどころか物音一つとしてしない不気味なほどに静かな街の姿に。
住宅街を抜け、 色んな店や会社が建ち並ぶ国道沿いに出る。
其処にも人影はどこにも見当たらない、自転車やバイク、自動車すら一台も走っていない異様な風景。
だがそんな異様な風景も佐藤には異様に思えていない。
壁に突き刺さり潰れてしまっている自動車、玉突き事故を起こして今だに煙をあげている自動車、黒焦げで放置されている自動車、そんな如何にもな光景を目撃しても尚、佐藤は見事にオールスルーであった。
「人がいないでありますなぁ……確か、ドーナツ化現象とか習った覚えがありますが、それのせいですかな?日曜日だから、皆都内には来ない……都内に来ない……ぶほっ」
昔習ったあやふやな知識を思い浮かべ、したり顔でうむうむと頷き、そして事故レベルの親父ギャグにもなってないギャグで一人でウケている。
一人でニヤニヤ笑いながらブツブツ呟き、唐突に吹き出す佐藤の姿は何処か楽しそうではあるが、端から見れば完全に怪しく不気味な人である。
だが佐藤がそれに気づくことはない。
実際のところ、佐藤は久し振りの外出による不安と緊張で一杯一杯であり、自分でも何を言ってるのか理解できていないのだから。
自分の内心を誤魔化すように独り言を呟きまくりながら適当に歩く佐藤だが、いつのまにかコンビニらしき建物の前に到着していた。
コンビニエンスストア、通称コンビニ。
今では町中に溢れているコンビニではあるが、佐藤が引きこもる二十年前は近場には全く建っていなかったのだ。
だからこそコンビニは佐藤にとって知識の中だけの存在であった。
「ここが……コンビニ、ぞな?」
ガラス張りの壁を覗きこみ中を確認する佐藤。
中は白に統一された清潔感のある内装、これでもかと云うほどに照明で照らされている店内。
色とりどり種類豊富な商品がところ狭しと綺麗に陳列されている。
間違いなくコンビニ、ここにならお目当ての食べ物があるはずだと、佐藤は恐る恐る自動ドアをくぐり中に入っていく。
中は暖房が効いていて快適な温度に保たれているようで、いつのまにか外の気温に適応していた佐藤にとっては少々暑いぐらいである。
多少浮かんでくる汗を袖で拭いながら、ゆっくり店内を見渡し、あることに気付く。
「此処にも人がいないでありますな……」
カウンターの中にも、店内の何処にも誰もいない。
普通ならこれ程異様な光景もないだろうが、それでも佐藤は気付かない。
そそくさと店内を見歩き、適当に弁当とコーラを選ぶとカウンターへと持っていく。
カウンターの上を繁々と眺めて、あれ?っと首を傾げる。
「おろ、てっきり呼び鈴的な物があると思ってたでありますが……」
今一度辺りを見渡し、最後にレジへと視線を向ける。
「ま、まさか、セルフぞな?」
恐る恐るレジのバーコードリーダーを持ち上げ、周りに視線を配りながら弁当のバーコードへと当てる。
ピッ
静かな店内に響く電子音、そしてレジのディスプレイに表示される¥490の文字。
本来なら店員のネームプレートか何かでロックを解除しなければ使えないのだろうが、たまたま解除された状態で放置されていたようだ。
だが勿論佐藤はそんなこと知らないし気付きもしない。
あ、あってるぞな?と首を傾げながらもおっかなびっくりとした動作でコーラもピッとスキャンする。
無事に二つの合計金額がでるも、これからどうすればいいのか検討もつかない佐藤。
そもそもお金をどうやって払ったらいいのか分からない。
暫しの熟考、そして何を思いついたのか。
キリッとした表情を浮かべた佐藤は、
「つ、釣りはいらないでありますぞ!」
と声を張り上げて、レジの横に置いてあった募金の箱に千円札を突っ込んだ。
そしてその状態のまま辺りを探るように視線を巡らせる。
周囲には何の反応もない。
数秒待っても何も起きないことを確認した佐藤は、恐る恐る弁当とコーラを手に取ると、辺りを警戒しながらゆっくりと後ろ向きでコンビニから出ていくのであった。




