ニート弐、玄関に立つ。
十二月二七日午前五時頃…。
高層マンションの最上階、ワンフロア突き抜けの部屋の一室。
照明が灯ってない薄暗い部屋に一台のパソコンのディスプレイの光だけがぼんやりと輝いている。
高級そうなパソコンデスク、そしてその前にある高級そうな椅子に座る一人の男。
手慣れた感じで手元には目もくれずにキーボードを高速で打つ様は、最早その道のプロと言っても過言ではないだろう。
カタカタカタカタカタカタッと、淡々とキーボードを打つ音だけが部屋に響き渡る。
「…………乙乙……と」
最後に一際強くエンターキーをタンタンッと叩いた男は、その場で一度伸びをしどこか満足そうな表情を浮かべた。
「中々に白熱した……充実した時間だった………やはり、ガンダムは素晴らしい……素晴らしい」
男はうんうんと頷きながら椅子から立ち上がり、そこで肩を回したりと軽くストレッチをする。
体を少し曲げる度にゴキゴキと鈍い音がし、うっ、くっ、と声が漏れる。
その動作一つ一つが洗練されたオッサン臭を匂わせている。
「しかし、あいつら全然分かってない……。やっぱり至高はケンプファー……」
部屋のガラス棚に綺麗に陳列して飾ってあるプラモデルをゆっくり一瞥し、その中の一体、重火器をこれでもかと搭載したプラモデルに目を止め、うっとりとした表情を浮かべる。
なにがそこまで彼の琴線に触れているのかは分からないが、最早うっとりし過ぎて公衆の面前に出せない顔になっている。
満足するまで一通りいろんな角度からそのプラモデルを眺めた後、満足そうに強く頷いた。
少し興奮し過ぎたのか、少々息切れしている彼は喉の乾きを潤すために冷蔵庫へと足を向けた。
薄暗いにも関わらず照明をつけることもせず、なのに何かにぶつかることもなく冷蔵庫の前まで着いた彼は、六枚扉のうちの一番大きい両開きの扉をゆっくり開けた。
…………何もない。
あるのはドレッシングや調味料、後はペットボトルの飲料水ぐらいの物だった。
取り合えず喉の乾きを潤すためにペットボトルの口をカッポリ加えて水を一気飲み。
そして少し落ち着いた思考で思い返す。
「忘れてた……黒崎が居ないから何もないんだった……」
黒崎というのはこの男の家に遣える執事。
大事なことなのでもう一度言おう、執事である。
何を隠そうこの男、世界を股に掛ける超一流企業、鈴木商事、それを一世代で築いた凄腕社長の一人息子……俗にいう御曹司なのである。
鈴木 一 四四歳独身。
彼女いない歴=年齢
身長一六一㎝ 体重五五kg、少し頼りなさげな顔に気の弱そうな表情、辛うじて生えているというぐらいの頭髪、小柄な身長に猫背と言うザ・日本人的な容姿をしている。
そしてそんな鈴木一のお世話兼護衛として、彼の父である社長に雇われているのが黒崎七五歳、白髪がよく似合うジェントルマンなのである。
だからこそ普段は鈴木の世話のために常に近くに待機している黒崎だが、ここ二日程音沙汰がない。
携帯に連絡をしても電波が届かないか電源が入っていないと言われ連絡もとれない状態なのだ。
流石に何かあったと考えるべきだろう、早急に他の誰かに連絡して事情を聞かなければならない。
だが自身の携帯の電話帳を確認しても、そこには黒崎の電話番号しか入っていないのだ。
友達はおろか、親の連絡先すら入っていない。
その事実に少し胸が苦しくなる鈴木。
「いや、ななんとも思ってないし。べ別に、連絡先とかいらないし……」
部屋にいるのは自分一人なのに誰に対してか強がる鈴木。
だが心臓の辺りを鷲掴みにしながら片膝を着いている時点で、かなりダメージを受けているみたいだ。
一人で既にピンチな鈴木だが、ぐぎゅるるるると、静かな部屋に唐突に響き渡った自身の腹の音にハッと我に帰った。
そして鈴木は今更ながらに自分がかなり空腹なのに気が付いた。
普段は黒崎がその日の分の食材をその日に買ってきて料理を作ってくれる。
だから家には余分な食材は一切ない。
栄養と健康の管理もきちんとされていた為、レトルトや冷凍食品、インスタント系の食材、菓子類さえも一切なかった。
だから鈴木は黒崎がいなくなってからの二日間、冷蔵庫にあった水とマヨネーズしか摂取してないのである。
気付いてしまえば、刻一刻と酷くなってくる空腹感と腹の音。
このまま誰かが来るのを待つというのは自分のお腹が持つとは思えない。
幸いお金は非常用の財布に有り余るほどあるし、黒いカードもある。
だが彼、鈴木一は引きこもりだ。
高校を中退してからずっと引きこもりだ。
物心付いた頃にはすでに黒崎にお世話をされていた。
普段の食事、買い物、雑用は全て黒崎任せ。
お金は父親の金を湯水のように使っているから仕事をする必要もない 。
だから外に出ることなんて殆どないし、外で買い物したことも殆どない。
生粋の箱入り息子、三十年近く引き込もっているニートオブニート。
そんな彼は揺るぎない決意を秘めた表情を浮かべると、足早にウォークインクローゼットへと足を運ぶ。
広いクローゼットの中はがらりとしており、下着類が入ってる小さなタンスに、通販で買った外出用の衣服が入った段ボールと、これまた通販で気になって手当たり次第に買った物が入った段ボールだけである。
そんな中、佐藤は予め決めてたかのように迷わず開けた段ボールから、衣服を出して着込んでいく。
綺麗に畳まれた青のチェックのシャツ、
新品に近い青いジーパンにシャツをインしたらベルトで締め付けその上からウエストポーチを装着、デジタルの腕時計を嵌め、もう片方の手にはお洒落にリストバンド、何かかっこよさげなマークの入った紺色のキャップを被り、そして白いハイテクスニーカーで足元を固めれば完璧である。
玄関で爪先を床にトントンと打ち靴の履き心地を確かめ、ウエストポーチにちゃんと財布が入っているかを今一度確かめ、最後に玄関の大鏡で身嗜みをチェック。
「完璧のはずだ……再三に渡り確認したんだ、変なとこもないはずだ……」
鏡に映る自分と目を合わせ、気合いを込めるように深く頷くと、鈴木一はゆっくりと玄関の扉を開け、外の世界への一歩を踏み込むのだった。