◎その7 高遠そばの誕生
◎その7
「正之様がそば打ちの工夫をしている間に静は、出汁を試しておりました。」
「うん、これはどのようにして食べるのじゃ。」
「そちらの小鉢に出汁を入れてあります。そこにつけてお召し上がりください。」
正之は教わった通りに、そばを箸で掬い取り、出汁につけ、口に入れる。
ずずず~。
「うん、うまい。これならばおいしく食すことができる。」
「次はこの焼いた味噌を出汁に入れて食してください。」
正之は言われたとおりにしゃもじの上で少し焼かれた味噌を少し出汁に溶かす。そして、同じようにそばを食べる。
「これは、また違った味になって、これはこれでうまい。」
「次は、これでございます。」静が差し出したのは、大根おろしであった。
「この大根は高遠名産の辛みが強い大根でございます。そばにあうのではないでしょうか。」
「ほほ~、そんな大根があるのか。」正之は言うが早いか、大根おろしを出汁に入れてそばを食した。
「う~ん、ただの出汁、味噌、大根と味を変えれば、いくらでも食べることができるぞ。静、素晴らしいぞ。」
「正之様がそば切りを完成したので、このようにおいしくなったのでございますよ。」
「うむ、このそば切りをこれからは高遠そばとして広めようではないか。」
静と正之が開発した高遠そばは旅人や行者の口コミにより広く知られることとなった。今日も城下町では評判の高遠そばを食べようと多くの人々が訪れている。
〇高遠コヒガンザクラの秘密
保科正之は養父正光の跡を継ぎ、二十一歳で高遠藩主となった。藩主となった正之は学問を大切にし、産業の発展に力を入れた方針を定めた。
そのおかげで信州の山の中にある高遠藩は小規模ながらも大身に負けない豊かな藩へと順調に成長している。正之が考案した高遠そばは藩内はもとより信州を訪れる旅人に人気の食べ物として評判が広まりつつあった。
この高遠には他にも他国に誇れるものがある。それは桜である。高遠城下周辺に植えられたたくさんの桜はうららかな春となれば豪華絢爛に咲き誇り、高遠桜と呼ばれ親しまれている。
高遠桜は美しい薄桃色が特徴である。桜の本数もずば抜けて多く、古今東西天下随一の桜として有名だ。運良く高遠桜が咲き誇る時期に中山道を通り信州入りした旅人は、旅程を変更して茅野から杖突峠を越えて高遠に寄り道する。遠国からわざわざ高遠桜を見に来る常連さんがいるほどである。