◎その5 高遠にて
◎その5
杖突峠より五里ほど西へ進むと、川にえぐられた台地が船の舳先のように出っ張った場所にたどり着く。この台地の上に高遠城があり、西に向かって川沿いに城下町が広がっている。
ようやく旅が終わったのである。
「さあさあ幸松様、こちらが住まいでございます。」
そう言って静が案内したのは、本丸から少し離れた場所に新築された小さな庵であった。
庵は小さいながらも部屋が五つほどあり、幸松の寝所や居間、静や侍女の部屋がコンパクトにまとめれらた趣味の良い建物であった。
「うん、ご苦労であった。静は古府中に居ながらこのような造作を指示していたのじゃな。」
「造作の指示などと大層なことをしていたわけではありませぬ。高遠の方々が幸松様のお越しをそれはそれは楽しみにしながら、準備してくださったのですよ。」
「今は、何も返すことはできないから、早く大きくなって領民が喜ぶことをしたいものじゃ。」
「これはこれは頼もしいこと。では、さっそく明日から勉学にお励みなされませ。」
「それは、ちょっと、勘弁・・・じゃ。」
こうして、幸松は高遠藩へ保科正光の元に養子に入り、保科幸松となった。
幸松は日の出と同時に床を離れる。すると既に控えていた侍女たちが着替えを準備してくれているので、さっさと済ませる。
朝餉の前に武道担当の教育係が剣術指南をしてくれる。竹刀素振り三百回が朝のノルマである。素振りの後は打ち込みと続く。続けて、弓術と組み手を日替わりでこなすとようやく朝餉の時間となる。
朝餉は一汁一菜の質素なものである。しっかりかんで食べることを静からうるさく言われるので、食事時間はきちんと確保されているようだ。
朝餉の後は、読み書きそろばんなどの手習い系の勉学が続く。それぞれ専門の教授がついているし、静が横で見張っているので、手を抜くことはできない。
手習いの後は、軽い昼餉を取ることができる。昼餉というよりもおやつに近いかもしれない。握り飯にたくあん、白湯というのが定番メニューだ。
昼餉の後に来るのが、儒教系の勉学だ。これがいかに大切なのかは静からくどくどと聞かされているので、十分承知しているのであるが、どうにも眠くなる。
うとうとしていると、
「幸松様、顔を洗いたくなったのでありますか。」と静が尋ねてくるので、
「手水を所望したい。」というと、縁側で顔を洗うことができる。
儒教系が終わるとようやく幸松に自由時間がやってくるのである。庭で土いじりをするときもあるし、散策と称して、高遠領内を歩くこともある。そんなとき、静はいつもつかず離れずしながら見守ってくれた。
〇高遠そば
「静、この焼いたみそはなかなかうまいな。」
無事に一五歳を迎えた幸松は元服し、正之と名乗ることとなった。同時に正式に保科家の養子となった。保科正之の誕生である。
高遠藩は勉学に関しては藩をあげて奨励しており、信州の山奥にあるにも関わらず、藩士や領民の学習意欲は非常に高い。だが、食に関してはこだわりが少ない土地である。