◎その3 古府中にて
◎その3
「同じ信州でも諏訪の先、高遠藩でござる。」
古府中には見性院という女性がいた。武田信玄の側室とも娘とも言われていたが、戦国の騒乱にまぎれて行方不明となった。見性院の娘らしき女性が古府中にいるとのこと、名前を静というらしい。
「古府中に寄ってこの静に高遠まで同道させるつもりだ。到着後は、そのまま乳母として幸松の世話をさせたい。」
妾腹とはいえ、幸松は二代将軍の子供である。江戸城内から乳母や守役を選べば、もめごとの種をまいてしまう。
その点、武田信玄所縁の者であれば、一段下の扱いとなり、お与江も安心するであろう。古府中、高遠を何度か使者が往復し、細かな準備が進められた。
「幸松様、そなたには高遠藩 保科正光殿の元に出向いてもらいたい。いずれは高遠藩主となってもらいたいのじゃ。」
幸松が七歳になったある日、秀忠は申し渡した。
「わかりました。幸松は父上や母上の教えをしっかりと守り、これからも勉学に励み、良き藩主となれるように精進したいと思います。」
父子の間には型通りの挨拶が交わされた。秀忠は幸松を抱きしめてやりたかったが、お与江の視線がそれを許さない。
「うむ、期待しておるぞ。」
秀忠はそう告げると、奥へと引っこんだ。親子はあっさりと別れたのである。
〇古府中にて
「あ~、退屈~、やることないな~。」
「静様、そのような言葉遣いははしたのうございます。おやめくだされ。」
「あれ、静はそろそろ飽いてきたのでごじゃる。」
「言い方を変えればいいというわけではござりませぬ。だいたいそれは公家言葉でござります。いったい、どこでそのような言葉を覚えてきたのでありますか。」
静は武田信玄所縁の見性院の娘ということになっている。見性院は諏訪氏の娘で、信玄の側室だった。湖衣姫とも呼ばれていた。
静は武田家の菩提寺に世話になっているが、尼というわけではない。わがまま放題のようでいて、周囲の人々から愛されることこの上なく、母に倣って「静様」と親しみを込めて呼ばれていた。
「静様、江戸より使者が参りました。」
「うん、通しておくれな。」
「二代将軍徳川秀忠様の使者、佐々木主水の丞と申します。」
「静でございます。遠路はるばる、おいでいただき、誠にかたじけのうございます。此度は何用でござりましょうか。」
「静様には幸松殿という子供の乳母となり、高遠に出向いて頂きたいのです。」
「静は、乳はでないぞよ。」
「幸松殿はもう7歳がゆえに乳をやる必要はありません。役職としての乳母になって頂きたいのです。」
「わかりました。将軍様の思し召しのままにいたします。」




