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◎その2 幸松様

◎その2


〇幸松様


「幸松様、こちらへ。」

 二代将軍徳川秀忠の本妻、お与江はいつも幸松をこのようにして呼びつける。


「はい、母上、何か御用でしょうか。」

 まだ、五歳の幸松は義理の母であるお与江の方に呼ばれると心臓をどきどきさせながら、局に入った。


「幸松様、呼ばれてもすぐに返答をしてはならんとお教えしたばかりではないか。」

「母上、申し訳ありません。この幸松、うっかり失念しておりました。やり直します。」


「これだから妾腹はだめなのじゃ。」


 お与江は幸松に聞こえるようにつぶやくと取り巻きの侍女を引き連れて局を出て行った。菓子をやるからと局に幸松を呼びつけ、入り方が悪いと何度もやり直しをさせたあげく、肝心の菓子をあげたためしはない。


「こんな不出来なお子のどこが将軍様はお気に入りなのじゃ。」

 秀忠はお与江の子供も幸松も平等に扱い可愛がっている。周囲からはすばらしいことだと称賛の声を浴びているが、お与江には面白いはずがない。


「将軍様は、幸松を三代将軍にするつもりなのじゃろうか。」

お与江は秀忠に何度かただしたが、秀忠は、

「そんなことはありえない。それはお与江の考えすぎだ。」

 と取り合ってくれない。実際、父家康の教えに従い、家光を後継ぎにすることは既定の事実である。


 なのに、お与江は心配でならない。できれば、幸松を亡き者にしたいと胸の奥深くにいつも陰謀が渦巻いている。


「このままでは、幸松はお与江にいづこかに葬り去られてしまうかもしれんな。」

 秀忠は気が気ではなかった。将軍といえども大奥内において入ることができるのは、寝所をはじめ、ごく限られたエリアのみである。


 ブラックホールのように謎の空間も大奥には至ることろに存在するらしい。現に先日も秀忠がちょっと声をかけた侍女が翌日から姿を見せていない。


「お与江が健在の間、幸松をどこか地方に預けることができないだろうか。」

 幸松を手元に置いておきたいのはやまやまであるが、死んでしまっては元も子もない。


 そんなとき、この時代では、信頼できる地方にほとぼりがさめるまで預けることがよくある手であった。預ける場所は遠い田舎ほど安全である。


「将軍様、幸松様のお先でございますが、信州はいかがでしょうか。」

「信州か・・・。」


 秀忠にとって信州は、川中島にて真田一族に足止めをくらい、家康にどえらい怒られることになった因縁の地である。



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