◎その1 玉川涼子と社会科新聞
◎その1
〇社会科新聞
玉川涼子は宮川中学校二年生の女子生徒である。夏休みの宿題の一つとして課せられた社会科新聞のテーマを保科正之と定めていた。保科正之は江戸時代初期に宮川村近くの高遠藩主であった人物である。
なんと二代将軍徳川秀忠の隠し子とも言われている。保科正之を主人公にして連続長編ドラマを作ろうという運動がここ宮川村でも広がりつつあり、どのような人物なのか興味を持ったのである。
夏休みのある日、涼子はさっそく高遠にある歴史博物館を訪れた。ここには高遠の歴史や独特な色で有名な高遠コヒガンザクラの云われなど多数の貴重な資料が展示してあった。
保科正之はドラマ誘致運動のおかげか、特設コーナーが設けられており、生涯の年表や人物絵、どのような人物であったのかなどのエピソードが所狭しと展示されている。
涼子はこれをまとめれば社会科新聞程度を作るのは楽勝だと小躍りしそうになった。館内は写真撮影禁止なので、ノートをカバンから引っ張り出して、展示物を読みながらメモをとりつつまとめていく。
「保科正之ってとってもいい殿様だったんだ。」
涼子は正之人気の高さの理由を知って一人でうなずいた。
「あれ、この掛け軸・・」
涼子が目を止めたのは、保科正之直筆とも静の書とも言われている桜をモチーフとしたものである。高遠コヒンガンザクラの幹にくっきりと御印が現れている。
御印を確認した涼子は、
「ここに書かれているの、あれえ・・・。まじで誰も気が付かないの。だって、江戸時代にこのマークはあり得ないよ。」