瓜生『先生』
小春ちゃんの編入試験も終わってから1週間が経過した。注文していた制服も昨日ようやく届いたので、今日から通学する事となる。
学園の制服は、この辺りの学生にはとても評判が良いらしい。
昨日届いた制服に袖を通し満面の笑みを浮かべる小春ちゃんとその様子を嬉しそうに見ている雪さん。
そんな二人も見ている僕の顔はきっと人様に見せれない顔をしていたと思う。
「瓜生先生、あの・・・」
小春ちゃんは、会話こそすれど昨日まで僕の名前を呼ぶ事はなかった。それが昨日、制服が届いて以降はこうして『先生』をつけて呼ぶ様になった。
間違ってはいないのだが、家の中でも『先生』と呼ばれるのは少し抵抗があった。
他の呼び方をお願いしてみたのだが、学校でもし間違えて呼んでしまっては僕に迷惑がかかるとの事で結局こうして甘んじて受け入れてしまった。
「小春ちゃんどうしたんだい?」
「もう、先生。私も『先生』と呼ぶから先生も私の事は『名取さん』って呼ぶ約束したじゃないですか」
言われて交換条件を提示されていた事を思い出す。
僕も他人行儀に『名取さん』と呼ぶ約束だった。
僕の心の中では相変わらず小春ちゃん呼びだったから思わず間違えてしまったが、確かにこれは注意しないといけない。
学園ではミスをしない様に気を引き締めよう。
「ごめんね、ついうっかり。それでどうしたんだい?」
僕は本題が何かを促す。無駄話をし過ぎて忘れてしまったでは本末転倒になってしまう。
「あの、朝は私と時間をずらして家を出るお話でしたが、今までよりかなり早い時間に出てしまう事になりますよね?居候の私が先に出ま「大丈夫ですよ、こう見えても朝は強いですし、早く通勤して仕事すれば、その分夜が早く帰れますから」」
小春ちゃんが最後まで言い切る前に言葉を被せる。
まったく・・・昨日もあれ程気にしなくて良いと言ったのだけどな。
一週間程経過しても遠慮がなかなか抜けない事に苦笑が漏れる。
「あ!私を見て笑いましたね?昨日から同じ事を言い続けているからですよね」
どうやら自覚はあるらしい。
そう言って頬を膨らませる小春ちゃんを見て、こういう所はまだまだ子供だなと今度は違う笑みが溢れてしまった。
「また笑った。もういいです」
そう言ってそっぽを向く小春ちゃん。これ以上はマズイと思っていた所で雪さんが仲裁に入ってくれた。
「ほらほら二人とも戯れてないで。優君、朝ご飯用意してあるから。時間ないから急いで食べてしまってね」
時計を見ると、確かにそろそろ時間が怪しくなってきていた。
食卓を見れば、ここ最近では見慣れてしまった、サラダとスープ、焼きたての目玉焼きとトーストとコーヒーが並んでいた。
雪さんの作る目玉焼きは半熟具合が絶妙で僕の密かな楽しみになっている。
初めて朝食にスクランブルエッグが出てきた時、どうやら顔に出てしまった様で、それ以降はずっと目玉焼きになっているのは今でも申し訳なく思っているが・・・。
本人は何でもない様な顔しているけど、毎日朝食を準備するのに僕らよりも早く起きている雪さんには本当に頭が下がる。
僕はその事に感謝しながら、時間がないので急ぎながらもしっかりと味わって食べた。
「ごちそうさまでした。雪さんいつも美味しい朝食をありがとう」
そう言って食器を台所まで運び、慌てて支度を始める。
ものの5分程で身支度を終え、ダイニングに戻ると二人がまだ食事をしていた。
その光景をもう少し見ておきたいと思うが、そろそろ時間が本格的に厳しいので一声だけかけて足早に玄関に向かう。
僕が靴を履いていると慌てた様に雪さんが走ってきた。
「優君、今日も一日頑張ってね。美味しいご飯を作って待ってます」
そう言って僕のネクタイを直してくれる雪さん。
年甲斐もなく顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
この顔を雪さんに見られたくない僕はすぐに後ろを向いてしまうのがもう癖になってしまっている。
「ありがとう、夕食楽しみにしてる。それじゃ行ってきます」
気づけばもう7月。外もだいぶ暑くなってきたものの、それでも僕の頬を冷やすには十分だった。
先日編入試験を終えたばかりの小春ちゃんが、もう少ししたらまた頭を抱える姿を想像すると思わず笑いがこみ上げてきた。
そんな事を考えながら、僕は彼女に追いつかれない様、足早に駅まで向かった。
学園の職員室に入ると、既にそこには数名の先生が居た。
僕が知る限り、この人達は学園でも教育に熱心な先生として評価が高い。
その内の一人が僕に気づき声をかけてくる。
「瓜生先生、今日は早いですね」
驚かれるかもしれないと思っていたが、やはりそうなってしまった。
「はい、たまには早い時間に出勤するのも気分転換になるかなと思いまして」
「そうでしたか。早起きは三文の徳とも言いますからね。それはそうと、鷹野がついに進路を決めましてね?」
久しぶりに聞いた名前に思わず反応してしまう。
「そうでしたか。ちなみに彼女はどこを希望しているのですか?」
「涼風女子大の教育学部だそうです。このままいけば問題なく合格出来ると思いますが、本人は油断していないどころかますます勉強に取り組んでいます」
「そうでしたか。本人の頑張りは勿論ですが、これも特別クラスの先生方のご指導の賜物ですね。彼女の望みが叶う様に益田先生どうか宜しくお願い致します」
そう言って頭を下げる。すると益田先生は慌てて頭を上げるように僕に言ってこられた。
「まったく、瓜生先生は本当に何というか相変わらずですね」
そう言って苦笑する益田先生だが、僕には先生の言いたい事の意味がさっぱり分からないでいた。
僕が呆気にとられているのを見た先生は、深くため息を吐く。
「瓜生先生は・・・いえ、これは余計なお世話ですね。鷹野の事は私に任せてください」
そう言って、僕の肩を叩き去っていく益田先生。
鷹野はきっと大丈夫だろう、僕は自分の席に戻り少し早いが午前中の授業の支度を始める事にした。
〜〜Masuda's point of view〜〜
「まったく、我が校の誇りとも言える卒業生や在校生でトップクラスの大学を狙える学生の中に、元々は就職希望で入学してきた生徒がいるなんて事がバレたら希望者が殺到してしまいますよ」
そう言って先程まで話していた先生を肩越しに見やる。
彼が望めば特別クラスを受け持つ事だって可能だろう。むしろそうなって欲しいと学園としては思っているだろう。
だが、彼は決してその誘いを受けようとしない。
その理由が何故かは分からないが、さっき話した感じからしても今もそれは変わらないのだろう。
でも最近思う事がある。最近の彼は身なりがとても綺麗になった。
少し前まではヨレヨレのスーツにだらしなく伸ばした髪が特徴的だった。
何か転機になる様な事があったのだろうか?考えるに思い当たる事は・・・そこではたと気付く。
そういえば急にお昼に弁当を食べていた事を。
これは彼がやる気を見せる日も近いかもしれない。そうなれば良いと思いながら、他の先生にはくれぐれも彼に詮索しない様に根回しをしておこう。
そう決めた私は、早速近くにいる林田先生に向かって歩き始めるのだった。
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今回は、少し糖分を取る形とさせていただきました。小春ちゃんが空気でしたので少しだけですが表に出させていただいたつもりです。