嬉しい申し出
昼休みが個人的な用件で終わってしまった為、いつもよりほんの少しだけ帰宅時間が遅くなってしまった。
自分の部屋にこうして電気がついてるのを見ると何やら不思議な気分になる。
「た、ただいま・・・」
「お帰りなさい優君」
こうして誰かに迎えられるのは一体どれぐらい振りだろうか。
僕は鞄を廊下に置き、そのままリビングに向かうとソファーに座ってテレビを見ている小春ちゃんが目に入る。
「あの…お、お帰りなさい」
「ただいま、テレビ見てたんでしょ?僕の事は気にしなくていいから続きを見ててよ」
僕が帰って来たのでテレビを消そうとする小春ちゃんをそう言って制止する。
彼女はそれでもテレビを消してしまった、そしておもむろに立ち上がる。
「編入の件、その・・・ありがとうございました。明日の試験一生懸命頑張ります」
「そんなに気負わなくて大丈夫だから。どのクラスに入っても環境としては悪くないから心配しなくて大丈夫だよ」
「優君、あのね。私達まだ優君の勤務先の学校について何も聞いてなかったけど、一体何処の高校なの?」
言われてはたと気付く。そうだった、まだ二人には伝えてなかった。
「ごめん、言ってなかったね。僕の勤めているのは風早学園って所なんだ」
「「え?」」
「ああ、そうだよね。聞いた事なかったよね。風早学園は県下最大規模を誇る学校でね。スポーツ・勉学ともに盛んなんだけど、進路は進学・就職が混在している学校なんだ。ただ面白いのがね、身内贔屓もあるとは思うけど、この学校は就職も進学もどちらも実績があるのが自慢なんだ。普通は進学が有利な学校と就職が有利な学校って感じで分かれると思うんだけど、この学校はどちらも凄いんだよ」
二人の様子が先程から少しおかしい。もしや、編入先に納得がいかないのかもしれない。まいったな、しっかり話してから動いた方が良かったかもしれない。
「勝手に決めて悪かったね。もし、嫌なら時間を貰えれば他の所も探すけど」
僕の提案に、二人は無言で首を横に振る。どうやら編入先がお気に召さない訳ではないようだ。
「優君、少し確認させてもらっても?」
「雪さん気になる事があるなら遠慮なく聞いて」
僕がそう返すと、雪さんは恐る恐る口を開いた。
「優君、今言ってた風早学園って確か授業料とかその他の費用が高いと聞いた事があるのだけど・・・」
「どうなんだろうね。一応費用的なものが載っている書類ももらったけど、しっかり確認はしてないかな。払えない金額ではなかったので心配しなくていいよ」
僕は二人を安心させようと言ったつもりだったけど、二人の顔は険しくなる一方だ。
それまで黙っていた小春ちゃんが、申し訳なさそうに口を開く。
「あの、私大人になったら、かかった費用はお返しするようにしますから」
「子供がお金の心配をしなくてもいい。そんな事よりも学園生活を楽しんでくれたら嬉しいかな。あと、そんなに緊張しなくていいよ。これから暫く一緒に暮らすのだからそんなに畏まらなくていいんだよ」
「そう言われましても・・・」
今は仕方ないか、おいおい慣れてくれるのを待つしかないだろう。
「とりあえず、明日の試験が朝早いから今日は早く寝るといい」
食卓を見れば、雪さんが作ってくれたのだろう夕食が並べられていた。
「これ雪さんが作ってくれたのかい?」
「ええ、口に会えば良いのだけど」
「美味しそうだね。それじゃご飯にしようか。すぐに手を洗ってくるよ」
雪さんの作ってくれた夕食はとても美味しかった。
夕食を食べ終わりソファーでゆっくりしていると、雪さんから思いがけない提案があった。
「優君、前髪が目にかかり気味になっているけどわざと伸ばしているの?」
「そういうつもりはないよ。切りに行こうと思ってるんだけどなかなか腰が上がらなくて」
面倒だから行ってないと言うのも気が引けたが、ありのまま伝える事にした。
「もし嫌じゃないなら私に切らせてもらっても?」
「それは助かるよ。是非お願いしても?」
僕は承諾すると、椅子に座り雪さんが持ってきた散髪用ケープを被る。
「何か好みの髪型はあるかしら?」
「あまり派手にならなければぐらいで、特に好みとかはないかな。雪さんに任せるよ」
「少し短くしても大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
雪さんはそれを聞くと早速髪を切り始める。二人の間に言葉はないが、居心地が悪いと感じる事はなかった。暫くすると雪さんから声が上がった。
「出来たわ、確認してみて。今回はショートレイヤーで爽やかさを演出してみました」
そう言って鏡を見せてくれた。スッキリして清潔感のある髪型の僕がそこにいた。
「雪さん、ありがとう。こういう髪型もあるんだね」
僕が仕上がりに満足していると、安堵の表情を浮かべる雪さんが鏡に映っていた。ところが何故か突然その表情が曇る。
「こんな事しか出来なくてごめんなさい」
「なぜ謝るんだい?ご飯も作ってくれてその上髪まで切ってもらった。僕としてはすごくありがたいし、その・・・なんていうか・・・今日のご飯美味しかった」
こういう時に気の利いた言葉が出ればいいのだけど、残念ながら僕には難しかった。
それでも伝わったらしく、彼女が笑みを浮かべていたので良しとしよう。
「これから毎日作るから、もし食べたい物とかあったら教えてね」
「ありがとう。特に好き嫌いはないから、献立は雪さんに任せるよ」
自分の食べたい物を事前に伝えるのもいいけど、小春ちゃんの食べたい物を作ってあげて欲しい。それにそっちの方が帰宅する楽しみが増える。
「分かったわ。あ、それと優君お昼はどうしてるの?」
「基本的には通勤途中にコンビニに寄って買ってるよ。昼休みはやりたい事もあるから食堂に行く時間は取れないから」
「そうなんだ・・・もし嫌じゃなかったらなんだけど、明日からお弁当作ってもいいかしら?」
嬉しい申し出ではあるけど、雪さんの体調を考えるとあまり負担を増やすのは良くない。
僕は逡巡した後、雪さんの判断に任せる事にした。
せっかく言ってきてくれてるのだ、負担にならない様ならお願いしよう。
「それはありがたいけど、負担にならない?雪さんには暫くゆっくりしていて欲しいのだけど」
「そんなに甘やかされたら、体がなまってしまうわ。これぐらいなら大した事ないから、もし迷惑とかじゃないならやらせて欲しいかな」
「それなら是非お願いするよ」
僕の返事を聞いた雪さんは、先程と同じ様に笑みを浮かべる。
その笑顔に見惚れて顔が赤くなっていく自分に気づかれたくなくて、僕は足早に風呂に向かうのだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。