大人の意味
時の経つのはあっという間で、教育実習期間も残すところあと1日となった。小春ちゃんと神谷先生があの一件以来何かと話している場面を見かける機会が増えた。
傍目から見ていると二人は仲の良い姉妹の様に感じられる程だった。
特定の生徒にこれだけ肩入れするのは教職者としてどうなのだろうか?と思うものの、周りの生徒からも特に苦情が出ているといった事もない。
それはきっと、彼女が小春ちゃんだけではなく、他の生徒に対してもしっかり教師らしい事をしているからこそなのだろう。
つくづく教師に向いているなと感心すると同時に、明日のことを考えると気が滅入ってしまう。
稲葉先生の件で、あれからずっと小春ちゃんに詰められている。
家に帰れば、「夕凪先生が可愛そう」「瓜生先生の事もっと優しい人だと思ってました」他にも僕の精神を抉る様な事を捲したてては、雪さんに怒られている。
にも関わらず、雪さんがお風呂に入っている時にはまた詰め寄られる始末。
ここ最近ずっとこの繰り返しで、家に帰るのが億劫になっていた。
そもそも稲葉先生には既に連絡を取っていて、彼の意向も確認済みである。
彼との約束でまだ内容を話せないだけなので本来は責められる立場ではないのだが、事情を知らない小春ちゃんに大人気なく言い返す事も憚られやり場のない思いを抱えていた。
「優先生!例の件ですが、何か進捗ありましたか!?」
考え事をしていた僕に近づいてくる神谷先生。ここ最近の頭痛の種がまた来たか・・・
「神谷先生、何度も言ってますが距離が近いです。生徒の目もあるのでもう少し離れてくれませんか?」
「こんな美人から言い寄られてるのですから優先生はもっと鼻の下を伸ばしてもいいと思うんです」
全く悪びれる様子もなく、そんな事を言う神谷先生。流石に僕もこういう態度は見過ごせない。
「神谷先生、教職者は生徒のお手本になるべき立場にいます。流石にその態度は実習担当として本気で注意せざるを得ません」
僕が少し強めに言うと、肩を落とし職員室にとぼとぼと戻っていく彼女。
この一連のやりとりを見ていた生徒からは、神谷先生には同情の目を、僕には非難の目が向けられていた。
どうやらこの短期間にも関わらず、生徒からの人気は完全にあちらに分がある様だ。
僕も溜息を漏らしながら同じ様に職員室に戻っていった。
あけて翌日、長かった実習期間も終わりを迎える。
先程最期のホームルームで神谷先生が別れの挨拶をした光景を振り返る。
短い間ではあったけど、本当に生徒に好かれていたのだろう。泣き出す生徒まで出る始末に僕は唖然としてしまった。
僕が教育実習をした時に、泣いた生徒が居ただろうか?どんなに思い返しても一人も居なかった気がするが深く考える事を放棄した。
別に悔しいとか負けたとか思ってるわけじゃない、そう納得して気持ちを切り替える。
これまでの実習態度だけで判断するならとても合格点をあげる事は出来ないが、あの最期の挨拶の光景を見れば合格と言わざるを得ない。
稲葉先生からは、僕が彼女が教育実習をしっかりやれたら条件付きで連絡先を教えていいと言われていた。
先生方にお礼の挨拶を終え、帰り支度をしていた神谷先生に声をかける。
「神谷先生、少しよろしいですか?」
「何でしょうか?」
「ここではあれですので、場所を変えましょうか」
僕のこの発言で察した彼女は、思いっきり首を縦に振り緊張した面持ちで僕の後についてくる。
職員室から少し離れた空き教室に入り扉をそっと閉める。
「神谷先生、実習お疲れ様でした。色々言いたい事もありますが、よく頑張られたと思います」
「優先生、色々ありがとうございました。それでその・・・」
本題を聞きたくてうずうずしてるのが丸わかりの彼女。
いつまでもお預けというのも酷なので早々に用件を切り出す。
はぁ、気が重過ぎる・・・
「稲葉先生と連絡を取りました。あなたが会いたがっている旨を伝えました」
「い、稲葉先生は何て言ってましたか!?」
僕との距離を一気に詰めてくる彼女の肩を押さえて、何とか距離を保つ。
「落ち着いてください。結論から言うと、彼はあなたとは会いたくないそうです」
「そんな・・・」
先程までの期待に満ち溢れた笑顔が消え、この世の終わりを見た様な顔に変わる。
「彼は今少し離れた所に居ます。結婚して、奥さんのお腹の中には新しい生命も宿っているそうです」
「・・・」
「神谷先生は稲葉先生に会って何を言うつもりだったのですか?あなたが行く事によってせっかく手に入れた幸せを壊してしまうのではないですか?」
僕の話を聞いた神谷先生は、しばらく放心状態が続いたが、理解したのか声を殺して涙を流し始めた。
「この話を聞いた上でも、稲葉先生に会いたいですか?連絡先を知りたいですか?」
僕は彼女に最後通告をする。
「いえ…もういいです。優先生、彼に連絡取ってくれてありがとうございました」
ガラガラガラ
突然教室の扉が開いた。ものすごい勢いで誰かが飛び込んできた。小春ちゃんだ。
小春ちゃんは足早に僕らの、いや神谷先生の方に近づき、勢いよく彼女の頬を叩いた。
「私に偉そうな事を言ったあなたがここに来て何を怖気付いてるのですか!ずっと好きだったんでしょ?迷惑をかけて申し訳なかったと思ってたんでしょ?ちゃんと向き合って気持ちの整理をして来てください」
「でも、相手が居るって。大事な時に奥さんに余計な心労を与えて迷惑をかけたくないもん」
珍しく弱気な神谷先生に少しだけ驚いてしまった。喋り方も少し子供っぽくなっている気がする。
「尤もらしい理由をつけて、振られるのが確定してるから怖いだけでしょ。そんなのただ意気地が無いだけでじゃない」
「あなたみたいに恋愛もよく分かってないお子様にそこまで言われる筋合いはないわ」
勘違いだった。いつもの神谷先生だ。二人ともヒートアップしている。
「ああ、そう。じゃあ、勝手にすればいいじゃない。こんな情けない人を頼りにしていた自分の見る目のなさが恥ずかしいわ」
「その言葉そっくりそのまま返すわよ。もっと人の気持ちが分かる子だと思ってたけど、本当にお子様ね」
「聞き分けがいい事を大人と言うなら私は大人になんてならなくていい。私は自分が大好きな人の幸せを一番に願う。その結果、私の知らない人を傷つけてしまう事になってしまったとしても・・・その事で世界中が敵に回ったとしても私は悔いを残して欲しくない。人を好きだと思う事はいけない事なの?仮に相手が居たとしても、一度だけでも気持ちを伝えるのはそんなに許されない事なの?ねえ、夕凪さん答えてよ」
そう言って小春ちゃんはついに泣き出してしまった。
神谷先生が突然自分の頬を両手で叩き、小春ちゃんをゆっくりと抱きしめた。
「ごめんね小春ちゃん。そして怒ってくれてありがとう。私やっぱり稲葉先生と会いたい」
「うん・・・」
落ち着いた頃を見計らって、小春ちゃんから離れた神谷先生は僕の方を見る。先程のまでの落ち込んだ様子は影を潜め、力強い眼差しだ。
「自分の気持ちにけじめをつけたいと思います。稲葉先生の連絡先を教えてください」
僕は無言で連絡先の書いた紙を渡して足早に教室を出た。
意気地なしか・・・小春ちゃんの言葉が僕に突き刺さった。
思わぬ侵入者のおかげで、僕の予想とは異なる結末となった事がせめてもの救いだと思い、僕は沈みかけた気持ちを無理矢理立て直すのだった。
本当にご無沙汰しております。突然止まってしまって申し訳ありませんでした。現状ストックないので、かなりのんびりの更新になると思います。たまった頃に纏めて読んでいだけると幸いです。




