貸し借りの提案
本日も予定通り19時を少し過ぎた所で学園を出る。
僕は駅まで歩きながら今日一日を振り返る。普段はこんな事は考えたりしないのだが、今日は先生方の雰囲気がおかしかった。
事あるごとに周りからの視線を感じていたのだが、昼休みに至ってはより顕著にその傾向が見受けられた。
ただ、誰一人としている話しかけてくる者は居なかった。
知らないうちに何か気に障る事をしてしまったのかもしれない可能性を否定できないものの、これといって思い当たる節はない。
「考えても仕方ないか・・・」
声に出すつもりは無かったのだが、思わず独り言が漏れてしまった。
電車に揺られ家に帰り着くまでずっと引きずっていた僕だったが、帰宅した途端その事は頭から消し飛んでしまった。
「瓜生先生、お帰りなさい!!」
まさかの小春ちゃんの出迎えだった。いつもは雪さんが出迎えてくれるのでびっくりしたのだが何やら様子がおかしい。
「ただいま名取さん。それでそんなに頬を膨らませて一体どうしたんだい?」
そう、彼女は何故か怒っている。その理由は分からないが、御機嫌斜めという事だけは察する事ができた。
「一体どうした?じゃないです。なんで明後日から試験が始まるんですか。知ってたのなら教えてくれてもいいじゃないですか」
どうやら間髪入れずに試験が始まる事が不服だったらしい。
教えなかった僕にも落ち度はあるが、試験があるのは僕のせいではないのだが・・・。思わず苦笑が漏れる。
「最初のテストなんだし、あまり深く考えずに受けたらいいよ」
「最初だから肝心なんですよ。賢いわけじゃないので見栄を張りたいとか思いませんが、勉強が全く出来ないとか認識されたら最悪じゃないですか」
出迎えに来てもらったはずが、僕は未だに玄関で靴を履いたまま家に入る事が出来ないでいた。
彼女の機嫌が直るまで、暫く小言を聞いた方が良いだろうか?
そう考えた僕は、ほとぼりが冷める頃まで愚痴に付き合おう事にしたのだが、その決意は雪さんの一言で無駄に終わった。
「ほら、小春。優君もお仕事して疲れてるんだからいつまでも子供みたいな事言わないの。あとハンバーグが冷めちゃうわよ」
「あ、そうだった!」
それを聞いた小春ちゃんは踵を返してリビングに戻る。なんとも現金な気もするが、彼女の小言から解放された事に安堵する。
食卓にはいつも通りの手の込んだ料理が並んでいた。
僕は手洗いを急いで済ませて食卓に着く。
「「「いただきます」」」
食事中は小春ちゃんの学校での話で盛り上がった。
小春ちゃんは勉強が苦手と言ってた割に普通クラスに編入出来るぐらいの成績だった。
学園の普通クラスでも国立大学の合格者は毎年多数いるので、彼女もこれから次第ではそういう進路が視野に入ってくる。
そんな事を考えていると、唐突にまだ彼女に伝えていなかった事があったのを思い出した。
彼女の編入したクラスは僕の受け持つ授業もあるのだ。
どうせ明日には分かる話なのだが、言わなかったらまた機嫌が悪くなりそうなので先手を打っておく事にしよう。
「話は変わるんだけど、名取さんの編入したクラスは、僕も授業の受け持ちがあるからね」
「そうなんですね」
「あら、そうなの?私も優君の授業受けてみたいわ」
どうやら食いついてきたのは雪さんだけで、小春ちゃんの態度は素っ気ない。
まぁ、僕の授業があろうがなかろうが大した差はないよな。
予想していた反応とは少し違ったが、それが残念だとは思ってない・・・はずだ。
食事も終わり順番にお風呂も済ませた。僕がお風呂から上がるとリビングに居たのは雪さんだけだった。
小春ちゃんは部屋に戻り試験勉強を始めたらしい。この光景、少し前もあったなと感慨深く思っていると雪さんが冷たい水を持ってきてくれた。
「ありがとう。雪さん、今日も一日ご苦労様でした」
「優君も一日ご苦労様でした」
いつのまにかこうして風呂上がりに互いを労うのが日課になっていた。
話が盛り上がるという感じではなく、どちらかというとお互い口数も少ない。ただ穏やかな時間が過ぎていく。
「そういえば・・・」
雪さんが何か思い出した様に口を開く。
「どうしたんだい?」
「さっきら話に出なかったんだけど、小春に早速友達が出来たようなの」
苦笑しながらそう話す雪さん。喜ばしい事なのに何故か顔が曇っている。何か言いにくい事があるのだろう、僕は話の先を促す。
「どうやら試験勉強をクラスメイト数人でやろうって話になったらしいんだけど、小春は断ってしまったらしいの」
「小春ちゃんは何故断ったんだい?」
「その誘ってくれた子のお家で勉強会をやるって話だったらしく・・・。どうやらそれが理由らしいの」
そこまで聞いても話が全く見えてこない。今の話に断る理由があっただろうか?僕が首を傾げている事に気付いた雪さんが分かりやすく説明してくれた。
「えっと、優君も経験ないかな?自分の家にも遊びに来たんだから私も遊びに行っていいよね的な感じの・・・」
そこまで言われてようやく理解した。なるほど、そうなるとマズイから遊びに行くのを控えたのか。
僕の配慮が足りないせいで、せっかくの機会を潰してしまった様だ。
「雪さん、少し小春ちゃんと話してくるよ」
そう言って席を立ち、小春ちゃんの部屋をノックする。
「勉強中にごめんね。少し話があるんだけどいいかな?」
返事もなく、すぐに扉が開いた。
「どうかしたんですか?」
僕が彼女の部屋まで訪ねる事はほとんどないので、顔が少し強張っている。
「雪さんから話を聞いてね。今日、勉強会のお誘いを断ったんだって?」
それを聞いた途端、バツが悪そうな顔になる小春ちゃん。
「ごめん、別に責めている訳じゃないから。むしろ謝らないといけないのは僕の方だ。でも小春ちゃんいいかい?学生生活は一度しかないのだから目一杯楽しんで欲しい。遠慮なくこの家に友達を呼んでもらって構わないよ。事前に言ってもらえたらお泊りも大丈夫だからね」
「せっかくですが、そこまで先生に迷惑はかけられません」
そう言って力なく笑う彼女を見て、僕は考える。どうしたらこの子は納得するだろうか。
「それじゃ提案なんだけど、相手の頼み事を聞いたら貸し一つとしないかい?お互い無理なお願いは聞かなくていいという条件で。学園生活で荷物持ちをお願いしたい時とかあるから。僕的にはかなり助かるんだけどね。どうかな?」
僕にもメリットがある事を強調して伝える。
彼女は暫く悩んでいたが、最後には首を縦に振ってくれた。
その時の彼女の顔がどことなく嬉しそうだった事に満足感を覚え、雪さんに報告しにリビングに戻っていった。
「小春ちゃんって呼んだらダメって言ってるのに。何度言ってもすぐ間違えるんだから優さんは・・・」
一人の時、いつも彼女が僕を名前で呼んでいた事を知るのはもう暫く後の事となるのだが、この頃の僕はそんな事は夢にも思っていなかった。
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