ひろっこ (ひろっこ=アサツキ)
◆
ぽこん、こんこん……と水滴が落ちる音が響く。
「解けてる……」
屋根から落ちる雪解けの水音が、まるで優しい音楽のように耳に響いてくる。思わず眠くなり、コタツで一人うとうとする。
3月に入り、窓から見える風景にも変化が生まれはじめていた。
白一色だった以前より色彩が濃くなっている。雪が解けはじめた水田では、あぜ道の稜線沿いにグレーの陰影が生じ、所々乾いた畦に枯れた草が顔を覗かせている。農道は解けた雪のシャーベットで、湿ったアスファルト色。
永遠に来ないかも、そう思っていた春が、ようやく近づいてきたみたい。
でも桜はおろか、梅も水仙も咲く気配が無い。
テレビでは梅が咲いたとかニュースでやっている。けれど、花が咲き乱れるような春は、北東北では4月を過ぎないと来ないのだとか。
「3月なのに……まだこの景色なんだね」
私は一人部屋の中でつぶやいた。
中学校は午前中で終わり。昼前に帰ってきた私はお留守番。
夕方になると雪姉ぇが帰ってくるのでそれまでは一人だった。ちなみに雪姉ぇはちゃんと村役場の臨時職員として働いている事が発覚した。……よかった。
今日は昼を過ぎた頃、夏香ちゃんが遊びに来た。そこで二人で一緒に散歩がてら、買い物に行くことになった。
買い物と言っても、コンビニではなく村の商店へ。集落の外れにある商店――これまたレトロな昭和の『駄菓子屋』的なお店なのだけれど――まで行ってお菓子を買うことに。
商店は妙にインテリ風のメガネ大学生みたいなお兄さんが、一人で店を切り盛りしていた。コンビニに対抗心むき出しで、これでもかというくらい色々な商品が所狭しと並べられていた。
各種食料品や飲料などは勿論のこと、生活雑貨、果ては黒長靴や農具まで。商品の種類を多く品数が少なく、という売り方をしていた。
謎だったのはコンソメ味のポテトチップスが各メーカーズラリと揃っていたことだ。
「なぜコンソメ味だけこんなに……?」と夏香ちゃんに尋ねると、
「ここの店のお兄さんが好きだから」だって。
一瞬、夏香ちゃんの好きな人ってもしかして!? と思ったけれど、店長だというお兄さんが「コンソメ味が好き」という意味だったらしい。……日本語って難しいね。
「私もあのお店、けっこう好きかも」
時代の流れから取り残されたレトロな店構え。謎のインテリ大学生風のメガネ店長。もしかして凄く高い志を持って、店を経営しているんじゃないかしら。
なんて事を家のこたつの中でぼんやり考えながら、パリパリとコンソメ味のポテチを食べる。
ぽこん、ぽこん……こんここん。
雨だれの音はずっと響いている。また心地よくて思わずウトウトする。
――そうえいば、部活決めなきゃ……だめなんだよね。
4月になると2年生。
私は1月からの転校だったので、部活への加入は先延ばしになっていた。4月になったら決めなければいけないらしい。以前の学校では勉強優先で、部活は強制じゃ無っかたのに。このあたりの中学は何故か強制らしい。
陸上部か……いや、美術部とかでもいいな。
さて、何部に入ろうか。
ラノベやアニメみたいな、謎部はないかしら。
◇
夕方、雪姉ぇが帰ってきた。
夕飯の支度を手伝って、焼き魚と煮物、食べ盛りの私のために、と買ってきてくれた惣菜のハムカツで夕飯をとる。
食卓に、見慣れない野菜の「おひたし」があった。
それは酢味噌であえたもので、もやしを太くしたような野菜らしかった。根っこが太くて、先のほうが淡い黄緑色。極小の曲がりネギ、みたいな感じがする。
「雪姉ぇ、なにこれ?」
「あ、春の味だよ。たべてみ」
缶ビールを開け、雪姉ぇぐびっと飲む。豪快にぷはぁ、と。おじさんみたい。
「春の味……?」
試しに食べてみると……うっ?
「なにこれ、ネギ? ニラ?」
私は思わず顔をしかめた。野生のネギをかじったみたいな香りがした。
「『ひろっこ』っていうんだ」
「ひろ子? 誰……?」
「違うよ、野菜だよ」
「聞いたこと無いよ!」
『ひろっこ』なんて野菜は知らない。全くもって未知との遭遇だった。
茹でたネギとニラみたいな風味。シャキシャキしていて食感は良いけれど、口中に香りがちょっと残る。
大人はこれを美味しいと思うのかしら?
「ヒロッコじゃ地方名か……。えぇと『アサツキ』って言えばわかる?」
「あ、なんとなく」
「これな、田んぼ脇の畦に球根を並べて植えておくんだよ。そんで雪の下に埋まってて、この時期に掘り起こして食べるんだ。風味が強いけれど……春を連想する味だよ」
箸で摘んで雪姉ぇが美味しそう食べる。ショクショクと小気味よい音がする。
「春を想う味……」
なるほど、そう思えばちょっと素敵かも。
「子供には早かったか。酒のツマミにはいいんだけどな」
雪解けの雨音を聞きながら、もうひとつまみ『ひろっこ』をかじる。
「……うーん、やっぱり微妙」
口に広がる独特の香り。でも、ほのかな甘さも感じる。
きっとこの味が、「春の気配を感じた日の味」として記憶されてゆくのかも……なんてね。
<つづく>