ゆだ牛乳 (湯田牛乳、銀河高原ビール)
◇
「おうっ……っ、熱い……っくあぁ」
「あー。温泉はえぇのー」
私と雪姉ぇはふたりで一緒にお年寄りみたいな声を出していた。
外は深い雪に埋もれた山奥の景色。けれど湯船の中のお湯は熱くて、とっても気持ちがいい。
アルカリ泉のお湯はぬるぬると柔らかくて熱い。湯けむりのなか首まで浸かっていると、目の前で信号機が光った。青、黄、赤と縦に並んでいたランプが、パッと青から黄色に変わった。
「……って!? 待って! なんで信号機があるの!?」
ザバァ! と私は立ち上がった。
「そろそろ列車が来るみたいだな」
「は!? 温泉だよね、ここ」
私が驚いて、あたりを見回す。間違いなく湯船と洗い場のある「温泉」だ。ただ、一点だけ違うのは、壁に埋め込まれた『信号機』があることだった。
身体を洗う洗い場の壁に、時計のように設置してあるのは、線路の横や踏切で見かけるような、縦長の黒い信号機。
雪姉ぇは、気だるそうに半身を起こしタオルを頭に乗せて、湯船の縁にもたれかかった。大きな双丘がゆらゆらと湯の中で揺れている。
「ハル、流石に洗い場の中に列車が来るわけじゃないから安心しろ」
「来たら大変だわ!」
お風呂の中に列車がが来る。想像するとシュール過ぎる。
「ここはJRの湯田駅と一体化している温泉施設なんだよ。珍しいだろ? てか、確か全国でも温泉付きの駅舎は、少ないんじゃないかなぁ」
「いや、レアの部類だよ!? 駅に温泉ってマジだったのね」
「都会だと駅にキヨスクとかコンビニとかがあるだろ、そんな感じだ」
「いやいや!? 違うし」
駅に温泉がある。確かにあったら嬉しいけど、コンビニとか本屋とは意味が違う。
普通は組み合わせようと思わない。ていうか、最初に考えた人は凄いというか、どんだけ温泉好きだったのかしら……。
改めて紹介すると、ここは西和賀の湯田温泉峡にある「ほっとゆだ」という温泉施設。
そしてJRの湯田駅でもあるらしい。
駅舎の外観は、木造にトンガリ屋根で時計台がついていて、昔の分校みたい、雪ぶかい山あいの風景にもよく調和していると思う。
日帰り入浴が楽しめるということで雪姉ぇと一緒に来たのだけれど、入り口に『JR北上線』や『ほっとゆだ駅』という看板があって、最初私は「はて?」となった。
きっと駅を模した温泉施設なんだろう、可愛いな。と気軽に考えていた。
だけど、入口は本当に駅だったみたい。
確かに切符売り場の券売機がリアル過ぎたし、駅員さんも居た。あれはコスプレした温泉のスタッフさんじゃなかったんだね。
駅の入口と温泉への入口が一緒。そして洗い場の中には信号機まであるとはびっくり。
「じゃ、あの信号機……本物?」
「本物だよ。列車が駅に近づいてきたって合図だよ。温泉入ってて、列車に乗り遅れたら困るだろ」
「温泉入ってから列車に乗るの!? この辺だと普通……なの」
「どうだろうな」
そっと見回すと、お客さんの一人がそそくさとお風呂から出ていった。もしかして列車に乗る人なのかしら。
「さ、のぼせてきたし上がろうか」
「そだね」
ざばぁ、と立ち上がると雪姉ぇの身体が目の前にあった。なんというか凄く、大人。
私はまだ幼女体型っぽいけれど、雪姉ぇは立派に成長しきっている。ふくよかな身体の表面を流れ落ちる水滴。白い光が邪魔して細部まで見えないのは残念だけれど、例えるなら食べごろの、熟れた果物みたいな感じかしら。
「ハル、あんましガン見すんなよ、男子か。家で好きなだけみせてやるから」
「べっ、別に……! ガン見なんて。し、してませんよ」
「顔が赤い」
「のぼせたんだよ、もう」
湯けむりの向こうに見える大人の身体に、正直ちょっと目眩がしただけです。
◇
「ハル、何飲む?」
「いちご牛乳!」
「お子ちゃまめ」
「ぶぅ」
「嘘だよ、好きなのをどうぞ」
風呂上がりで濡れた髪を手櫛で梳かしつつ、雪姉ぇが微笑む。
「やっぱりコーヒー牛乳がいいな。あるかな?」
ここはちょっぴり背伸びして、大人気分のコーヒー牛乳を所望する。
「あるよ、ほらこれな」
雪姉ぇが100円玉をくれた。
温泉の休憩室横の自動販売機を眺めると、売られているのは、紙パックの牛乳と「カフェオレ」と書かれたパッケージだった。
「コーヒー牛乳じゃなくて……カフェオレじゃん?」
コーヒー牛乳とカフェオレって何が違うんだろ?
「同じだろ」
「そうなの?」
「牛乳のほうが濃厚で美味しいぞ。この辺で作っているご当地牛乳だから」
「いいの、カフェオレ飲む。でもご当地牛乳も捨てがたいわね」
よく見ると両方の紙パックには太陽みたいなマークと『湯田牛乳』と書かれている。湯田……ということは、このあたりで作ってるらしい。
「北海道、東北は酪農が盛んだからな。まぁ日本全国どこでも盛んだけど。このへんは平野が少ないから仕方なく山間部でも牛飼ってたりするし。だから県内のあちこちに、名物の牛乳とヨーグルトがあるんだよ」
「ふぅん……」
なるほどと聞き流しつつ、100円玉を入れてやっぱり『カフェオレ』をチョイス。
ゴトンと出てきた紙パックにストローを挿してチュゴゴゴーと飲む。
やっぱり味はコーヒー牛乳だった。甘くて美味しい。てか、意外と普通。裏には乳飲料と書いてあるので、飲みくちはさっぱりしている。ここに来る前に食べた『ビスケットの天ぷら』と合わせるといいかも。
「ふふ、飲むヨーグルトのほうが濃厚で『うんめぇ』のに」
「うぅ……でも美味しかったもん」
おふろあがりの雪姉ぇが、上気した顔で牛乳を飲む。見るからに濃厚そう。動く喉元に見とれていると、雪姉ぇと目が合って思わず目をそらす。
「ん?」
普段は色気を感じさせないくせに、お湯に浸かって気が緩んだのか、もんもんと色香を発散している気がする。これも温泉の効能なのかしら。
「何かおみやげ買っていこうか。今夜、食べるやつとかさ」
「うん、いいね。何か美味しい名物とかあるの?」
「まずは地ビールだな! 『銀河高原ビール』は買うぞ。それと、このあたりで採れた大豆100% 『源平豆腐』を買って……家で湯豆腐なんてどうだ?」
「あ、湯豆腐いいね! 美味しそう!」
「だろっ?」
雪姉ぇは片目をつぶると、右手をくいーっと動かした。湯豆腐をつつきながら一杯。という意味らしいけれど、中学生の私にどう反応してほしいのかしら……。
外を眺めると雪がまたしんしんと降っていた。
凍えるような寒さの景色。まだまだ春は遠そう。けれど、今夜は温かいお湯に浸かったし、暖かいお家で熱々の湯豆腐を食べたら最高かも。
「家に帰ろうか」
「……うん!」
差し出された雪姉ぇの手を、そっと握り返した。子供みたいだけれど、なんとなく繋ぎたくなったから。
柔らかい指先の熱を感じつつ、今夜は身体の芯まで温まりそうな気がした。
<つづく>
【さくしゃより】
ほっとゆだ駅で検索すると出てきますが、駅と温泉が一緒です。
寒い土地で、今年の積雪は2メートルぐらいあるそうです。
次回から(こんどこそw)「早春編」となります。