がんづき (雁月)
回覧板――。
手渡しの古式ゆかしき情報伝達。
それは二週間に一回ぐらいの頻度で隣の家からやってくる。
中には「新春、演芸寄せ開催のお知らせ」とか「ネコ探してます」とか。「公民館掃除のお知らせ」「日本舞踊をはじめませんか」なんて事が書かれた紙が挟まっている。
「回覧板を持っていくにしても、遠いのよね」
私はため息を一つ、歩みを止めた。
隣のお家が……とても遠い。
夏香ちゃんの家まで200メートルは歩かなくちゃならない。
私は真っ白な風景を見回して、眩しさに目を細めた。
雪原は太陽の照り返しが厳しくて、キラキラと遥か彼方まで輝いている。これじゃ歩いているだけで日焼けならぬ「雪焼け」するんじゃないかしら。
よく見ると雪の上には、動物の足跡が点々と続いている。雪姉ぇさんの話では、キツネとかウサギとか。あと……テンとか。私には見分けがつかないけれど。
マンションで暮らしていた時は回覧板なんて風習は無かったのに。でも、郷に入りては郷に従え。
手渡しリレーちっくな「回覧板」は、きっと地域の絆とか、隣家の無事を確かめるためとか、大切な儀式なのだろう。
雪景色は相変わらずなのだけれど、2月を過ぎてからというもの、日中は以前よりお日様が高く昇るようになり、日差しも強くなっていた。
「あれ……?」
すん、と鼻から空気を吸い込むと、匂いが少し違っている事に気がついた。
先日までの風は冷たくて、空気は乾いていて無味無臭。透明で澄み切っていた。
けれど今は少しだけ湿り気というか、どこか「甘さ」のような気配が混じっている。
雪姉ぇが「2月の立春を過ぎると寒波が何度か来ても、昼間には少しずつ春を感じるようになるよ」と言っていた。
もしかして、これが春の気配ってことなのかしら?
少し軽くなった足取りで、私は夏香ちゃんの家を目指して再び歩きはじめた。
◇
「ハルちゃん、ごくろうさま!」
「いえ、いえどーも」
以前よりもずっと自然な笑顔で夏香ちゃんに回覧板を手渡す私。
トレードマークのツインテールに、南国少女みたいな元気で親しみやすい笑顔。私がもし男の子だったら、あっという間に好きになってしまいそう。
中学校の新学期が始まって、はや3週間。
私と彼女は家がお隣ということで知り合って、転校する前から友だちになれた。お陰で、転校初日から自然とクラスの皆と打ち解けることが出来ました。
クラス……といっても30人のクラスメイトで学年全員。私が通い始めた岩ノ泉北中学校は、全校生徒100人という小さな中学校。家から歩いて徒歩35分。吹雪の朝は生きた心地がしないけれど、まぁそれも慣れればけっこう楽しい。
「ハルカさんは都会から来た……んだよね?」
「やっぱりオシャレ……?」
「い、いや、全然!?」
初日は色めき立ったクラスメイトたちも、黒髪ショートボブで地味子の日本代表みたいな私は、いい意味で失望された。
結果的に、拒否感を持たれることも無く、浮くことも無く溶け込むことが出来た。
それもこれも皆と仲良しな夏香ちゃんのおかげなのだけれど。
「ねぇ! うちのお婆ちゃんが『がんづき』つくったんだよ、食べてかない?」
「『がんづき』……?」
「ふわふわした蒸しパンみたいなのだよっ。あれ……知らない?」
夏香ちゃんは、私が知らないことに少し慌てたみたいだった。
全国区じゃないの? ご当地? え、うそ!? と笑う。
確かにそんな名前の蒸しパンは聞いたことがないけれど、手作りなんだし美味しそう。
だって以前食べさせてもらった「ゆであずき」も、とても美味しかったんだもの。
「食べてみたいっ!」
「よい返事! 美味しいんだよー、ささ、あがってあがって!」
私は夏香ちゃんに手を引かれ、ちょっとお邪魔することにした。
◇
鶯沢夏香ちゃんのお家は、古いけれどとても大きかった。雪姉ぇの古民家を二つつなげたみたいな、L字の形をしたお家で平屋建て。部屋がたくさんあって全部和室。夏香ちゃんの部屋は一階の南側にあって、女の子らしくて可愛かった。
そこで二人で学校の話や、いろんなおしゃべりをしながら盛り上がった。
しばらくして、夏香ちゃん家のおばあちゃんが「食べてみなんせ」と言ってお皿をもってきてくれた。
顔はしわくちゃで優しい口調。年はいくつだろう? 昭和初期のなつかし映像で見たような白い割烹着、まるでタイムスリップしてきたみたい。
「これが『がんずき』なっす」
――っす。と語尾につけるおばちゃん。この地方のお年寄りはみんなそう。相手に言う言葉を柔らかくする感じの方言みたい。
「黒い蒸しパン?」
「そう。でもチョコ味じゃないよ、黒糖の味だよ」
「へぇ!?」
それは見た目はチョコレート色の「蒸しパン」だった。形はショートケーキみたいな扇形で、厚みがあって、見るからにふわふわの、目の粗いスポンジみたいな生地で出来ている。
表面は艶があって、上には黒ごまと砕かれたクルミが散りばめられている。
「ハルちゃんも食べて、食べてー!」
「うん、いただきまーす!」
勧められるまま、ぱくりと頬張る。
やわらかい……っ!
素朴な黒糖の風味がふわっと、くちのなかに香る。しっとりとしていて、更にもちもちとした食感は「蒸しパン」ならではの独特で優しい感じ。
更に黒ごまの風味とクルミが、特有の香ばしさを加えてくれる。
「わぁ……なんていうか、とっても優しい味! 美味しい!」
ふたりでリスみたいに蒸しパンを頬張る様子を、おばあちゃんは楽しそうに眺めている。
「むふむふ‥…これ小麦の生地なの? もちもちして、ふわっふわ」
「そうみたい。あと、お醤油とか酢とかも入ってるんだよね、おばーちゃん」
「んだ」
んだ、はこの地方の方言で「そうね」とか「はい」とかいう意味。寒いので単語が短いという説もあるけれど、ニュアンスでなんとなく意味が通じちゃう。
「酢も!?」
全然そんな味は感じない。甘い黒糖の香りに、醤油っぽい香ばしさの混じった味わい。
「酢はふくらし粉の代わりだんべぇ。重曹と酢をほんのぺっこ。そんで蒸し器でふんわり膨らむのっす」
「へぇ……!」
でも「ぺっこ」って何? 前後の文脈から考えて「少し」という意味かしら。あとで雪姉ぇに聞いてみよう。
「おばーちゃんのは『道の駅』で売ってるのとは違うんだよ」
「和風テイストで、とっても好き!」
しっとりと舌に馴染む和風のお菓子。
どうやら『がんづき』は『道の駅』という、道路脇の直売所でも売っているみたい。おやつとして売っていたら買っちゃいそう。
「でもでも、こんなに美味しいものばかり食べていたら、カロリーがやばいよね」
「心配ないよハルちゃん! だから家と家がこんなに遠いんだよ。歩いて帰れば大丈夫。世の中うまく出来ているの」
平然と、もう一つをぱくりと食べる夏香ちゃん。
「夏ちゃん……凄い」
「えへへ、でしょ」
「うん!」
私は本気で夏香ちゃんは賢いと思った。
<つづく>
【かいせつ】
まるく蒸してつくる「がんづき」は蒸しパンみたいなお菓子です。
丸い生地を「月」、上にちらす黒ゴマやクルミを「雁」に見立てて月と雁。
それで「雁月」と呼ぶのだとか。