おこめ(新米の季節)
澄み渡った空の下、黄金色の頭を垂れた稲稲がどこまでも広がっている。
まるで夢のように美しい豊穣の大地――。農家の沢山の苦労と愛情で立派に育った稲が、こんなにも綺麗な景色をつくっている。
あぜ道の柔らかい土、朝露に湿った稲藁の匂い。そして、飛んでくるイナゴ。
「きゃぁ!?」
「たあっ!」
夏香ちゃんが飛んてきたイナゴを撃退してくれた。ぱしっと素早く手で振り払って叩き落とす。
「あ、ありがと夏香ちゃん。なんで私めがけて飛んでくるの……」
「うーん。ハルちゃんは好かれる体質なのかな」
「好かれたくないのに……でも、今日はがんばる」
「うん、無理しないでね」
イナゴにもめげず気合を入れなくちゃ、と思う。だってこの「稲刈り体験」は私から頼んだことだから。
「邪魔にならないようにがんばるからね」
「来てくれただけで嬉しいよー! お父さんもお母さんも喜んでるし、一緒にがんばろうね!」
「うんっ!」
「今日はよろしくね、ハルちゃん」
日曜日の朝、ここは夏香ちゃん家の田んぼ。
家族総出で稲刈りをしているところにお邪魔して、お手伝い。
先日の学校からの帰り道、両側に広がる稲穂を見ながら私が言い出して頼んだことなのだから。
夏香ちゃんと「ひと束でごはん一杯分」という話を聞いてから興味をもち、育てる苦労が沢山あるってことを少し勉強したのです。
私はいつも美味しいって、食べるだけ。
口に入れている食べ物は、誰かの手で育てられ、時には生命を奪って、そして食卓に並んでいる。
だから出来ることは限られていても、何かお手伝いをしてみたい。
広い田んぼの向こうでは、赤いコンバインを操縦する夏香ちゃんのお父さんと、補助をするお母さんが見える。少し離れた位置でお婆ちゃんが私達を手招きしている。
「じゃぁ、私達はあっちに」
「うんっ」
歩くと長靴がブカブカする。作業着は学校指定ジャージで。別の田んぼでも同じようなジャージ姿が見えるので、家族総出で稲刈りという家が多いみたい。
「何をすればいいの?」
「わたしたちは、籾の袋を運ぶの」
「えーと、あのコンバインから出てくる袋?」
「そう、あれ」
手伝いとは言っても、今は多くの作業が機械化されていて、私たちの役目はコンバインが摘み取って稲から分離した籾の袋を受け取って、軽トラの荷台まで運ぶこと。
お母さんから受け取った袋を、軽トラが停車している田んぼ脇まで運ぶ。
やってみると結構どころか、かなりの重労働。
「お、重い……!」
「女の子のやる仕事じゃないわよね」
二袋目で文句を言い始める夏香ちゃん。
いつもはお婆ちゃんと、夏香ちゃんがやっているみたい。
うりゃっ、と軽トラの荷台に袋を載せる。
軽トラの荷台がいっぱいになると、今度は軽トラと一緒に移動。
家の横にある乾燥機のある作業場――昔の大きな納屋みたいな場所――で荷降ろしを手伝う。これを何セットか繰り返す。
程よく汗をかく、身体を動かすのもいい、なんて思っていたのは最初だけ。だんだん辛くなってくるけどここは我慢。
田んぼへ戻るときは軽トラの荷台へ。
二人で荷台に座り空を眺めながら揺られてゆくと、まるで綺麗なアニメのワンシーンみたいだった。
「クラスの男子全員を強制労働させたいわー!」
「あはは」
「どうせ家でゲームしているんだから」
「そういえば……イトコ君は?」
従兄弟で同じ学年の男子、政光くんは来ないのかしら。うってつけの重労働だと思うけど。
夏香ちゃんが察したように眉を吊り上げる。
「政光は知らない! クラブが忙しいとかいってさ手伝う気ないし」
「ふーん、クラブじゃ仕方ないね」
「練習なんて午前中で終わるんだから、その後来ればいいのに」
ちょっとだけ頬をふくらませる夏香ちゃん。ポニーテールに結わえた髪が頬にかかる。
田んぼに戻ると夏香ちゃんとお母さんが手招きする。
「重いのはもういいからー、隅っこの稲刈り頼んでいいべかー?」
「いいよー!」
どうやらコンバインがターンできない田んぼの隅の稲を「手刈り」するらしい。これはちょっと楽しそう。
鎌を受け取って端っこに残った稲や、苅り残した稲を切り取って束ねる。
「あ、切り取った稲はこっちねー」
「へー、これは干すの?」
「お家で食べるぶんになるんだよ」
「へぇ!?」
一枚の田んぼの中央部分に、木の棒を組み合わせた「やぐら」みたいな物が組まれていた。クロスさせた柱に、長い棒を横にして物干し台のようにしてあって、稲を洗濯物を干すように被せていく。
「稲架掛けっていってね、稲を天日干しにするの」
「見たことあるけど、近くで見たのは初めて」
「機械乾燥するお米より甘くなるんだって」
お母さんが言うには、この干し方は「棒掛け」というらしい。地方によっては縦の棒に「みのむし」みたいに干す「杭掛け」などというやり方もあるのだとか。
腰を曲げて、伸ばして、運んで。
ジャージは藁くずだらけ。でも確かに働いているんだっていう実感がある。
そしてお昼の時間――。
「わ、ああああっ!」
「美味しそう……!」
目の前には、つやつやした真っ白いおにぎりが。
田んぼ脇にある大きな柿の木の下で、ピクニック気分。お父さんとお母さん、そしてお婆ちゃんといっしょにお昼ご飯をごちそうになることに。
沢山のおにぎりと、煮物や唐揚げ、美味しそうなおかずたち。
お腹がいつもよりもペコペコで、もう涎がたれそう。
「お腹空いたでしょう? ハルちゃんも食べなさい、沢山つくったからねぇ」
お母さんが勧めるまま私はおにぎりと取り皿を受け取る。
お米が一粒一粒艶々で、とっても美味しそう。
「い、いただきます!」
「いただきまーす!」
我慢できず、夏香ちゃんといっしょに、ぱくり。
「……おっ、美味しい……!」
お米と塩だけなのに、甘い!
「おいしいね!」
「なんていうか、お米の粒が……元気!」
ふわりとした食感とほどよい弾力が絶妙で、普段食べているお米とはあきらかに違う。
新鮮なお米ってこんな香りがするんだと思わず感動する。そして、噛みしめるほどに口いっぱいに豊かな甘みが広がってゆく。
「新米ってこんなに美味しいんだね」
「働いた後は特別にねー」
「これは新米だけど特別で、さっきみたいに天日干しをしたものだよ。少し前に収穫した早生のお米でね」
「今年の出来はいいなぁ」
お母さんとお父さんもニコニコと「うまいべー」「んだなー」と味わっている。自分たちで育てたお米の味は更に格別なんだろうなぁ。
私はお手伝いだけだけど、それでもこんなに美味しい。
と、向こうから自転車がやってきた。
同じジャージ姿の男子生徒だ。
農道を曲がり、未舗装の田んぼのあぜ道をハンドルを揺らしながら近づいてくる。自転車の前カゴには汚れたサッカーのユニフォームとボールが入っている。
それは夏香ちゃんの従兄弟、政光くんだった。同い年で兄妹みたいに仲がいい。
「政光、何しに来たのよ!?」
おにぎりを頬張ったまま夏香ちゃんが叫ぶ。
「おうナツ。あー腹減ったー! マジ疲れたー」
日焼けした顔に適当に伸ばした髪。好き勝手なことを言うやいなや、ご両親に挨拶をすると、すぐにおにぎりに手を伸ばす。
「いただきまーす」
「ちょっと、いきなり来てなによ」
「手伝いに来るって言わなかったっけ? ……って、なんでハルカがいんの?」
口いっぱいにおにぎりを頬張りながら、私を見て怪訝な顔をする。
「お手伝いですけど」
「マジで? ふーん? 役に立つの?」
むっ、失敬なやつ。腹立つ。
「アンタよりはずーっとね! 働き者のハルちゃんだよ」
「えへへ、嬉しい」
すると、ぎゅうと横から抱きついてくる夏香ちゃん。そして、
「もう私のお嫁さんにして毎日美味しいご飯を食べさせてあげるんだから」
「えー!?」
私がお嫁さんに!? そして美味しいご飯……これは冗談にしても、ちょっと魅力的に思えちゃう。
「ほら、おにぎりもっとたべぇ」
「うぅ抗えないよぅ」
空は高くて風もない、心地の良い昼下がり。
そんなほがらかな秋の日に、美味しいおにぎりを3つも食べちゃう私でした。
<つづく>




