クマ鍋(西和賀「きのこ祭り」探訪【後編】)
『では、第二問! この写真は――』
司会者が、プロジェクタで映写されたキノコの写真を指し示す。
それは茶色くてぬるっとした光沢のあるキノコの写真だった。
茶色いお饅頭みたいな傘に、柄の部分は太くて短い。根本が傘と同じくらい丸く、ずんぐりむっくりした姿が印象的。どことなく外国の絵本に出てくるような可愛いキノコ。
出題に対し出席者六人のうち、三人がほぼ同時に手を挙げた。一番早かったタワシ頭のおじいさんに司会者が解答権を与える。
『佐々木さん、どうぞ!』
「オオシメジ!」
自信満々で答える佐々木さん。会場や左右に座っていた回答者からも、一斉に「んだ!」「正解だべ」と同意の声が上がる。
しかし、司会者はバツの描かれた『不正解』のカードを掲げる。
『不正解! 問題は最後まで聞いてくださいね』
「じゃっ!?」
驚いた時の声は「じぇじぇ」ではなくこの辺りでは「じゃ」らしい。
『コホン……問題を続けます。これはご当地では「オオシメジ」と呼ばれているキノコです……が! 正式な学名はなんでしょうか!?』
ざわっと会場に動揺がはしる。
普段使っている「通名」とキノコの学名は違うものらしい。
けれど、さっきは手を上げていなかった、メガネの若い男性回答者がスッと手を上げた。
『おっ! 田中さん、どうぞ』
「ムレオオフウセンタケ」
『ピンポーン! 正解です!』
おぉ……!? と会場がどよめく。
司会者が向けたマイクに、フッと微笑みながら、メガネの鼻緒を指先で持ち上げる。
「正式名称、ムレオオフウセンタケ。コナラ・ミズナラの落ち葉が積もった腐葉土に発芽する、つまり広葉樹林の地上に発生するフウセンタケ科のキノコです。まんじゅう型の傘が特徴で、若いキノコは傘の内側に内被膜という薄い皮があるのが特徴ですね。食べると実に美味しいです」
インテリメガネ風の三十代後半ぐらいのおじさんは、キリッとメガネを再度持ち上げると、余裕の笑みで博識を披露する。
会場からも拍手と感心の声があがる。
『すばらしい……! 私の解説が不要でした、ありがとうございました』
その横で不正解だった白髪頭の佐々木さんは「ぐぬぬ……」と苦い顔。
不正解とはいえ、地元の呼び名が当たっていたのだから正解だべ!
と抗議する声もあったけれど、結局は『問題は最後まで聞きましょうね』ということで落ち着いた。
西和賀町のキノコ祭りの催し物、『ミスターきのこコンテスト』は、早押しクイズ形式で進んでゆくらしかった。
「難易度高くない!?」
「うーむ、ガチのキノコ勝負か……」
私と雪姉ぇは、キノコ蕎麦を食べながら、フリーの観客席に座っている。
体育館の一段高くなった舞台の上には、何処で売っているのか「きのこ柄」のスーツを着た司会者と、クイズ回答者6人が並んで座っていた。
長机を並べた向こう側に座っているのは、いかにもキノコ採り名人といった感じのお爺さんやお婆さんたち。それにさっき正解を言い当てたメガネのおじさんも交じっている。
「『ホンシメジの佐々木』の名が泣くの」
「まったく、我ら『和賀山塊四天王』の面汚しじゃ」
別の回答者二人の老人と老婆が、ヒヒヒと不敵に嗤う。
佐々木さんはちょっと悔しそう。
「しょせん、佐々木は我ら和賀山塊四天王の中では一番の若輩者ゆえ」
最長老と言う雰囲気を漂わせた熊の毛皮を着ている老人が、静かにディスる。
っていうか、あんたたちも回答できてなかったじゃん……。と心の中でツッコミを入れる私。
それぞれ回答席の前には白い紙がぶら下がっていて、『ホンシメジの佐々木』『バクロウハンター高橋』『マイタケの舞子』『マツタケの昌』と筆で書かれている。
「ははは」
お蕎麦を食べながら、雪姉ぇはこのやり取りを見て笑っている。この「四天王演出」は冗談だということで、いいのよね?
なにやら『ミスターきのこコンテスト』出席者の間でも、いろいろな人間模様がありそうね。
「大真面目にキノコクイズなんだよね、これ」
「ミスターキノコは名誉な称号なんだべ」
私と雪姉ぇはクイズが2問進む間に、キノコ蕎麦を食べ終えた。
蕎麦はこの地方で採れたそば粉でコシがあって美味しかった。出汁はコンブとお醤油で馴染みのあるコクのある味わい。そして汁には、この地方では「ボリ」と呼ばれる「ナメコ」の一種の黒いキノコがたくさん入っていた。
ボリは雪姉ぇいわく「ナラタケ」というキノコで日持ちが悪く、煮ると色も黒くなるので市場には流通しないのだとか。
でもシャキシャキというか「ぼりぼり」っとした歯ごたえが心地よくて、名前の由来がわかった気がした。
「あー美味しかった」
でもちょっとものたりない。フランクフルトとか焼き鳥とかも食べたい。なんて思っていると、雪姉ぇがとある屋台を指さした。
『クマ鍋』
「あれも食べてみよう」
「え? く……熊鍋って、ホントに!?」
「熊肉入りだってさ」
「うそ、まさか本物の熊さんのお肉入りなの!?」
くまさん、私には食べられないよ……。
「よし買ってくる!」
「ちょっ、待っ……!?」
流石は雪姉ぇ、私が「いや」と言う前に屋台に行ってしまった。
屋台の前にはそれらしく熊の毛皮まで飾ってある。大鍋から白い発泡スチロール製の器に盛り付けて1杯400円。やや高いけれど貴重な肉だと思えばそんなものかしら。
やがて雪姉ぇがニコニコしながら、2つの器を借りたトレイに載せて戻ってきた。
ほかほかと湯気が立ち上り、一見すると豚汁そのもの。中には豆腐やネギ、ニンジンと一緒に、肉の細切れが浮かんでいる。これはこれで美味しそう。
「見た目は、豚汁っぽいね?」
「そうだな熊汁だなこれ。まず食べてみるべし、いただきます」
「い、いただきます」
恐る恐る、熊汁をゆっくりと口につけ、味わう。
「……む? 美味しい」
「あぁ、いい味だ出汁と味噌がいいね」
味付けは味噌味で、香ばしい赤味噌の香りがする。それと大根や人参などからの出汁。他は普通の豚汁に近い味。けれど、どことなく野生の香りが混じっているような気がする。
いよいよ、やや色の濃い牛肉みたいな肉にチャレンジ。
これが熊のお肉か。思ったよりは普通の見た目。毛が生えていたりしたら無理だったけど、そうではないみたい。
「これも……大丈夫、」
「もっと獣臭がするかと思ったけど、馬肉とか鯨肉とも違うなぁ」
「牛肉ともちがうよね、けど美味しいね!」
「あぁ!」
うん、何にも例えようのないお肉の風味が感じられる。
一回煮こぼしてあるのか、臭みは殆ど無い。けれどどこか野生動物的な臭みが、ほんの僅かに感じられる。
「熊を食べたのは初めて……! 自慢できるかな」
「野生肉だもんな。流行りのジビエ料理だと思えばオシャレだな」
「ジビエ……、まぁ確かに」
「ボタニカル・ベアー・ミソスープ、もうオシャレ感しかないわね」
「きゃはは」
雪姉ぇのセンスがヤバイ。確かにそう言われれば流行の野生肉だわ。
「それにしても、熊さんが棲んでいる深い山に囲まれているから、こういうお料理があるの?」
熊汁の具を食べながらたずねる。
「マタギの伝統がある土地柄だから、かなぁ」
「マタギってなに?」
何かで聞いたことがあるような。
「……山で獣を狩る猟師さんのことだよ、教科書では習わなかった? 山岳地帯で伝統的な方法で狩猟を行う人たちなのだけどな。山脈や山塊を尾根伝いに移動する、山人とも呼ばれていた。アイヌの言葉を使っていたって言われているし、ルーツは……まぁ諸説ありだけど」
「へぇ……」
汁をすすりながら、雪姉ぇが教えてくれたこと。
それは、かつて日本には今は消えてしまった人々が居た、という話だった。山人やアイヌ、そうした古い「別の日本」の伝統を持つ人々が暮らす、蝦夷と呼ばれた地がここであったこと。
教科書で教えているのは「勝者の歴史」であり、大和朝廷から見たものに過ぎない。
この地は都から見れば東北(鬼門)の方角、鬼の棲む忌み地でさえあったと。征夷の旗印のもとに、蔑まれ討伐される対象であったこと――。
いつしか私は、囲炉裏端で古い民話と伝承に耳を傾ける子供のような、そんな心持ちになっていた。
もしかして、遺伝子に刻まれた遠い記憶、あるいは野生を呼び起こすようなそんな効能が熊の肉にはるのかしら……なんてね。
お腹もいっぱいで、身体はホカホカと温まった。
「さ、温泉に入って帰ろう、今夜はキノコご飯も食べたいだろ」
「うんっ!」
お祭り会場を後にした私達は、日帰りの温泉へと向かう。
車の窓から見える深い山々の、そのまた奥を、かつて行き交う人々が居たなんて。考えると実に不思議。
遠い歴史の秘密が今もあの峰の向こう側で、ひっそりと隠れているのかも。
ちょっと不思議で壮大な歴史に思いを馳せる。単なる風景でしかなかった色づく山々が、今日は少しだけ違って見えた。
<つづく>




