アケビ(あけびの果実)
教室の窓から見える里山が、ほんのりと色づき始めていた。
ウルシにモミジといった赤や黄色に葉を染める木々が、ぽつぽつと山の頂から絵の具を垂らしたみたいに彩りを添えている。9月の最後の週だというのに、北国ではもう秋の気配が近づきつつあるみたい。
放課後、いつもの部活『家庭科部』へと向かう私と夏香ちゃん。
渡り廊下の空気もひんやりとして冷たくて、夏服はもう限界。来週から衣替えだけど、冬服が恋しいとか、もうそんな季節なのね。
「そういえば雪姉ぇが週末、コタツ出すって言ってたわ」
「あ、ウチでも今週出したよ。おばあちゃんがいるから寒いと困るし」
「やっぱりこのあたりだと、コタツってこの時期から出すのが普通なの?」
「うーん。10月のはじめには準備するよ。あとストーブも朝晩、1桁の気温になると絶対にほしいし」
夏香ちゃんの髪型はポニーテール。いつものツインテールではなくて、乙女心と秋の空みたいに、髪型を変えたみたい。
「そうなんだねー。でもコタツ気持ちいいよね暖かくて」
「そうそう、入ると出られない! 生活の全てになるの!」
「きゃはは、わかるわぁ」
日本列島は細長いので、北の方はもちろん、山沿いはどこもコタツが恋しい季節なのかもね。
金属バットでボールを打つ鋭い音が響いて、気の抜けた掛け声が続く。
「あれ? 運動部がなんとなく静かだね」
「新人戦終わったしねー」
「あ、そっか」
秋の新人戦も終わって一段落した運動部の掛け声は、どこか気が抜けていた。
それに引き換え、家庭科部には季節の変わり目なんてない、むしろ秋本番のこれからが熱い季節らしい。
やがて辿り着いた調理実習室――『家庭科部』からは、女の子たちの元気なおしゃべりの声と笑い声が、廊下まで聞こえていた。
何故か「オハヨー」と言いながらドアを開ける。
「おかえりー!」
そして、家っぽく「おかえり」のお出迎え。こんな習慣にもすっかり馴染んだ。
「きましたねー」
「あ、ハルちゃん、夏ちゃん待ってたよー」
部活に居たのは4人。このまえリンゴをくれた雫ちゃん、それに鈴ちゃん。後の二人は1年生の琴音ちゃんと萌ちゃん。
「お茶ありますよー」
「ありがと琴音ちゃん!」
調理実習室の長テーブルを囲んで腰掛ける。
1年生の琴音ちゃんがお茶を持ってきてくれた。そして萌ちゃんがテーブルの上にあった、竹籠を「どうぞ」と指し示す。
「今日のお茶菓子……いえ、お茶果物はこちらでーす」
カゴの上には紫色の果実が載っていた。果実は淡い紫色で、手のひらサイズ。3つほどある果実は、細くて長いつるに繋がっている、節ごとに伸びる葉っぱは小さくて楕円形。
「あ、これって、アケビ?」
「うん、アケビ。秋だもんねー」
夏香ちゃんが相づちを打つ。
「『あけび色』ってこのことなんだね!」
「そんな色あったっけ?」
「絵本で子供の頃読んだの……」
たしか、同じような淡い紫色をした夕方の空のこと。
「これ萌ちゃんが……?」
「うちのおじーちゃんが、山から採ってきたんだけど。私あんまりたべないので」
「あーなるほど」
ついさっき山で採ってきました、という雰囲気が秋を感じさせる。
山で採ってきたというと、先日の「山ぶどう」を思い出す。大人は喜ぶだろうと思っても、子供がそんなに喜ばないパターン。
「美味しくないの?」
「そうでもないけど……」
「うーん。今の世の中美味しいものが沢山あるからねぇ」
「アタシは好きだよー。上品で甘いし」
夏香ちゃんも萌ちゃんも微妙な表情。鈴ちゃんは好意的。
果実を持ち上げて観察すると、片方に真っ直ぐな切れ目が入っていて、ぱっくりと口を開けていた。内側は白くて、例えるなら「白いソーセージ」みたいな感じ。半透明の白いゼリーの中にはよく見ると黒い種が粒々と並んでいる。
「たべてみていい?」
「あ、あたしもたべるー!」
さすが夏香ちゃん。微妙だといいつつ、食べるものは食べるのね。
小さなスプーンで、アケビの果実を掬う。
果肉はゼリー質に見える。黒い粒、種が多くて食べるところは少なそう。
とりあえずひとくち。
「んっ……ん?」
甘い。思ったよりも甘い。ほんのりと優しい、果物の甘み。
でもなんだろう、この味。バナナでもないし、キウイとも違う。何かに似ているけれど違うような……。
「おー、この味、アケビの味って……柿っぽいよね」
「あっ! 柿! 柿の味に近いんだね!」
「だよね!? そう思うよねハルちゃん」
「うんっ」
なるほど、ちょっとカキのオレンジ色のゼリー質に雰囲気が似ている。種が細かくて食べにくいけど。
自然な甘みは嫌いじゃないし、他にはない見た目も珍しい。
「あとね、皮も美味しいんだって」
「皮!?」
萌ちゃんが言うには、果実の中身を子供が。皮は大人が刻んで食べるらしい。
「どうやって食べるの?」
「炒めて……でもね、苦いの、私は無理ー」
「苦い……」
「苦いのか」
家庭科部のみんなが顔を見合わせる。甘いものなら飛びつくけど、苦いものをあえて食べようとはしない乙女心。持って帰ったら雪姉ぇは喜ぶかしら。
「でも、使うならこの蔓よね」
「私もそう思った! リースにできるよね!」
「可愛い!」
雫ちゃんが瞳を輝かせる。
「じゃぁね、蔓を丸めて……」
さっそく蔓をくるくるっと丸めて、輪を作る。簡単なリースの出来上がり。
「これにさ、ドライフラワーを飾り付けて」
「あっ可愛いね」
「やろうやろう!」
調理実習室の軒下には、花壇で集めた花がらを干したドライフラワーがある。お茶にしようとしたハーブなんかも干してある。それらを使って飾り付けたら可愛いかも。
私は調理実習室の窓から見える高く遠い空を見上げ、ふと感慨にふける。
ここに来て、皆と色々たべて、仲良くなって。気がつくと、やがて秋が終わり冬が来れば、ここでの暮らしも1年になる。
私は、この先もずっと皆といたい。
その先、何をしたいかは、まだわからないけれど……。
でもそれはこれから考えてもいい。何か、その先に。私の出来る、好きなことを見つけて。
なんて考えていると、夏香ちゃんは学校の裏山を見つめている。
「もう、こんな季節」
「ん……?」
「ハルちゃん。奴らが、来るわ」
その視線はやや険しい。
「奴ら……って?」
学校の裏山に視線を向ける。もちろん何もいない。野生のイノシシとかキツネとか? まさかおばけとか。そんなのがいるのかしら?
「魔物よ」
「えっ!?」
「山の恵……秋の味覚と呼ばれる、食欲の魔物よ!」
「あぁ……」
思わず力が抜ける。そしてお腹の虫が鳴く。
「栗にキノコの季節なのよ。でもキノコがやばいわ。天然のマイタケの天ぷらに、マツタケのごはん! 大シメジの煮物……あぁ、恐ろしい食欲という魔物……!」
夏香ちゃんが「うぉおお」と戦闘態勢に入る。
――秋、それは食欲との戦いの季節。
「いやぁああ!? 美味しそう」
「マイタケごはん、美味しいよねぇ」
「私も好きですー」
家部のみんなで思わず盛り上がる。けれど反比例してお腹が空く。
あぁもう我慢できない秋の味覚、ぜんぶ食べたい!
<つづく>




