生ウニ(北三陸の『生ウニ丼』『いちご煮』)
照りつける太陽、青い空に……青い海。
「海だぁーっ!」
目の前には、海が広がっている。
私は夏香ちゃん家の車に乗せてもらい、一緒に海へとやって来ていた。先日の盛岡旅行のお礼だからと、いうことで。楽しいドライブにお邪魔することに。
なんでも夏香ちゃんのお父さんの実家が、青森に近い県北、洋野町にあるのだとか。
「広いねー!」
夏香ちゃんが両腕を広げる。海風に揺れるツインテール。ピンクのタンクトップに白いリネンのシャツをふわりと羽織っている。私から見ても実に「夏の女の子」っぽくて絵になる。海が似合う少女である。
けれど――。
「さ……寒いッ!?」
「気温22度って何!? 寒すぎない!?」
「へっくし」
「何これ!?」
私と夏香ちゃんは同時に身を縮めた。
両腕で身体を抱きしめるようにして、体の芯から冷える海風のあまりの冷たさに震えてしまう。
砂浜に直結する海浜公園の駐車場、その端っこに設置してある大型の気温計は「22度」を示している。
「ななな、なんでこんなに寒いの!? 今、8月だよね……?」
「岩手の海って、特に県北あたりは毎年こうなのよぉー」
カーディガンを羽織った夏香ちゃんのお母さんが後ろからやってきて教えてくれた。おっとりしたお母さん。
「ハルちゃんも、これ羽織りなさいー」
「ありがとうございます……」
Tシャツ一枚だった私に、後部座席に置き忘れていたパーカーを持ってきてくれた。お礼を言って受け取って羽織る。
「8月でも泳げる日はほとんど限られてるのよねぇー」
「夏の海なのに……泳げないんですね」
「うーん。北三陸だとタイミングが良くないと……」
「タイミングって?」
「やませが吹かない日を選ばないと」
「やませ?」
「この白い霧みたいなのが『やませ』なの、冷たい空気の塊で晴れていても『やませ』に包まれると気温が下っちゃうの」
『やませ』は冷たい北からの海流で生じる湖風で、霧を伴って押し寄せてくる様子が目視できるらしい。
海のほうにドライブに行くというのに水着の準備もしないので、おかしいなぁとは思っていた。まさか寒いとは考えていなかった。
「えー? じゃぁ今、わたしたちは冷たい霧の中?」
見上げると青い空には違いないけれど、時折ぼんやりと霞んでしまう。
「盛岡が30度超えていても、このあたりじゃ20度なんてこともザラなのよね」
「クーラーの設定温度なんて目じゃないね」
「確かに冷えすぎ」
そういえば移動の車中、海の方に雲海のような霧が見えていた。あれが『やませ』だったのね。
出発する時は途中までは「暑い!」「早く海に行きたい」と言っていたのに、来た途端にこれじゃ、まるで違う季節に迷い込んだみたい。
冷たい海風を感じながら、とりあえず砂浜へと歩いてゆく。
看板が立っていて、『種市海浜公園。三陸海岸の最北端』とある。
県北に位置する、青森にほど近い洋野町。「三陸海岸」は入り組んだ地形が特徴で、岩場が多い。砂浜自体があまり無くて、珍しいのだとか。説明書きには、大昔に沈んだ山の形が海岸線になったもの……とかなんとか。
8月の後半に差し掛かった海、けれど海水浴客は殆ど見かけない。
犬の散歩をしている人、海岸を歩く人がちらほら見かける程度。カラフルなパラソルも海の家もない。
全身ウェットスーツに身を包んだサーファーの人たちが何人か波に挑んでいた。関東方面の海で見かける日焼けしたサーファーではなく、なんていうか「命がけで過酷な海に挑むスポーツ」をしている感じがする。
「夏の海というより冬の海ね」
「ま、このあたりは大抵こんな感じ?」
夏香ちゃんが両腕を頭の上に組んで「たはは」と笑う。私達はサンダルを脱いで砂浜を歩く。
足の裏で感じる砂は、少し暖かくて気持ちいい。
「きゃぁ!」
「冷たい!?」
波が足元をさらう。とても透明で透き通った水。
とにかく第一印象は冷たくて寒い。
けれど海の水は限りなく透明で澄んでいた。
「冷たいね、10分も泳いだら唇が紫色になりそう」
「いや、命が危ないよ」
「そろそろお昼だよー」
夏香ちゃんのお父さんとお母さんが遠くから叫んだ。私達は車へと戻ることにした。
その後連れて行かれたのは海辺の食堂……ではなく、夏香ちゃんのお父さんの実家だという海辺の家だった。恐縮しながらお邪魔して、お昼をごちそうになることに。
家は古くて、雪姉ぇの家を連想する。
「お昼ご飯は生ウニ丼だよ」
「生ウニ丼……!?」
「そだよ、ハルちゃん」
「んめぇよー、めんこいお友達もウニは大丈夫け?」
しわしわのお祖母ちゃんが白いどんぶりご飯を盛ってきてくれた。以前某国営放送のドラマで「じぇじぇ」が流行したけれど、あれは海にいる今こそ言うべきだったのかしら。
「だ、大丈夫も何も、お寿司でしか食べたことないですけど……」
そこで出てきた「生ウニ」に私は驚嘆した。
たぶん、今まで一番。
牛乳瓶に入った、黄色い生ウニ。
それをそのまま、温かいご飯の上にドバドバ……とぶっかけた。
「えぇえええ!?」
「私とハルちゃんで一本でちょうどいいね」
私と夏香ちゃんで瓶の中身を半分こ。ご両親も同じように分けている。ご飯が見えなくなるくらい生ウニをこんもりと。
こんなの見たことない。
「牛乳瓶に入ってるの初めて見た」
「このあたりだと、鮮魚店とかでこの状態で売ってるの。無菌の海水で洗ったウニの身がたくさん入ってるからお得」
醤油はお好みで、と言われたけれど、おすすめは「そのまま」らしい。
まずは一口。箸で持ち上げてプルプルした生ウニを観察してから、ぱくり。
「ぬぅ……おぉおおお!」
「ハルちゃんが別人に!?」
なんだこれ!?
「これが……生ウニ!」
ウニの濃厚な風味が口の中で爆発する。
甘い。
臭みなんてまったくない。海の香りと、独特のねっとりとした舌触り。温かいご飯に旨味が絡みついて、どんどん箸が進んでしまう。
「うま……旨いっ!」
「美味しいねー!」
夏香ちゃんも私も、どんぶり飯をもりもり食べる。ご両親もお祖母ちゃんも「今年は出来がいまいちでねぇ」「あらら」とか言っているけれど、とんでもない。
私が知っている回転寿司の茶色いウニとは全くの別次元。
新鮮さと風味が違う。
いや、比べられない。高級鮮魚店で綺麗に板の上に並べて売っているウニも、以前一切れ食べさせて貰ったことがあるけれど、それよりも新鮮味が全然違う。
まず見た目が綺麗。ウニをよく見るとキラキラしていて黄金色。細かくて小さな黄色いぷりぷりの集合体だとわかる。なんていうか「生きている」って感じがする。
「ウニ、美味しいね!」
「美味いってか、……寿命が伸びる感じ?」
「きゃはは、ハルちゃん、食レポが上手ー」
「えー!?」
ウニの豊富な栄養で、頭が活性化したのかな。
すると今度はお吸い物が出てきた。
「三陸名物の『いちご煮』だよぉ」
いちご煮?
まさかここにきて謎の料理? 嫌な予感がしたけれど、やや白みがかった透明のすまし汁で、「いちご」は見当たらない。
代わりに黄色いフワフワと貝の身らしきものが。青い葉の千切りが何本か浮いている。
「ハルちゃん、安心して。『いちご』ってウニのことだよ」
「あ、そうなの? てっきり……果物のおすいものかと……」
笑いに包まれる。どうやらウニをお吸い物にすると、ふわっと膨らんだツブツブが「野イチゴ」みたいに見えるからだとか。
「あぁ……磯をまるごとを味わってる感じがするね」
「わ、わかるー。磯の味だよね」
「うん!」
お吸い物は昆布出汁で、磯の香りがした。火を通したウニの風味が出汁と混じり、ツブ貝のクニクニした食感が美味しい。青い葉の千切りはシソだったらしく、香りが全体を引き締める。
漁師さんのお料理というか、郷土料理とはこういうものをいうのかな。とにかく素朴だけれど、海を全て味わい尽くした感じがした。
◇
「お盆も過ぎたし、夏も終わりだね……」
「終わるの?」
「うん」
帰りの車中、夏香ちゃんが寂しそうに呟く。
空を見上げると、淡く白い筋雲が高くたなびいていた。
<つづく>
北三陸で生ウニといえば「牛乳瓶入りのウニ」ですw
一本2千円から3千円で県北の沿岸沿いの魚屋さん、盛岡市内の鮮魚店でも取り扱っています。
鮮魚店で見かける高級な生ウニ(杉板の上に綺麗に並べて売られている)は見た目、綺麗ですがミョウバン水で処理されているため、やや硬くなっているようです。
牛乳瓶生ウニは、朝に水揚げされたものを開けて身を取り出し、形の不揃いなものや、崩れたものを集めて売っていますが新鮮さは100%保証します。
作中のハルちゃんと同じく、作者も沿岸の知り合い宅に行った時、牛乳瓶から「ドボドボ」とぶっかけて食べたのですが、その光景に衝撃を受けました。
次回から「秋の味覚」編へ……!




