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鮎(あゆ) ※夏の昆虫たち特別編

 昼間の熱気が嘘のように、網戸越しに心地よい風が流れ込んでくる。


 雪姉ぇのお家は、なだらかに起伏した里山を背にしているので、夕方になると冷たい風が吹き下ろして、夏でもクーラー要らずとなる。

 避暑地顔負けの心地よさで、アスファルトで覆われた街とは気温の下がり方が違うのだなぁと実感する。


 私は六畳間の自分の部屋で寝そべりながら読書中。適当な雑誌とコミック誌と小説とをとっかえひっかえ。集中力が切れたら変えて読むスタイルで。


 リーン、リーンとすずを鳴らすような虫の音。

 ジー、ジー。リリリ……。

 気のせいか、日に日に賑やかになってきたような。


 夏の夜はいろいろな音が聞こえてくる。

 街で暮らしていた時とはちょっと違う音や声。


 しばらくすると遠くで、ケーン、クワッ。と犬が甲高く鳴くような声がした。


「これは、キツネさん」


 網戸を隔てた向こう側は暗闇の世界。そこで暮らす住人たちの声。最初は「何!? 怖い」と思ったけれど、正体が分かればクイズみたいで楽しい。


 今度は唐突にパタパタパタ……。と網戸を毛ハタキで叩くような音。


「げっ!?」


 今度のお客さんは口にだすのもはばかられる、巨大な夜の蝶。

 色は白っぽくて、幽霊アゲハみたいなやつ。毛の生えた触覚と太い胴体が生理的にダメなやつ。種類とか名前とか知りたくもない。


「うぅ、はやく何処かに行って、お願い」


 祈るような気持ちで無視を決め込んでいると、パタパタ音が消えた。

 

 ホッとしていると、しばらくしてブブブブ……! と激しい羽音が網戸の外で響いた。


「今度は何よ……うっ?」


 暗闇に目を凝らすと、甲虫らしかった。


「で、でかっ!?」


 暗くてよく種類はわからないけれど、なんというか、ゴキブリのようなサイズで、大きい。胸から六本の脚が生えている。黒光り感が半端ない。

 正直、私はこういう虫も苦手。


 っていうか、好きな子いるの?


 でも、こんな時は心強い()を呼ぶことになっている。


「ゆ、雪姉ぇ……! 網戸になんかきたよー!」


 部屋の畳を這うようにして移動、ふすまを開けて廊下に向けて叫ぶ。薄暗い古びた廊下の先からは明かりが漏れている。


「……でかいか?」

「ゴキブリみたいなのー!」


 私は悲鳴じみた声を上げた。


 すると、どたどた、と雪姉ぇ登場。廊下に姿をみせた姉君は、ハーフパンツに変なロゴの入ったTシャツという、色気とはおよそ無縁の姿。手にはなんと虫取り網と透明のプラスチック製の虫かご。

 

 雪姉ぇは夜だというのにそのまま玄関の引き戸を開けると、サンダルの足音を残して出ていった。トトト、と家の横を小走りで動く気配が通り過ぎると、私の部屋の網戸の前に到着したらしい。


「おおっ!?」


 雪姉ぇの声が外から響く。Tシャツ姿で虫取り網を振り回し、少し高い位置にある網戸にへばりついていた甲虫をなんのためらいもなく、捕獲。


「うほぅ? これは……いいサイズだ」


 嬉しそうな雪姉ぇの声が響く。


「な、何!? いったい何?」

「ノコギリクワガタ」


 網戸越しに、指で摘んだ甲虫を見せつける。ジタバタと暴れる虫の頭には、確かにノコギリのようなハサミが生えている。


「いいい、いいから見せなくて」


「そう? こんな格好いいのに。なかなかの大物だよー」


 夏休みの少年みたいな笑顔で虫かごにノコギリクワガタを入れる。


 実は玄関には100円ショップで買ってきた透明なプラスチック製の虫かごが何個も置いてある。私は怖くてよく見ていないけれど、カブトムシとか、ミヤマクワガタとか、そんな甲虫達が捕獲されているらしい。


「ハルの部屋は山側だから、明かりをつけとくと虫を呼び寄せる」

「嫌ァ!? 怖いこと言わないでよ」

「都会っ子か」

「今は田舎者ですけど、元都会っ子だよ」


 玄関から戻ってきた雪姉ぇは、私が怖がるのを意に介す風もなく虫かごを私に見せつける。

 いつの間にか、何かの葉っぱと枝、それと「昆虫ゼリー」という考えてみると恐ろしい商品名のカップが入っていた。

 透明な篭の中では 茶色っぽいノコギリクワガタが元気にゴソゴソ動いていた。

 思わず身をのけぞらせる。


「ど、どうするの、それ?」

「ハルも欲しいのか?」

「いらない、いらない。まさか飼うの?」


 20代後半に差し掛かろうかという年頃の女性が、家で飼うの!? まさかね。


「職場の同僚の息子さんにあげるんだよ」

「……あ、なるほど」

 思わずホッとする私。


「ママさんの先輩なんだけどさ、子供が小学生でこういうの大好きなんだって。……まぁ私も昔はよく採って、男子と大きさを競ってたし」


 懐かしむようにクワガタを眺める。


「さすが雪姉ぇ」

 ワンパクな少女時代が目に浮かぶよう。私が物心ついた時の雪姉ぇは中学生ぐらいだったと思うけれど、今にして思えばちょっと腕白と言うより、ヤンチャだったような……。


「明日にでも持っていって、プレゼントするよ」

「うん、そうしてあげて」


 その夜は、玄関先でガサゴソ、ブブブ! と脱走しようと暴れまわる虫たちの音に私は一晩中悩まされ続けた。


 ◇


閉伊(へい)川で釣ったばかりの鮎、美味いなぁ」

「うん、おいしい……!」


 お皿の上にはこんがりと焼き色のついた鮎が載っている。


 夏と言えば鮎。日本全国で愛される夏の川魚、鮎。

 私もようやくこの美味しさに気がついた。


 ちょっと大胆に背中にかじりつく。


 ちょっと背中にある白いトロッとした脂部分がほろ苦い。けれど、カリッと焼けた皮の部分や、キュウリみたいな香りのする身がとても美味しく感じる。


「これぞ夏の味だよ」

「うんうん」


 川魚特有の風味と、夏の気温と、聞こえてくる虫の声。

 すべてが混じって夏の味なんだ。


「クワガタが鮎に化けた」

「やめてよ、なんかやだよぅ……」


「冗談だよ、家の窓にひっついたノコギリクワガタやカブトムシのお礼にしちゃ、豪勢なものもらっちゃったわ」

「そう……なんだ?」


 ビールを飲みながら、しみじみとした笑顔の雪姉ぇ。プレゼントのお礼にと、今度は逆に鮎を受け取ってきたらしい。なんでもクワガタをプレゼントした同僚のお義父さんが鮎釣りの名人らしい。


 何にせよ高級魚の鮎を、こうして一人二匹ずつ食べられるなんてとても嬉しい。


 よくわからないけれど、確かホームセンターで売っているクワガタやカブトムシは500円以上したような。鮎も高級魚だけど、値段と意外と釣り合っている気がする。


 食卓を囲んでいる居間にも大きな網戸がある。


 やがて、何かの虫が飛んできて羽音を立てた。


「また何か来たよ!?」

「……あれはカナブンだ」

「わ、わかるの?」

 雪姉ぇが一瞥もせずに断言する。これは尊敬して良いのかしら。


「羽音の重さと音質でだいたいわかる。クワガタのメスに似ているけれど、ちょっと音質が違うんだよ。軽いと言うか回転数がちがうというか」

「ひぃい……!?」


 思わず耳をふさぐ。知りなくもない世界の事情。


「ハルもそのうち聞き分けられるようになるよ」

「そんなスキルは身につけたくないよ!?」


 雪姉ぇはビールの3合缶のプルタブを引っ張りながら、ニヤリと笑った。


 けれど――

 その後も「夜の来訪者」は続き、結局のところ私は順調に「スキル」を身に付けてしまったみたいです。


<つづく>


★作者より


 作中ほどではありませんが、

 作者宅にはコクワガタとメスカブトが網戸に飛んできます

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