くわご(桑の実)
じめじめした梅雨の晴れ間の帰り道。
ようやく顔を見せてくれたお日様が、濡れたアスファルトや稲の葉についた水滴をキラキラと輝かせはじめた。
「晴れたね……!」
「よかったー」
6月も終わりに差し掛かり、水田はすくすくと成長した稲で草原のよう。見渡す限り、緑色の絨毯がどこまでも続いている。弱い風が吹き抜けるたび、波のように葉を揺らしてゆく。
夏香ちゃんが傘を畳んで、空を見上げて歩く。
「もう梅雨は飽きたよー」
整った横顔の美少女が、雲の切れ間の青い空をめがけ、赤い傘を放り投げるみたいに背伸びする。それはまるでライトノベルの表紙かアニメのワンシーンみたい。
家庭科部で縫い物の練習をしてきたのがちょうど良かった。雨が止むまで編み物しようよう! とラップ調に誘ってくれた夏香ちゃんに、感謝。
「でもまだ湿っぽいね」
「うん、髪がまっすぐにならないよぅ」
髪質が柔らかい夏香ちゃんが、カントリー風のおさげに結わえた髪の跳ね具合を気にしている。
「たいへんだね……」
「ハルちゃんは? 髪、綺麗だよねー」
「き、綺麗ってかバリバリに固くて!」
綺麗なんて言われて、思いきり赤面する。
あわわと自分の黒いヘルメットみたいな髪を両手で押さえる。
私は髪質が硬めなので雨ぐらいじゃへこたれない。短いショートボブ風にしているのは、伸ばすと纏まりにくいから……という理由もある。
「ハルちゃん照れないで、可愛いから」
「はぁうぁ」
「うふふ……」
イケメン風に頭をそっと撫でられて。もう私はどうリアクションをしてよいやら思考停止。たぶん今の私は目を白黒させていて挙動不審このうえないことだろう。
二人で楽しく他愛も無い会話を交わしながら歩いてゆく。
家までの道のりの途中、濃い緑色の葉を茂らせた低い木々が並ぶ場所に差し掛かった。民家は近くに数軒見えるだけ、寂しい場所なのは相変わらず。
けれど、少し進むと緑の低木の横に人影があった。腰の曲がったお婆さんと兄妹みたいな小さな子が二人いた。
お婆さんと一緒にいるのはお孫さんかな? 小学校低学年ぐらいのお兄ちゃんと、幼稚園児ぐらいの女の子。兄妹たちは、何かを収穫しているみたいだった。
可愛い二人はザルを手に、葉の隙間から何かの小さな実を指先で摘んでは、ザルに入れていた。
「あったー」
「ダメ、それは赤い!」
「赤いのもいいのー」
「ダメだってば」
どうしても赤い実をザルに入れたい妹を、兄がダメダメと拒否している。
お祖母ちゃんは、そんな二人のやりとりを愛おしそうに見つめている。
「よがす、赤いのもいいよー」
「えー?」
「やったー」
可愛らしいやり取りを横目に通り過ぎるとき、夏香ちゃんに気がついたお祖母ちゃんがニコニコ顔で声をかけてきた。
「ナツちゃん、お友達とお帰りけぇ?」
「はいー!」
「こんにちは」
夏香ちゃんが歩みを緩めて挨拶する。夏香ちゃん家はこのあたりじゃ名の知れたお家なので、きっとご近所さんなのだろう。私もいっしょにペコリとおじぎをする。
「ねぇ、何を採ってるの?」
私はザルをもった兄妹たちにこえをかけた。
兄と妹がほぼ同時に「「くわごー!」」と元気よくお返事をしてくれた。
「くわご……って?」
「くわご……は、桑ってわかる? カイコを育てるの」
くわ、桑、カイコ。
「……あ! 社会で習ったよ、桑の葉っぱでカイコを育てるんだよね!?」
女工さん達が連れて行かれて働かされる。芋虫の工場……!
そんでもって、確か白いイモムシの「カイコ」を育てるエサがこの葉っぱ。
ってことは、あのイモムシみたいなものが……!?
私は思わず身体をのけぞらせて、葉っぱから離れる。
私のリアクションに、お祖母ちゃんが「あんれ」と少しだけ驚いた顔をした。
「あ、ハルちゃんはねお正月明けに引っ越してきたんだよ」
「んだったかー? でもカイコなんて今じゃどこでも育ててねぇし、虫もいねぇよぉ……。くわごなんて、今の子は食べねぇべし……」
何故か恐縮したように、緑の枝を見せてくれた。葉の裏側にはもちろん白いイモムシなんてついていない。
かわりに赤い実と黒い実がたくさん実っていた。
「あ、かわいい実」
「桑の実、ちょうどいい感じだね!」
「これが、桑の実……!」
木苺かと思ったけれど、少し細長い。細かな毛の生えた果実が鈴なりについている。
よーくみると1ミリ以下の小さな粒々が沢山集まって、小指の先ぐらいの果実となっているみたい。
実には、色は赤いのと黒いのが二種類。半分ぐらいずつ並んでいる。
さっき妹ちゃんが「赤いのもー!」と駄々を捏ねていたのは、このことだったのか。
「桑の実をなっす、ジャムにするのっす」
「するんだよー!」
おばあちゃんの独特のイントネーションと語尾に田舎を感じつつ、可愛い妹ちゃんが同調して笑顔で腕を伸ばす。
その指先は赤紫、というか真っ赤に染まっている。
「お手々が赤いよぉ!」
「おいしいよー!」
赤い実を女の子が私に差し出す。「あーん」と差し出すので一粒もらった。
農薬もかけてないだろうし、綺麗な雨水で洗われている。わたしはそのままパクリと雨に濡れて光る赤い実を食べてみた。
甘……くはない。酸っぱい。
「っぱい……!」
「赤いのは熟していないよぉ」
と、夏香ちゃんが笑う。
「最初に教えてよー」
じゃぁ黒いのは? と言うまでもなく夏香ちゃんがお兄ちゃんからいくつか貰って食べている。私にもくれたので受け取って慎重に口に入れる。
転がしてみた手のひらには、熟した果実から滴った赤紫色の汁で、まるで契約の証みたいな印がついた。
「うわ、赤くなった」
「懐かしいなぁ、くわご。指が赤くなるのが難点だけど……うん! 甘いよー」
「黒いのが甘いのね……」
確かにこっちは甘い。酸味も殆ど無い。いくらでも食べられそう。
こんなフルーツみたいな果物が実るなんて、子供だったらおやつには困らなそう。
「久しぶりに食べたよ、小学校6年以来かな」
「もう、つい最近じゃん」
「えへへ」
微笑む夏香ちゃんの唇の先は、紅をさしたように赤紫に染まっていた。
<つづく>
というわけで次回から季節は7月へ。
夏編、はじまります!




