表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/38

なんぶこむぎ(南部小麦)


 朝の通学路がキラキラと輝いていた。


「眩しい……!」


 水を張った田んぼが水鏡(みずかがみ)になって、風景を逆さまに映している。


「ハルちゃーん!」

「あ、夏香(なつか)ちゃんおはよー!」


 向こうからスカートを翻して夏香ちゃんが走ってきた。背中には私と同じ学校指定の青いリュックを背負っている。今日はお下げにした髪が揺れて可愛い。


 私は思わず足を止める。朝の空気は冷たく澄んでいて、深く息を吸い込むと、草の香りと水の香りがする。とても気持ちがいい朝。


 私が通う中学校までの道のりは、ひたすら田園風景が広がっている。


 空は青くて、遥か彼方に見える山脈はまだ白い残雪を被っている。近くの里山は新緑に包まれ、ぽつぽつと立つ家々の赤い屋根と防風林の濃い緑がコントラストになっている。


 全てが、田んぼの中に蜃気楼のように映っている。

 きっと日本中、似たような風景があるのだろう。でも、ここで暮らし始めて半年近く。私にとっては全てが色鮮やかで、新鮮に思えた。


 おしゃべりしながら学校へ向かう。今日の授業のこと、宿題のこと、友達のこと。尽きることのないおしゃべりをしながら歩く。


「なんだか眩しいねぇ」


 思わず目を細める。緩やかな風が吹いて水面(みなも)に映った景色を揺らす。


「田んぼに水を張ったからね。ウチも大忙しでさ、田植えそろそろだし」


 夏香ちゃんが、あくびをする。


「ナッちゃんも手伝うの?」

「そうなのよー。昔は学校休んでまで田植えを手伝わされたりしたらしいけれど、今は農機が発達したとかで週末に手伝うぐらいかな」


「大変だね……。私も何か手伝えるかな?」

「やめといたほうがいいよー。泥だらけになるし、照り返しで日焼けするし」

「そうなんだぁ?」


 ちょっと体験してみたい、くらいの甘い気持ちじゃ邪魔になるだけかしら。


 ゲコゲコ……と道端でカエルが鳴いている。


 そういえば夕方になると、ものすごいカエルの大合唱。春が過ぎて初夏を目の前に、窓を開ける機会が増えると、これは悩まされそう。


「私はさ、都会で暮らしてみたいよ」


 舗道の割れ目に咲いていたタンポポを避けながら、夏香ちゃんがつぶやいた。


「そういうの、憧れる?」

「うん! おしゃれなお店とか、有名人とか、沢山でさ。楽しそう!」


 無邪気に笑う夏香ちゃんの白い歯が眩しい。


「うーん? テレビで紹介されているところはそうかも知れないけれど……。場所によるよぉ。今、思い返すとね、何処に行っても人がすっごく多くて、学校だって、生徒の数がここの5倍ぐらいいて」

「やばいね、友達の名前が覚えらんない」

「知らない生徒ばっかりだよ? いい人も多いけど、変な人もいるし。確かに買い物は便利だけど……。あと、夏がものすごく暑くて死にそうになる」


「そうなんだ……」


 去年まで住んでいた街は、東京が目と鼻の先で、賑やかで、確かに暮らしやすかったんだと思う。でも、ちょっと夏は暑くて苦手だった。


 沢山の人が一緒にいるっていう安心感と、雨上がりの濡れたアスファルトの匂いは好きだったけれど。


 今住んでいるこの村は、とにかく人が少ない。

 家同士も離れていて、こうして歩いていてもあまり人と会わない。最初は寂しくて、正直に言えば、世界の果てというか、ヤバイ場所に来たと思ったほど。


 けれど――。

 

 雪姉ぇがいて、こうしてお友達も出来て。そして、美味しい食べ物が結構あって。


「私は、ここが好きだよ。いいところだよ」

「ハルちゃんがそう言うなら、そうなんだよね?」

「うん!」


 老夫婦の運転する軽トラが横を走り抜けてゆく。


 助手席に座っていたどこかのお婆ちゃんが、夏香ちゃんと私に笑顔で小さく手ふった。思わず私は会釈する。

 亀井さんちのおばあちゃんだ……と夏香ちゃんが言った。


 なんていうか、上手く言えないけれど。人口密度は薄いのに、人同士の繋がりが濃い気がする。


 それと、綺麗に澄んだここの空気が好き。


「でも、買い物はやっぱり羨ましいよぉ! でも……あんなに人が多いところに住む自信がない」

「あ、それはわかるなぁ、人が多くて息苦しい時があるもん」


「東京に旅行に初めて行ったとき、すっごい人の数に驚いてさ。今日は夏祭りなんだ……と思ったもん!」

「あはは」


「でさ。自分がどれだけちっぽけか、思い知らされた」


「お、おぅ?」


 なんだか哲学めいた難しいことを言う夏香ちゃん。その横顔は、すこし大人びて見えた。


「なんていうか、いい意味でも悪い意味でも、埋もれちゃう感じだった。心地良いようで、怖いような」


「うーん。なんとなくわかる気がする」


「いい面と、そうでもない面、両方あるんだろうね。って、こういうの何ていうんだっけ!?」

 うーん、と眉を寄せる夏香ちゃん。


「隣の庭は青く見える?」

「そうそう。それ! 隣の田んぼは青く見える!」

「芝生じゃなかったか……」


 と、学校の近くまで来た時、あることに気がついた。


「あれ……? 青いね、このへんの田んぼ」


 青々と()が一面に茂っている。いや、日本語で正確に言うのなら、若葉色の牧草みたいな葉っぱが、田んぼを埋め尽くしている。


 隣の田んぼを眺めると、水を張ったばかりで、田植えもまだされていない。

 

 この周辺だけが青々とした草が茂っている。


「あ、ここは麦の畑だよ」


「麦……? へぇ!? これ、麦畑なの?」


 気が付かなかった。単なる休耕田か、田起こしが遅れて、水を入れていない田んぼに草が生えたのかと思っていた。見渡す範囲の半分ぐらいが、青々とした若葉に覆われている。これが全部麦畑だったとは、気が付かなかったわ。


「たしか、えーと『南部小麦』っていう種類の麦を育ててるの。秋に種まきして、冬越しして。今の時期は青葉がこんな風に茂るんだよ」


「麦の若葉、って青汁の原料だね!?」


 CMでそんなのやっていた。


「あはは、今買うともう一箱セットお得な麦の青葉の青汁ナントカ」

「そうそう」


「でも青汁より麦にしたほうが美味しいよ。ほら、穂が出はじめてる」

「ほんとだ……!」


 よく見ると瑞々しい若葉からは穂先が出始めていた。直立した穂の先には、アンテナみたいなヒゲが生えている。


「6月には茶色くなって、収穫だよ」

「そうなんだ……知らなかった」


 麦って日本でも、作られてたんだね! と言うと、 田んぼを利用して、たまにこうして麦を作っているんだよと教えてくれた。


 社会でたしか95%は外国からの輸入とかなんとか……。ってことは数パーセントをこんな風に作ってるんだね。


 学校が近づくにつれて生徒の数も多くなる。自転車で通学している子も多くて、追い抜きながら「ナツちゃん、はるちゃんオハヨー」と手を振ってくれるので、私達も挨拶する。


「麦って、パンになる?」


「もちろんなるよ! 家でも焼くし。パンとかうどんとか、あとは『ひっつみ』に。そうだ、家庭科部で今度つくって食べようよ!」


「『ひっつみ』……?」


「えーと、『すいとん』ってやつ」


 あ、わかった。小麦をコネコネしてお汁に入れたお料理のことね。


「いいね! でも、また炭水化物……!」

「ハルちゃん、デブ活に入った以上、もう逃れられないよ」

「いやぁあ!?」


 部活の恐ろしい正体が暴かれた。


 邪悪に微笑む夏香ちゃんから逃げながら、私は校門をくぐり抜けた。


<つづく>


南部小麦の「なんぶ」は、旧・南部藩からきています。寒い土地で稲が育ちにくく水田が少なかったため、雑穀や麦の栽培が盛んでした。


5月といえば田植えのイメージですが、地域によっては一面青々とした若葉が育ちます。

6月の収穫の時期になると小麦色の穂が風に揺れ、西洋ファンタジーな世界を感じられます。

(小麦料理は種類が多いので、収穫の時期が来たらまたその頃に)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ