ばっけ味噌 (ばっけ=フキノトウ)
「ハル、外で『ばっけ』を採るのを手伝ってよ」
「え? 『ばっけ』って何……?」
雪姉ぇは私にスーパーのビニール袋を差し出した。
春休みに入ったばかりの3月の半ば。どうせヒマな昼下がり、雪姉ぇの唐突な申し出につきあうのは嫌じゃない。けれど、そもそもバッケってなによ?
「ほら、フキノトウだよ。春に地面から生える、緑の丸いの」
「あー! わかるよ、フキノトウね」
あれはフキの芽なのか花なのか。考えたらよくわからないけれど、以前住んでいた所でも空き地とか川の土手とかで見たことがある。
「そう。この袋一つ分ぐらい欲しんだよなー」
ジャージ姿の雪姉ぇが髪をポニーテールに結いながら言う。今日は化粧っ気もなく、一段と女子力が低い気がする。
「そんなに採ってどうするの?」
「酒のツマミにする」
「食べるの?」
「もちろん」
短く答える雪姉ぇはなんだか楽しそうだ。『ばっけ』を採るのが楽しいというよりも、晩酌が楽しみ、という表情だ。
本格的な春を迎える準備の『冬じまい』を終えた庭先には、日陰や軒下に薄汚れた残雪が見える。桜やチューリップが咲くような季節にはまだ遠い気がするけれど、かなり春の気配が近づいてきた気がする。
そういえば庭の端や田んぼの畦にもフキノトウが生えていた気がする。
先週は裏庭の倒木で天然のエノキタケを見つけるというサプライズもあったけれど、今度はフキノトウ――『ばっけ』を食べるらしい。
確か、以前テレビで「天ぷら」にしているのは見たことがある。あれって食べられるんだねぇ、というのが正直なところ。
というわけで私は雪姉ぇとふたり、スーパーのビニール袋片手に家の周りを散策する。
日差しはポカポカと暖かくていい気持ち。雪姉ぇはジャージにフリース。私もジーンズとトレーナーに薄手のフリースを羽織っただけの軽装で。
「あ、あったよ」
探すまでもなく、庭の南側、敷地の端に沢山のフキノトウが生えていた。
地面から顔を出していたのは、薄い黄緑色の葉っぱが重なり合った丸い形をしていた。なんだか可愛い。
一番外側は少し赤茶色で内側に行くほど綺麗な黄緑色。たとえるなら、超ミニな白菜……みたいな感じかしら。日当たりが良すぎるのか、先端が開いて緑のブーケみたいな花が見えている物もある。
「いきなり大収穫じゃん!」
「ノォオッ!」
さっそく手を伸ばそうとすると、雪姉ぇが叫んだ。っていうか、なぜ英語。
「な、何がダメ? これじゃないの?」
「生えている場所が悪い。犬の散歩の通り道だからな……わかるな」
「ひぇええ!?」
私はおもわず手を引っこめた。そうか、道端に近すぎて、ワンちゃんがおしっこかけてるかもしれないんだ。しかもこれ、雪姉ぇが食べるやつだもんね。
「あっちのがいいな。ウチの敷地と裏庭の境界あたり、土手になっている下に生えているのが見えるだろ?」
「先に言ってよ!」
人通りの無さそうな裏山の境目、少し斜面になっているところにもフキノトウが生えていた。日当たりが悪いのかまだ開いていないみたい。
「開いていないくらいがちょうどいいんだよ、さぁ採ろう」
「はいはい」
指先で摘んでひっぱると「ぷっつ」と簡単に採れる。でも、指の匂いを嗅いだら、青臭いような独特な匂いがした。
「うぇー、これ凄いニオイなんですけど!」
「それが春の匂いだろ」
フッと雪姉ぇが微笑む。
「……そう言えばなんでもオシャレだと思ってない?」
「おもってねーよ、いいからあたしの酒のツマミにご協力を!」
「もう」
私は文句を言いながらも『バッケ』をつまみ上げた。取り始めると、結構これが楽しい。夢中になっていると、もうビニール袋はいっぱいだった。
私はこの先の人生でこんなにフキノトウを採ることはないだろうなぁ、と思った。
◇
「と、いうわけで雪姉ぇさんの素敵スローライフクッキング教室!」
「グルメマンガみたい」
くすくす笑いながらエプロンをつけて台所に並んで立つ。さっき採ったばかりの『バッケ』がザルいっぱい。水洗して土やゴミをきれいに洗い、表面の葉の汚い部分を取って、さっと湯がく。
「今日はこれで、『ばっけ味噌』をつくります」
「バッケのミソ? 美味しい?」
「そりゃおめぇ、酒のつまみに最高だし。熱いご飯に、ちょいと載せてもよし……! あーたまらん!」
よだれをたらさんばかりの雪姉ぇさんは、飢えた人だ。
「早速調理開始。ほんとうはここで水に晒すんだけど、私は香りと苦味が好きだからこのままで作るよ」
「ふぅん?」
「水気を切ったら、細かく刻む」
タタタン、トトト……と実に手早い。雪姉ぇ女子力向上中です。
「次にフライパンでサラダ油を熱し、この……刻んだふきのとうを炒める」
じゅわー、じわじわ……じじじ……と水分がなくなるまで炒める。香りが凄い。フキの濃縮された香りがモワモワたちこめる。
私も手伝った。よしなんだか作った気になった。
「次は砂糖、味噌、みりんをお好みで加えて……」
「ぶ、分量は?」
「適当」
「えー?」
「素材が全部教えてくれる」
「絶対うそだよね!? かっこいいと思ってるんだよね!?」
シャー……と炒めながらよく混ぜてゆく。たまに舐めて「うん」とか適当に味を整えている。
「とにかくこれで……完成だ」
雪姉ぇはシャシャッとフライパンから出来上がった『ばっけ味噌』を大きめの皿に移して荒熱を冷ます。
「手間はかかるけど作ると意外と簡単なんだね」
「そうだな、各家庭ごとにも少しずつ違うし」
「ふぅん……」
味噌炒めを濃縮したようなペーストが出来上がった。佃煮とは違う、味噌味のお惣菜みたい。
「さて、もうひと品!」
今度は小麦粉を溶いて衣をつけて、天ぷらを作る。熱い油に入れるとパッと花開くように、黄緑色の『ばっけ』の天ぷらができた。
「わぁ、なんか綺麗」
「だろ? 食べてみると美味しいぜ」
早速、その日の夕飯の「一品」として食卓に並ぶ。
美味しそうな『ばっけの天ぷら』に、緑と茶色の佃煮みたいな『ばっけ味噌』。
でもこれだけじゃ育ち盛りの私にはオカズが足りないってことで、スーパーの惣菜のチキンカツも並ぶ。
「ハル、たべてみ」
「うん」
雪姉ぇに薦められて、まずは天ぷら。さくっとしていて……猛烈に苦い。
「うぐぅ!? 苦い……」
「うーん、そうかぁ。じゃぁ味噌のほうを食べてみてよ」
次に、箸で摘んで『ばっけ味噌』を食べてみる。
「ん……? あ、あぁあ……!」
口の中に『ばっけ』が花開いた。
「どうだ?」
雪姉ぇもすこし心配そうに私の様子を見ている。
「うん? これはいけるかも」
ほろ苦くて香りも強い。けれど味噌の味でマイルドになっている。勢いで熱いご飯で押し込むと、不思議なことに、とても美味しいと感じる。
お米と味噌とフキノトウ。自然なものを組み合わせて食べて、身体が喜んでいる、みたいな感じがした。
「うまひ……ほふほふ!」
これがきっと春の香りなのだろう。けれど今の私はチキンカツのほうが好きかもしれない。
「本当の旨さがわかるのは、大人になってからだけどな。……くーっ! 最高」
雪姉ぇは『ばっけ味噌』をちょいと食べると、お湯で割った焼酎をぐいっと飲んだ。女子力はどこへやら。その姿はまるでおっさんみたいだった。
<つづく>




