君のいる場所#1
#1「レモン水」
夏が本格的に始まりだし、日差しが肌を焼き始める7月。学生にとっては期末テストが返って来るとても憂鬱な時期なのだ。
「ただいま〜・・・」
「どうしたのそんな顔して」
暗い顔をして帰ってきた絵梨花を姉の奈々未が出迎える。
「これ・・・」
「ん?」
絵梨花から手渡された紙は期末テストの結果の一覧表だった。
「あー・・・、全体的に普通だけど、数学が極端に悪いね」
「だよねぇ〜・・・」
「ななみー?」
すると、上の階から奈々未を呼ぶ声がして、一緒に人がおりて来る。
「あ、瞬」
「どうしたの・・・ってあれ、妹さん?」
「うん、絵梨花だよ」
上から降りてきた瞬と呼ばれる男は奈々未と仲良さそうに話し、とてもただの友達のような関係に見えなかった。
「お姉ちゃん、もしかしてこの人・・・」
「うん、この前言った彼氏の瞬だよ。」
「こんにちは!」
瞬はとてもさわやかな笑顔で挨拶をする。その笑顔を見た瞬間、さわやかな風が吹いた気がした。
「あ、こんにちは・・・」
絵梨花は得意の人見知りを早速発揮して、しどろもどろにあいさつを返す。
「絵梨花、緊張してる?(笑)」
「え、そ、そんなことないよ!」
警戒している事を知られたくなくて、慌てて否定をする。
「まぁしょうがないよ、急に大学生の男が来たらそんなもんだって(笑)」
「そうかなぁ・・・(笑)」
「あんまし奈々未には似てないね」
「そう?」
「奈々未より美人になるかもね」
「え・・・」
「うわー、彼女にそんなこと言うんだー。」
「ごめんごめん(笑)」
高校2年生の絵梨花にとって、大学生カップルの2人はとても大人に感じて、うらやましく感じた。
「で、こんなとこで2人で何の話してたの?」
「あ、そうそう!これ見てよ!」
絵梨花の成績表を瞬に手渡す。
「ちょっとお姉ちゃん!」
初対面の瞬に自分のバカっぷりがバレてしまうのがとても恥ずかしかった。
「他はまぁまぁなのに数学だけがやばくない?」
「まぁ、この範囲は難しいからしょうがないけど・・・」
「・・・そうだ!」
奈々未が急に何かを思い出したように声を上げる。
「ん?」
「瞬に絵梨花の家庭教師やってもらおうよ!」
「え!?」
いきなりの奈々未の提案に絵梨花は驚きを隠せない。瞬も同じようだった。
「家庭教師?俺が?」
「このままだと2学期からも危ないし・・・」
「え、いいよ、変な事言わなくていいよお姉ちゃん・・・」
申し訳なさと、瞬に家庭教師をやってもらうことへの緊張で奈々未に必死に否定する。
「いいわけないでしょ〜、来年は受験生なんだし」
「そ、そうだけど〜・・・」
「ね?だから決まり!瞬はどう?」
「俺はいいんだけど・・・。でも俺なんかでいいの?」
「優秀生が何言ってんの(笑)」
「優秀生?」
「大学内で毎年3人だけ優秀成績の人が選ばれるんだけど、瞬は去年そのひとりなの」
奈々未の通ってる大学は有名校なので、瞬も同じように頭が良いとは思っていたが、学年のTOP3ともなると、別次元の人に感じてしまう。
「奈々未、変な事言わなくていいよ」
「だって事実でしょ? だからお願いしたいの。平日なら両親も仕事でいないし。ダメかな?」
「俺は全然いいよ。絵梨花ちゃんがいやじゃなきゃだけど・・・」
「絵梨花はどうする?」
「え?うん、あ、はい、お願いします・・・」
瞬に向かって頭を下げる。そんな絵梨花を見て瞬と奈々未は顔を見合わせて笑う。
「・・・こちらこそお願いします!」
こうして、夏休み限定の家庭教師が始まる事になった。
あっという間に1学期が終わり、気づくと特別家庭教師の1日目が来てしまった。
「じゃあ私はバイト行って来るから、絵梨花をよろしくね」
「うん、任せて」
「絵梨花もちゃんと勉強するんだよ? 瞬はきつい事言わないからって、甘えないようにね」
「わ、わかってるよ!」
「ならいいんだけどー・・・」
奈々未はまだ何か言いたげに、腕組みをして二人を見る。
「どうしたの?」
「んー、まぁないとは思うんだけど・・・」
「え?」
「絵梨花に変な事しちゃダメだよ?」
「・・・へ?」
「お、お姉ちゃん!」
奈々未が急に変な事言い出したので、絵梨花は顔を真っ赤にしてしまう。
「冗談だよ。じゃあ行って来るね!」
いたずらっぽく笑った奈々未は、そのまま家を出て行った。
「もー、お姉ちゃん・・・」
「はは、奈々未は面白いなぁ」
動揺している絵梨花と対照的に、瞬はあっけらかんとしていた。
「いきなり変な事言うのはやめてほしいです・・・」
「あんなお姉ちゃん持つと妹は大変だね。よし、俺らも勉強始めよっか」
「は、はい! 部屋、コッチです!」
瞬を案内し、共に部屋に入る。絵梨花の部屋は白とピンクが多い部屋だった。
ガチャ
「ど、どうぞ・・・」
「ありがと!」
「あの・・・どうかしましたか?」
瞬は立ち止まって部屋を見回していた。
「いや、可愛い部屋だなって思って!」
「え、えっと、恥ずかしいからあんまり見ないでください・・・」
「あ、ごめん」
「ここに座ってください」
「ありがと!」
用意されたイスに腰掛けて、カバンから筆記用具を取り出す。
「じゃあ始めよっか。最初はテストの復習からやって行こう」
「はい!」
絵梨花は指定された問題を解き始めるが、横で瞬が手元をのぞきこんでいると思うと、緊張で手が進まない。
「ん、わかんない?」
絵梨花の手が止まると、瞬の顔がさっきよりももっと近くでのぞきこんでくる。するとさっきよりも心臓の音が大きく、速くなる。
「えっと・・・あの・・・」
「ん?」
「そ、そうだ!のど乾いてませんか?飲み物持ってきますね!!」
「え?あ・・・」
自分の部屋を勢い良く飛び出して、台所まで駆けて行った。
「はぁ、はぁ・・・」
瞬を初めて見た時から心に引っかかっている、なにか、むずがゆいものが呼吸を荒くさせていく。
「なんなんだろ、この感じ・・・」
心にある’何か’は部屋に戻っても取れてくれなかった。
「どうぞ」
「ありがと!」
「ゴクッ・・・プハッ!」
瞬にグラスを手渡した瞬間に、絵梨花は自分のグラスの麦茶を一気に飲み干してしまった。
「ははっ」
「・・・あ。」
絵梨花は自分のした事に気づき、顔を真っ赤になり、熱くなるのを感じる。
「のど乾いてたんだね!」
「は、はい・・・」
「じゃあコレあげるよ!」
瞬はカバンから一本のペットボトルを取り出した。
「レモン水?」
「そ!俺好きなんだ!」
「そうなんだぁ・・・」
「変かな?」
「そ、そんなことないです!」
「はは、良かった(笑)」
そう言って絵梨花のグラスにレモン水を注いでいく。水色のガラスのグラスに注がれていく透明なレモン水が、遠くから聞こえる蝉の鳴き声と太陽の光と重なって夏をいっそうに感じさせた。
「どーぞ!」
「ありがとうございます・・・」
レモン水をグッと喉に流し込む。清々しい清涼感が夏のにおいと共に体に流れていく。
「・・・おいしい。」
「でしょ?」
グラスから口を離して顔を上げた瞬間に微かに笑う瞬と目が合う。その笑顔を見て無意識に鼓動が速くなっていることに気づく。
「絵梨花ちゃん?」
「は、はい!」
「大丈夫?ボーッとしてたけど(笑)」
「だ、大丈夫です!!」
「よし、ならそろそろ再開しよっか。ノルマ越さないと奈々未に怒られちゃうからね」
「はい・・・」
—あなたの視線が私を見つめた時、私は気づいてしまった。
あなたに感じてはいけない、この気持ちに・・・
夏休みの間には週2回のペースで瞬の家庭教師は続いていた。
「〜♪」
「なんか最近機嫌いいね」
同じ吹奏楽部の同級生、みなみに無意識に上機嫌になっていた事を指摘される。
「え!そう?」
「うん。目に見えてルンルンしてるよ」
「最近ね、数学が楽しいんだ!」
「え、数学? 絵梨花、数学苦手じゃん!」
目を丸くして驚くみなみに、絵梨花は家庭教師の話をする。
「・・・なるほどねぇ」
「嫌いな数学もね、できるようになってきてるからスゴい楽しいんだ〜♪」
「ふーん。でも、それってさ・・・」
「ん?」
「その先生の事、好きだからじゃない?」
「え・・・」
みなみの言葉にハッとする。
「だって、その人が教えてくれるから頑張れるって’好き’以外あり得なくない?」
「で、でも!瞬くんはお姉ちゃんの彼氏だし、3つも歳上だし、その・・・」
急にテンパった絵梨花はわけのわからないことを口走り始める。
「呼んだ?」
「え・・・わぁ!?」
声のする方を振り返ると、なぜか音楽室に瞬の姿があった。
「おつかれさま♪」
「瞬くん!?何でここに・・・」
「奈々未の荷物持ちで来たんだ!」
笑顔の瞬は、持っているビニール袋からアイスを取り出して絵梨花に手渡す。
「はい、差し入れ!」
「あ、ありがとう・・・」
アイスを手渡された絵梨花は未だに状況を掴めずに呆然としている。
「・・・絵梨花!」
「え、な、何?」
ボーッとしている絵梨花をみなみが目覚めさせる。
「この人が噂の人?」
「え・・・」
「俺、噂になってるの?(笑)」
「ちょっとみなみ!」
「わわっ」
大慌てでみなみの口を塞ぐ。
「い、いや、噂っていうか、教えてくれる人のおかげで絵梨花が最近数学を楽しいって言うんで・・・」
「ちょっとみなみ!!」
みなみを取り押さえながら瞬を見ると、とても嬉しそうな顔をしていた。
「そんなに好きになってくれてたんだ・・・」
「え・・・」
瞬の言葉に絵梨花は自分の気持ちがバレてしまった事に気づき、生唾を飲み込む。
「・・・数学の事」
「え・・・?」
予想外の返答に絵梨花とみなみは口をポカんとさせてしまう。
「教えた数学を好きになってくれるなんて・・・。俺も教えた甲斐があるなぁ」
「う、うん、そうだね・・・」
瞬の鈍感っぷりに、気持ちがバレなくてホッとしたが、同時に少し寂しくも感じた。
「絵梨花!瞬!」
「あ、奈々未」
2人の前に現れた奈々未は少し疲れているようだった。
「お姉ちゃん・・・どうしたの?」
「後輩たちが離してくれなくて・・・」
「ははっ、おつかれさま♪」
奈々未は絵梨花の学校の吹奏楽部の部長だったこともあり、後輩からの支持も絶大だった。
「瞬の事もカッコいいって言ってたよ」
「本当?嬉しいなぁ」
2人のやりとりを見て、そこに自分の入るスキなんて感じなかった。自分と喋ってるときはまた違う瞬の表情に、胸の痛みが少し強くなった。
「もう練習も終わりでしょ?私もバイトあるし一緒に帰ろ」
「あ・・・うん、用意して来る」
その日の帰り道、絵梨花は瞬の横にはいかずに、奈々未を間に挟んで歩いて帰った。その距離が瞬との正しい距離なんだと言い聞かせるように・・・
***
リビングにカリカリとシャーペンの音が響く。横にはテキストを持った瞬が絵梨花の手元を覗き込んでいた。
「もー疲れた!!休憩しよ!」
絵梨花はペンを置いてうなだれる。
「おーい、まだ30分しか経ってないよー(笑)」
部屋のクーラーが故障中のため、今日の勉強会はリビングで行っていた。
「お願い!今日は部活がハードだったから疲れちゃって・・・ダメ?」
「じゃあ10分だけね」
「やった!」
押しに負けて、渋々休憩する事にした。
「・・・ねぇ」
「んー?」
「お姉ちゃんとどうして付き合ったの?」
「ぶっ」
急な角度からの絵梨花の質問に飲みかけだった瞬は咳き込む。
「ごほっごほっ」
「大丈夫?」
「急に変な事聞かないでよ〜」
「だって気になったから。ね!いいでしょ?」
「・・・優しかったんだ」
少し顔を背けてそうつぶやく。心なしか顔も少し赤い気がした。
「奈々未はいつも優しかったんだよ」
「それだけ?」
「・・・うん、それだけで十分なんだ」
少し照れながら優しく微笑む瞬に、絵梨花の心はギュッと掴まれる。
「ほら、俺のことはもういいから!再開するよ?」
「あ、うん・・・」
涼しい風が通るこの部屋には、絵梨花の淡い恋心が静かに広がっていた。
私はきっと向き合ったんだ。
心の奥にしまい込んだ本当の気持ちに。
お姉ちゃんの恋人だからって理由をつけて逃げていたんだ。
甘く酸っぱく、むず痒い、私の‘恋心’から・・・
「終わったよ—・・・あれ?」
指定された問題を解き終わって横を見ると、考え込むような姿勢で寝てしまっていた。
「寝ちゃったのか—・・・」
静かな寝息を立てる瞬にを観察してみる。長いまつげに短い黒髪、そして少し下がった目尻・・・。この人を形成してる要素全てが絵梨花にはとても愛おしかった。
そっと息を殺し、指で瞬のほほに触れてみる。とても滑らかな感触が指先に伝わって来て、自然と心拍数が上がり始める。そして、もっと顔を見るためにグッと近寄った。
この小さな空間には無防備とクーラーの音と小さく淡い恋心しか存在しない。 上がって行く心拍数は絵梨花の体を勝手にコントロールして行く・・・
そして恋心は無防備な瞬の肩に手を置き、そして、左のほほにそっとキスをした。
「・・・」
キスをしても瞬は目を覚まさない。唇には瞬のほほの暖かな感触が微かに残っていた。
「・・・何してんの?」
「!?」
その声の主がすぐに誰だかはわかって、急に冷や汗が吹き出す。振り返った先には奈々未が立っていた。
「お姉ちゃん・・・」
「自分のしてることわかってる?」
「それは、その・・・」
「わかってるかって言ってんのよ!」
奈々未の大声に反応して瞬がやっと目を覚ます。
「・・・奈々未?」
「寝てるときにそんな事するなんて、最低だからね?」
「どういうこと?」
今の状況が全く掴めない瞬は不思議そうな顔をしている。
「寝てる瞬のほほにキスしてたのよ」
「え・・・」
隣の絵梨花は自分のしたことが瞬にバレて、顔を真っ赤にして下を向いていた。
「絵梨花ちゃん・・・?」
「—っ」
急に立ち上がり、奈々未を押しのけて家を飛び出して行った。
「絵梨花!」
「待って奈々未」
追おうとする奈々未のを瞬が掴んで止める。
「瞬?」
「俺が行くよ」
「でも・・・」
「絵梨花ちゃんにも何かあるんだよ。奈々未がいないと話せないかもしれないし・・・」
「うん、わかった。お願い」
奈々未を家に残し、瞬は絵梨花を探しに外に出た。
***
飛び出していった絵梨花は近くの公園のブランコに座っていた。隣のブランコは風に揺られ、ギシギシと鈍い音を響かせる。その鈍い音が、いつもより自分の心に響いて来る。
「隣、いいかな」
「!?」
鈍い音を響かせていたブランコに瞬が腰掛けた。
「何で、ここ・・・」
「んー、勘かな? 前にこの近くを通った時に昔から妹とよく遊んだ場所だって奈々未が教えてくれたんだ。だからもしかしてと思ってね」
「お姉ちゃん・・・」
昔はかなりのお姉ちゃん子だった絵梨花は、奈々未とこの公園で遊ぶのが楽しくて、日が沈むまで遊んでいた。
「お姉ちゃんは来ないの?」
「なんかややこしくなりそうだったから俺が来させなかった(笑)」
いたずらっぽく笑ってみせる瞬を見ると、抑えてた胸の高鳴りがまた始まってしまう。それを抑えるように、自分の胸にギュッと手を当てる。
「大丈夫?」
「うん・・・」
心配そうに絵梨花の体を支える。その手のぬくもりを感じた途端、急に涙が溢れ出してきた。
「絵梨花ちゃん・・・?」
「・・・ぐすっ・・・しないで・・・」
「え?」
「・・・私に優しくしないで・・・これ以上好きにさせないで・・・」
絵梨花の瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、体が震える。
「お姉ちゃんの彼氏だって前からわかってるよ。でも好きなの!大好きなの・・・」
声を震わせ、涙声で自分の気持ちを叫ぶ絵梨花を、瞬は目をそらさずジッと見つめる。
「自分の気持ちに嘘なんてつけない、もう抑えてられない。どうしたらいいの・・・?」
「絵梨花ちゃん・・・」
自分の気持ちを叫んだ絵梨花を、瞬は慰める事はしなかった。そんな事をしたら絵梨花の気持ちを受け入れる事になってしまうから。
「・・・ちょっと待ってて」
「瞬くん?」
絵梨花が聞き返したときには瞬の姿はもう隣にはなく、座っていたブランコが静かに揺れていた。
空を見上げると、鳥が自由に泳いで行く。あの鳥になれたらこの気持ちも無くなってくれるのだろうかとさえ思った。
私は静かに目を閉じる。色々な気持ちが頭を巡ろうとしたけど、その間をかいくぐるように周りの木々になる夏みかんの甘酸っぱい香りが広がった。
そして私は目を開く。
「お待たせ!」
目の前には額に少し汗を浮かべた瞬が立っていた。
「はい、これ」
絵梨花に差し出したのは瞬がいつも買ってくるレモン水だった。そのボトルを見た瞬間、溢れ出した気持ちが涙となって出てくる。
「絵梨花ちゃん」
「ぐすっ、泣いてばっかでごめんね・・・」
「大丈夫だよ」
ボトルのキャップを開けたときの微かなレモンの香り、太陽光を反射させる透明さ。自分の手にあるものが宝石のように輝きだした。
そして、口から流れ込んだレモン水は、淡く、ほろ苦い青春のような味がした。
私は恋をしたんだ。
お姉ちゃんの彼氏だからとかじゃない。ただ、あなたという存在全てに恋をしたんだ。
「初恋」
文字にすると照れくさくて、声にするとくすぐったい。
でも、それでよかった。それが良かった。
「落ち着いた?」
顔を上げると瞬が優しく微笑んでいる。
「うん・・・」
「絵梨花」
「お姉ちゃん・・・」
奈々未がやってくると、少し上がっていた顔は下がってしまった。
「もう怒ってないからさ、顔挙げてよ」
奈々未の優しい声に、絵梨花はおそるおそる顔を上げる。
「もう、そんなに泣いたの?」
絵梨花の顔に残る涙の跡を奈々未の手が優しくさする。
「お姉ちゃん・・・」
「私が好きになる人を好きになるのはしょうがないか。姉妹だもんね」
優しく笑う奈々未に、また視界が滲みだす。
「いーよ、好きでいても」
「え・・・」
「恋するのは自由だし、私が逆の立場でも簡単には諦めないと思うんだ」
予想外の言葉に絵梨花だけでなく、瞬も驚いていた。
「・・・ただねー、この人ったら私にべた惚れだから絵梨花みたいな色気のないお子ちゃまには揺らがないと思うよー?」
そう言って瞬の左腕を組み、こことぞばかりに彼女アピールをする。
「ちょっ、奈々未」
恥ずかしがる瞬を見て、絵梨花は少し笑顔になる。そして、対抗するように空いている瞬の右腕を組んだ。
「絵梨花ちゃん?!」
「どうかな?私もお姉ちゃんと同い年になったらもっと美人になるって瞬君が言ってくれたし、時間の問題じゃないかなぁ〜?」
「ちょっ、絵梨花ちゃんまで・・・」
反抗してくる絵梨花に瞬は戸惑う。
「・・・生意気」
絵梨花と奈々未は瞬を挟んで顔を合わせ、自然と笑顔になる。
いつの間にか、いつものような関係に戻っていたのだった。
—もう少し想ってみようかなって思った。
私が大人になるまで。甘くて酸っぱいレモン水のような恋に出会うまで。