吹雪
「今日は朝から吹雪になる恐れがあります。お出かけになるときは十分に注意しましょう」
朝の天気予報でそう告げられたと同時に、家の一階の電話が大きく鳴り響いた。そしてその電話からの言葉に僕の口からでた歓喜の声が、家中に響いた。
「今日は休校だー!」
電話の内容は、吹雪のため通学は危険なので家で静かに勉強してください、というものだった。実際、いつもなら窓から近くの畑が見えるのに今はただ勢いよく舞う雪が見えるのみだ。近くの和室から「うるさいわよ」と祖母からの注意が飛んできたが、浮かれている僕の耳には入ってこない。
「おばあちゃん! 今日休みだって!」
「聞こえていますよ。ちゃんと勉強するのよ、優士」
僕は祖母の言葉を最後まで聞かず、勢いよく階段を駆け上っていった。二階の自分の部屋につくと、僕専用のストーブの前に、大きな大福が座っているのが見えた。
「ちょっと、そこの大福、ストーブ占領するのやめてくれる?」
僕がそういうと、大福はゆっくりこっちを振り向き、じろっと睨んできた。
「私のどこが大福だ! どこからどう見ても、立派な犬神様であろうが!」
「その姿のどこがだ! 最近寒いからって食っちゃ寝繰り返して、どんどん丸くなっていくやつのどこが!」
大福に見えたものはデブ猫で、名を「白檀」という。実はこのあたりの元犬神だったりするのだ。この姿で神としての威厳がどうとか言うに値する存在だなんてどうも信じがたいが、本当の姿、白い毛皮に覆われた、家二軒ほどある巨体をまじかで見た僕は信じないわけにはいかない。だが、毎日ぐうたらしているだけのデブ猫を見ていたら、どうしてもこいつが神であるなんて事実に対して疑問が出てきてしまうのも仕方がないと思うのだ。
「っていうか! 僕のみかん、どんだけ食ってんだ! あっあと一個じゃんか! 五個はあったよね?」
みかんの皮に囲まれた白檀を睨んでいると、ようやくのそのそ、近くに寄ってきた。まだ口にみかんがあるのか口を動かしながら。
「まったくうるさい。せっかく暖かい中、みかんを食していたというに。一個残しておいただけ感謝されたいものだ」
そう言って口のまわりに付いたみかんの汁を舐めてあくびをする姿に、猫好きの人は「かわい~」と黄色い声を上げるところだろうが僕は怒りしか出てこない。勘違いしないでほしい、別に猫が嫌いというわけではない。むしろ好きだ。怒りが湧くのは白檀に対してのみだ。
「感謝というか、怒りしか出てこないのですが…」
人は怒りの頂点に達すると、逆に冷静になるという。自分がそれを体験することになるとは、こいつが来るまで想像もしなかったが…
「ふん! ところでさっき下でなにやら騒いでいたが、なにかあったのか? というか学校とやらはどうした」
そうだった。変な言い争いで忘れていた。
「それがさ! 今日学校休業になったんだよ! まあ、吹雪になるって昨日も言ってたし、予想はしてたんだけどさ」
先ほどの休校の連絡を思い出し、怒りは風に吹かされたように消えていった。簡単なやつだと自分でも思う。
「休業? つまり休みということか」
「そう! つまり今日は一日中ゴロゴロしてていいってことなんだよ!」
僕はそういうと本棚からマンガを数冊取り、まだ敷いてあった布団へとダイブした。そして仰向けになって持っていたマンガを白檀に向けて
「だから、絶対変なことして幸福のひと時を邪魔しないでよね」
と、びしっと指をさしながら言った。
「人の幸福を邪魔しといてよくそんな事が言えたものだな」
白檀から流れてくる鋭い視線をマンガでガードし、軽く流した。
「お前はいつもだらだらできるけどこっちはそうはいかないんだ。だいたいな…」
そこまで言ってあることを思い出し、顔を上げ、なお睨みつけてくる白檀にそれを言った。
「今思いだしたんだけど、明日学校から帰ってきたらじいちゃんの墓参りに行くから」
「なに? 墓参りだと?」
通常はお盆休みとかに行くものなのだろうが、家は両親ともに忙しいものでようやく明日休みが取れるということで、久々の帰郷がてら墓参りに行こうと昨日突然夜中に電話してきたのだ。
本当に夜中にかけてくんなって話だよな。たまたま僕が起きてたからよかったものの…そうでなければおばあちゃんにどやされてたぞ。
実際、朝起きてすぐにおばあちゃんに話したら怒りだした。僕に怒っているんじゃないと分かってはいるのだが、目の前でいつも見せない鬼の形相を見せつけられたら、怒られている気分にもなるというものだ
「まあ、いつものんびりしてる親だけどさ」
「その話を聞いてるとそのようだな」
白檀に同情の目を向けられ、やれやれとため息をついた。
ちなみにその後ずっとマンガを読んでいたら、勉強をしろと祖母が入ってきて怒られた。しかも一緒に居た白檀がみかんを食べているのを見つけて「なんであげるの!」と目を吊り上げてさらなる怒りをぶつけられた。確かに、ただの猫がみかんをきれいに皮むいて一つずつシャクシャク食べる、というのは猫にみかんを与えてはいけないというのもあるが、現実ならあり得ない話だ。僕がむいてあげていると想像するのは仕方がない。しかし、
「こいつは妖怪なんだ! この姿からは想像できないけど元犬神なんだ!」
と、本当に、心の底からそう叫びたい。こうして僕の至福のひと時は午前中までで終わりを告げた。その後は時々監視に来る祖母付きの、勉強タイムが始まったのであった。
「あははは! お前、本当にドンマイだな~」
次の日、登校中に鷹西と柿沼に会い昨日の出来事を話すと、鷹西は大げさに笑い声をあげ、柿沼は同情のまなざしをくれた。
「鷹西、そう笑ってやるなよ」
柿沼がそう言って戒めるのも聞く耳などもたず机をたたくふりをしながら鷹西は笑い続ける。
「だってさ~マンガ読んでて怒られるのわかるけど、さらなる怒りの原因が猫にみかんあげたことって…ぶははは!」
「そこまで笑うか…」
いつまでも笑う鷹西を横目でにらみ、首元のマフラーに顔を埋めた。
「でも優士もばれないようにマンガ読まなきゃ。それに、猫にみかんをあげちゃいけないのは常識だよ」
猫好きの知識をちらつかせる柿沼にも言ってやりたい。あれはあいつが勝手に食ったんだ!
「やあ、今日も寒いね」
後ろから聞きなれた声が聞こえた瞬間、肩をたたかれいやいや振り返ると予想通りの人物が立っていた。
「いや~いつも通りの嫌そうな顔だね」
同じクラスの神崎進だ。彼の両親は表向きは普通のサラリーマンということになっているのだが、本当は陰陽師の家庭だったりする。どうやら修業のためにこの村にやってきたらしい。前に僕が妖怪に襲われそうになったときに実際に陰陽師の術というのを見せつけられたから、うそではない。しかし、助けてもらっていうのもなんだが僕はこいつが苦手だ。いつもにこにこしててなにを考えているのか分からないところとか、白檀と一緒にいるとなぜか険悪なムードになるところとか…。まあ、妖怪と陰陽師だし、そうなるのは仕方ないとしても、その間に挟まれる僕の身にもなってほしいものだ。
「別に…嫌というわけじゃないけど…」
「ふ~ん。そっか」
そう言ってまた何事もなかったかのように笑った。やっぱり、なんか苦手だ。
学校が終わると、急いで荷物を片づけ帰る準備にとりかかった。
「どうしたんだ? 今日はなんかあんのか?」
いつもは話しながら荷物を片づけて帰る僕が急いでいるのが気になったんだろう。となりの席の信也が不思議そうに話しかけてきた。
「ああ、久しぶりに両親が帰ってくるから、じいちゃんの墓参りに行こうってことになっててな」
「墓地に行くなら気をつけてね」
いつの間に後ろに立っていたのか、突然神崎に声をかけられ、驚いた拍子にいすに足を引っ掛け、がたがたと大きな音を出してしまった。
「あはは、そんなに驚くことないのに」
変わらぬ笑顔でそういう神崎にひきつった笑顔ではは、と笑った。微妙な空気が流れていると感じているのは僕だけだろうか。
「なんで、気をつけるんだ?」
特に微妙な空気を気にしていない信也は何気なしに神崎に聞いた。神崎はいきなり真剣な表情になって話しだした。
「人は死んでも輪廻転生されて、またこの世に戻ってくるんだけど、ときどきその流れからはずれてしまう人もいるんだ。例をあげると、やり残したことがあって妖怪になってしまう人。まあ、成仏できればいいんだけどね。あとは、何かの拍子に死者の通り道ができてしまったりすることがある。その通り道ができるのは墓場に多い。やっぱ死者がたくさん眠ってるからね。いい霊ならばまだましだけど、恨みを持ったりした悪い霊は何をするかわからないからね」
そんなに陰陽師の知識さらしだしていいのか? 信也なんて不思議そうな顔に不審そうな顔混じってるぞ。
話し終わっていつも通りの笑顔に戻り
「ってなことを、この間テレビでやってたよ」
…なるほど、そうきたか。ごまかし方がうまいことで。
「だよな~いや、超詳しいな~と思ってさ。今時坊さんじゃない限りそんなこと詳しくないよな」
そう言って笑う信也と変化のない笑顔に挟まれ、複雑な気分になった。
「じゃ、じゃあもう行くな。たぶんもう母さん達来てると思うから」
この場から今すぐにでも脱出したい僕は、ひきつった笑顔を浮かべてそそくさと教室のドアのほうへ歩き出した。
「うん、じゃあな~」
快く送り出してくれる二人だが、やはり最後まで神崎の笑顔は怖いままだった。
少し小走りで帰路に向かっていると、菜の花畑の前を通りがかった。今は花などなく、ただところどころに雑草が生えてる空き地のような場所だが、春休みに白檀と来た時は辺り一面に菜の花が咲いていて、風が出ると黄色い海が波をたたせるかのようで綺麗なんだ。が、ふと気がつくと、そのそばにあるお地蔵さんの近くに、自分と同じくらいの少年が立っていた。妙に気になり足を止めた。そこに人がいるというのは別に何とも思わないが、少年の格好が薄そうな縦線の青と白の、昔の着物のような格好をしていたので気になったのだ。
少年はじっと、なにもない菜の花畑を見つめていた。その様子を気になりはしたが、家に早く帰らねばならない僕は足を前に出した。するとこっちに気がついたのか、少年がこちらを振り返ってきた。思わず再び足を止めると、少年はじっとこちらを見つめた。その顔は、なぜか寂しそうに見えた。そう思った次の瞬間、少年の姿がまるで霧が晴れていくように消えていったのだ。
「ええ!?」
突然の出来事に叫んでしまった。幸い周りに人はいなかったため不審な目で見られることはなかったが、最後に見た少年のあの寂しそうな顔が、頭から離れず立ちすくんでしまった。
「まったくなにしてたんだい」
立ちすくんでいたところに頭の上からカラスの鳴き声が聞こえ正気に戻って、さっさと帰らなければならないことに気がつき、走って家に帰って来たのだが、玄関で祖母から開口一番にそう言われてしまった。
「ご、ごめん。その…」
何か言い訳を言わねばと口を開いた瞬間、奥の和室から懐かしい顔がのぞいた。
「あら~ゆうちゃん、おかえりなさい」
母だ。奥の方から「帰って来たのか?」と言う父の声も聞こえてくる。それに母は答えると、軽やかにこちらに向かってきて頭をなでられた。
「ゆうちゃん大きくなったわね~ずいぶん男の子らしい顔になちゃったわね~」
「ちょ、ちょっと母さん髪めちゃくちゃになるって…」
「おお、優士久しぶりだな~」
後から来た父にも頭をなでられ、反論の声は無いも同然にされてしまった。
「和永に静栄さん。わが子に会えてうれしいのは分かりますけど、そろそろ行きますから準備してくださいね」
祖母は呆れたふうにそう言ったが、微笑ましそうな笑みを浮かべていたのをこっそり見た。なんやかんやで僕の家族は皆優しい。そんなことをぼさぼさになった頭で考えていた。
すると奥から白檀が歩いてくるのが見えた。妙に疲れた感じなのは…まあ、予想はつくが…
墓地まではそう遠くないので歩いて行くことになった。しかし、今は車で行ってほしい気持ちでいっぱいであった。
「お前の両親はなんなのだ! ちょっとどんな人間か見に行ったら目ざとく見つけおって人をおもちゃかなんかだとおもっとるのか!」
そんな感じのぐちを両親と祖母から離れて歩きながら聞かされているのだ。こうなることは予想はついていたが、そろそろ面倒くさくなってきた。
「はいはい、仕方ないじゃん。うちの両親、動物大好きなんだから。そんなぶくぶく太ってるからつかまるんじゃないの~?」
「なにを! これは仮の姿、本当の私は美しく華麗で…」
こんな調子で歩き続けていると、前のほうを歩いていた母が笑顔で振り返って「はやく~」と手を振ってきた。気が付くともう墓地のすぐそばまで来ていた。喧嘩を続けていたのですっかり周りを見ていなかった。道中、白檀と話しているところで人とはちあわなかったかが不安だが、まあ、大丈夫だろう。
いざ墓地の目の前に来て、学校で神崎に言われたことが頭をかすめた。
『何かの拍子に死者の通り道ができてしまったりすることがある』
『恨みを持ったりした悪い霊は何をするかわからない』
確かに本物の妖怪が目の前にいるからそういう非現実的なことを否定はしないけど、そんな機会に立ち会うなんて確率的に低すぎるし心配することはない。と思っているのだが、夕方の薄暗さと、どこからかカラスの鳴き声が聞こえてきくるという、肝試しにピッタリな雰囲気に包まれている墓地を目の当たりにすると、化け物というものに慣れてきた僕でも寒気のようなものを感じ、神崎の言葉を意識してしまうのも仕方のないことだと思う。
「家族でお出かけなんて久しぶりね~うれしいわ~」
「ああ、天気良くてよかったな」
両親ののんきな会話が聞こえてきて、その内容に苦笑いを浮かべてしまう。確かに天気いいよ。家族でお出かけなのもうれしいよ。でもさ、墓地に行くときにその会話ははかなり違和感ないか?
両親と祖母は、墓地と隣り合わせのお寺の住職さんにあいさつしに行くということで墓にかける水を桶に汲んで墓の草取りをしていてと言われ、白檀はどこかの饅頭屋の匂いにつられてふらふら~とどこかへ行ってしまって一人残されてしまった。ため息をつきながら桶置き場で水を汲んだ後、墓のところまで行った。うちの墓は先祖の墓と祖父の墓があって、二つの墓の周りを掃除しなくてはいけないから大変なのだ。
重たい桶でふらふらしながら墓の近くまで来ると、墓の前で誰かが立っているのが見えた。よく見るとそれは帰るときにあったあの少年で、先祖のほうの墓を瞬きもせずにじっと見つめていた。近くに行こうか迷ったが、さすがにこの桶をずっと持っているのはつらいし、掃除をしなければ両親はともかく祖母に怒られる。仕方なしに近づいていくとさすがに少年は気が付いたのかこちらのほうを見た。それに一瞬動きを止めると、少年は静かに近づいてきて目の前で止まった。
「君、霧島?」
突然そう問いかけられ一瞬固まった。なんで僕の名字を知っているんだ?
「う、うん。そうだけど…」
少年はどぎまぎしている僕にまた一歩近寄ってきた。
「白檀って知ってる?」
その言葉に僕は驚いて一歩後ろに後ずさった。その様子で少年は僕が知っているということを悟ったのか、少年は「やっぱり」とつぶやくとまた一歩前に出て、再び静かに口を開いた。
「頼む。白檀に本当のことを教えてくれ」
少年がそういった瞬間、目の前の景色がゆがんでいき、下へまっさかさまに落ちる感覚を味わった。どこからか誰かの声が聞こえてきた気がしたが、確かめる間もなく、僕は意識を手放した。