転校生
煮沸消毒をしてくれそうなほど暑い夏から季節は移り、そろそろ本格的に秋の色を見せ始めている。
秋と言えば、読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋とさまざまだが、僕の家ではやはり…
「お~い。優士~饅頭が切れそうだ~買ってこーい」
ぶちっ
「いつまで食ってる! この居候猫!」
隣でこたつの上にある、皿に盛られた饅頭をむさぼり食っているデブ猫に向かってこぶしを振りおろした。
「うお! 貴様何する! 人がせっかくうまい饅頭を食っているというのに!」
「人じゃないし! 猫だし! いや、妖怪だし!」
そう、このこたつでのんびり饅頭を食っているデブ猫は、実はこの村の近くの山に住んでいた、妖怪だったりする。
「だいたいその饅頭僕のだぞ! 分けてやってるんだから僕より多く食うなよ」
「ふん! この饅頭をお前にやるなんぞもったいない。この威厳にみち溢れた私を見てよくそれだけほざけるものだ」
そう言って胸を反らした。正直人間なら胸だろうが、
「デブ猫にしか見えないし、胸反らしてるつもりだと思うけど、出てるの腹だから」
たぷたぷのお腹を見せられてもなあ~
「なにい! ならば見よ! この私の本当のすが…いてて!」
白檀が変身を解こうとした瞬間、僕のこぶしが彼の頭に降りおろされた。
「こんなとこであの巨体に戻ろうとするやつがあるか!」
「貴様が私をばかにしたからだろうが! それくらいの罰は受けて当然だ!」
「んだと~」
ぎゃーぎゃーと騒いでいると祖母が入ってきた。
「おやおや。楽しそうだね~。まるで猫と話しているようじゃないか」
祖母には白檀が妖怪というのは秘密である。言っても信じてくれるか微妙なところなので。
「でも手を出しちゃいけないよ。か弱いんだから」
か弱い? この人の饅頭を食ってこたつでゴロゴロ寝てるふてぶてしい化けデブ猫が? と言ってしまいそうになるのを必死でこらえ、足もとで声を殺して笑っているデブ猫を足蹴りにした。
次の日は昨日よりもさらに寒く、冷凍庫の中にいるような寒さであった。
(せめて雪は降らないでくれよ~)
厚い雲に向かってそう祈った。そしてマフラーの中に顔をうずめると、僕の通う、村唯一の清華学園中学校の校門をくぐったのだった。
朝のチャイムが鳴り、担任の白木先生が入ってきた。
「出欠取るぞ~」
先生の出欠をとる声が教室に響く。
「よし。全員いるな。みんなこの寒いのによく来たな。さて、HRを始める前に転校生を紹介したいと思う」
教室がざわつく。そりゃそうだ。この季節に転校生なんてめったにいないし、こんな田舎に引っ越してくる人なんかはっきり言っていない。
「静かに! 入ってきなさい」
先生はドアに向かって呼びかけると一気に教室は静まり返った。
ドアの向こうの人物はドアを開けて静かに入ってきた。そのとたん教室はまたざわめき始めた。おもに女子が。まあ無理もない。入ってきたのは背は高いとは言えないが低いとも言えないくらいでずいぶんと色白の男子だった。顔はそこそこだが女子には好感を与えたようだ。
「静かに! えー彼は神崎 進君。もともと東京の方で住んでいたが、家の事情で一人でこっちに引っ越してきた。なれないところでいろいろ大変だと思うからみんな。仲良くやれよ」
「はーい」
クラスメイトの元気な返事でその日の朝のHRは終わった。
神崎の視線が僕のほうを向いていたと思ったのだが、気のせいだろうか。
神崎の元へは休み時間になるとたくさんの人が押し寄せた。
「神崎君って東京に住んでたんだって?」
「一人暮らしか~いいな~」
「両親は何のお仕事してるの?」
「家ってどこら辺にあるんだ?」
転校生なら必ず味わうであろうこの質問攻め。大変だよな~。
質問の嵐の中で神崎は何とか答えようと頑張っていた。
「えっと。僕の両親は普通のサラリーマンで、家はこの村の南の方にあるよ」
「へ~。あ! なあなあ神崎今日学校終わって暇?」
唐突に男子の一人が言いだした。誰かと思ったら友達の鷹西だった。
「うん。荷物もだいたい片付いたし。何?」
「今日一緒に遊ばねえ? お~い。優士~お前ん家今日遊びに行ってもいいか~?」
いきなりふるなよ。
「いいけど」
「よ~し。じゃあ優士ん家でゲームかなんかして遊ぼうぜ! 柿沼~信也~お前らどうする~?」
鷹西はそう言いながら教室の後ろにいる友人の元へとかけていった。僕は神崎の視線が意味ありげに僕に向いていたような気がしたのはやはり気のせいだろうか。
僕ら四人は、とりあえず帰って着替えて僕の家に集合ということになり、別れて二十分くらいで皆が家に集まった。
「おーい。来たぜ~」
「おわ! でっけー猫だな~」
縁側で寝ていた白檀を動物好きの柿沼がすばやく見つけ、飛んで駆け寄るとなでまくった。白檀が暴れるんじゃないかと内心ひやひやしたが、気持ちいいらしくおとなしくなでられていた。
「ねえ。霧島君」
「ん?」
振り向くと遠慮しているのか、ドアのところで立っている神崎が目に入った。
もうすでに部屋に入って自分の家のようにくつろいでいるおまえら三人。少しは遠慮というものを知れ!
「入れよ。そんなとこにいないで」
「いや。そうじゃなくて…」
神崎の視線を追っていくとその先には白檀とそれにたわむれている柿沼がいた。
「猫に触りたいのか? 別にいいぞ」
「あれって本当にただの猫なの?」
一瞬顔が固まった。自分でも分かった。え? あいつどっか変身解けているのか? さっき見たときはただの猫だったんだが。まさか今見ているものは僕の目の錯覚で、実は今あいつは妖怪になっているのか? でも妖怪になってもふつうは見えないし―
「おい。どうしたんだ?」
考え事して現実から少し離れた状態だったので後ろから肩をたたかれ驚いた。
振り向くとゲーム機を持って口にお菓子をほうばった鷹西がいた。
「な、なあ。うちの猫。ちゃんと普通だよな?」
「はい? 何言ってんだお前。猫はあそこでごろごろしてるぞ」
鷹西の指した先には白檀がふっくらした腹を出してぐーすか寝ていた。
「変なこと言ってねーでさっさとゲームしようぜー」
「あ、ああ。ほら。あれはちょっとふっくらした猫だよ。あっち行こうぜ」
神崎はちょっと白檀のほうを見てすぐに
「うん」
と言いながら笑って部屋の中へ入ってきた。その笑顔が少し怖く見えた。
夕方になりみんなが帰った後、僕はお茶のコップやらお菓子の箱やらを片付けていた。
「あの神崎とやらはどういう奴なのだ?」
「え?」
こたつでみかんを食べていた白檀は唐突に言い出した。
「今日学校に転校してきたんだよ。家の都合で一人でこっちに引っ越してきたんだって」
「ほう。親は何の仕事をしているか聞いたか?」
「サラリーマンだって」
「嘘だな」
「…はい?」
予想外の返事に言葉が詰まってしまった。
「お前なんか感じなかったか? あいつ。おそらく私がただの猫でないと気付いているぞ」
「え~~~!?」
驚きのあまり持っていたコップを落としそうになった。
「やっぱり? 神崎お前のこと本当にただの猫? って聞いてきたんだよ。なんで? お前なんか変なことした?」
「しとらんわ。私は柿沼とかいう奴にマッサージをしてもらっていただけだ。いや~あいつ上手いな~またやってもらおうかな~」
じじくさい意見はとりあえず放っておこう。するといままでのゆるみきった顔がいきなりひきしまった。
「あやつ。これからお前に近づいてくるぞ。あまり関わらないほうがいい。なかなかの力の持ち主だ。祓われちゃーかなわん」
「それって僕の心配っていうより自分の心配だね」
「あたりまえだ。なぜお前の心配などせねばならんのだ」
そう言うと頭のてっぺんだけ残してこたつにもぐった。いっそ祓われてしまえ。
次の日は昨日より少し気温は上がったもののやはりマフラーは離せなかった。
「話すなって言われても同じクラスだし話さないってのは無理だよな~」
「誰と話さないの?」
驚いて振り向くとそこには神崎が立っていた。
「やあ。おはよう。昨日は家に呼んでくれてありがとう」
「い、いや。どういたしまして」
呼んだのは僕じゃないんだがな。
「そうだ。お礼に今日は僕の家に来てよ」
「え?」
「絶対だよ。じゃあ放課後帰って着替えたら学校の近くの水姫川に来てね」
言いたいことは全部言ったと言うかのように言い終わった途端、風のようにその場から走っていった。
「はあ。やれやれだな」
「なにーーーーー!?」
家に帰って朝の出来事を白檀に話すと、鼓膜が破れそうなほどの大声を出された。
「ちょ、ちょっと落ち着いて…」
「このどあほが! あやつとはもう会うなと言っただろうが! それをなんだ! 今日は家に行く約束をしただ~?」
「仕方ないじゃないか。こっちの返事待たずに行っちゃうし。急に後ろに立ってたんだから」
「気配くらい感じろー!」
「僕は忍者じゃない!」
はあ。なんでこんな言い合いで体力使っているんだ。時計を見るとこの不毛な言い争いで五分が経過していた。
「とにかく。約束したものは仕方ないから行ってくるよ」
「ふん。祓われても知らんぞ。私はこたつでゆっくりしてるからな~」
「人間を祓うやつなんか見たことも聞いたこともないよ」
家から出て水姫川の近くを歩いていると女の人が川を覗き込んでいるのが見えた。今時珍しい着物姿だった。なにかお祝い事でもあったのだろか。
(川なんか眺めてなにしてんだろう?)
そんなことを考えていると女はこちらを振り返ってニコリと笑った。その途端―
ぞくっ
背筋が凍りついたような感覚に襲われた。女はゆっくりこちらに近づいてきた。
(逃げなきゃ!)
何の根拠もないがとっさにそう思った。しかし気持ちとは反対に体が動かない。まるで金縛りにかかったようだ。
女はどんどん近づいてくる。助けを呼ぼうにも周りには人っ子一人いない。この辺りはもともとあまり人が近づくようなところではないのだ。女は僕の目の前に来ると手を差し伸べてきた。女の顔は張り付いたように笑顔だった。
(ひー)
「天神雷鳴!」
ドガンッ
「ギャー!」
声がした途端、どこからか飛んできた雷が女に直撃した。同時に僕の体も自由になり、しりもちをついた。
「ようやく姿を現したね。水姫」
声のしたほうを見るとそこには―
「か、神崎!?」
そう。そこにはいつもと変わらぬ姿で神崎がいた。変わっていることといえば手に妙な紙を持っていることくらいだ。
「ごめんね。遅くなって準備してたら遅くなっちゃって」
「準備?」
変なことを言う神崎に僕は首をかしげた。
「そう。霧島君。それ祓うんでちょっと力貸してくれない? そこの草むらにいる犬神を使ってもいいよ」
「犬神?」
すると返事をするかのように近くの草むらが動いた。現れたのは―白檀だった。
「え? なんでいるの? こたつでごろごろするんじゃ…」
「ええい。うるさいうるさい。どこに行こうが私の勝手だろうが」
すると煙が舞い上がり白檀の本当の姿。家二軒分くらいはある巨体が姿を現した。
「お、おい。なにを…!」
「へー大きいね。さすが元このあたりの犬神だ」
「な…! 神崎?」
神崎の意外な反応に次の言葉が見つからない。
「ん? これってこの辺りの元犬神だろ? でも今じゃ信仰者がいなくなって化け物としてどっかに封じられてるって聞いたんだけど…ま、いっか。元犬神。力を貸してくれるな?」
白檀は舌打ちをすると
「誰が貴様のために働くものか。私は私の好きに動く」
と言うと女に突進した。女はあっけなく白檀にかまれてつかまった。
「そのままでいてくれ」
神崎はそう言うと服の中から札らしい物を取り出し女に向けると
「我、魔を打ち砕くもの。生けるものに害なすものよ。永久の闇へと消えろ。滅!」
呪文らしきものを唱えると札を放ちそれが女の額に貼りついた。とたんに女の体が炎で包まれた。
「ぐわーーー!」
女は叫び声をあげると風のように消えた。
僕は何が何だか分からずにその場に立ちつくしていた。
「霧島君」
神崎の声に我に返ると神崎が心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ。というか…お前何者なんだ?」
神崎はかすかに笑うと口を開いた。
「僕の両親はサラリーマンだって言ったよね。ごめん。あれは嘘だ」
「嘘?」
「ああ。僕の家は代々陰陽師の家なんだ」
「陰陽師!?」
陰陽師ってあれか? ドラマとか漫画でよくあるあれか? んな非現実な…!
「そう。この辺りは昔からの伝統や伝承が多く残っているからたくさんあやかしものがいる。だから、こっちで修行するために来たんだ」
「はあ。あっそういえば白檀が犬神だって言ってたけど本当?」
「あれ? 知らなかったの?」
白檀はいつのまにやら猫の姿に戻っていて足もとに寄ってきていた。神崎はそれを面白そうに見た。
「昔この辺りの人々は山に社を作って豊作を願っていたんだ。でもずっと凶作が続き社の犬神のせいだと社を壊し神を封じたんだ。君、どうやってあそこから出たの?」
白檀と神崎の睨みあいながらの会話は見てる方が怖い。
「知らんわ。こいつがわしのところに来て気が付いたら出られていたんじゃ」
神崎が僕の方を品定めをするような目で見つめた。
「ふうん。まあいいや。霧島君。悪いんだけど。このことはだれにも話さないでほしいんだけど」
言ったって誰も信じないよ。
「わ、分かった。ところで…さっきの妖怪何だったんだ?」
「ああ。さっきのは昔この辺りを歩いていた女が恋人だった男に刺されて殺され、その恨みから妖怪になったやつだよ。道行く人を次々と殺したからお坊さんが水の中に封じたんだ。水姫って名前のやつでこの川の名前。水姫川の由来だよ」
嫌な由来だな。
「ま、これからよろしく頼むよ。いろいろと…ね?」
意味深に笑う神崎の顔が夕焼けに染まり真っ赤に見えた。
さあ。明日は何が起こるのかな?