はじまり
僕の名前は霧島 優士。両親は共働きで、都会まで働きに出ている。帰ってくるのは年末年始か、夏休みなどの長期休暇の二、三回程度だ。今年のこの夏休みにもとうとう帰ってこなかった。今家に一緒に住んでいるのは、祖母だけだ。しかし祖母は昼間は畑仕事で、今はいない。
仲のいい友達は、皆両親と旅行に行ったりしている。
というわけで自然と一人になってしまい、今、近くの山で、一人虫取りに励んでいる。最初は一人でつまらないと思っていたけれど、だんだん夢中になった僕は、どんどん奥へ奥へと進んでいった。そして気が付いたら昼間だというのに周りは薄暗くて、どこから来たのか分からなくなってしまったんだ。
「どうしよう。こんなとこ来た事ないよ…」
声を出さなきゃ恐怖に負けそうになってしまう。
「はあ…ん? なんだ? これ?」
足元に何かが当たり見てみると少し大きめの石が、明らかに人間が作ったであろう台座の上に座っていた。
「なんかの形に似てるな…い…ぬ… かな?」
ずいぶん形が崩れてしまっていたがよくみるとよく神社で見る狛犬によく似ていた。
「へー犬のお地蔵様か~。でもこんなとこに人なんか来ないよな~。葉っぱとかで隠れちゃってるじゃん。そうだ!」
おやつに近くの駄菓子屋さんで買ったアイスを、犬のお地蔵様の前に葉っぱを掃って置いた。
山の近くで食べようと思っていたのだが、このアイスのことは珍しい虫を見つけて完全に忘れ去ってしまっていた。当然溶けてしまってしただろう。
「へへ。今これしかないんだ。ごめんね」
そういうと手を合わせた。
「どうか帰れますように」
と言うと立ち去ろうとした。すると
ボワンッ
いきなり犬のお地蔵様から煙が出た。
「うわ!?」
「ほう。人間に会うのは何年振りだろうな…」
煙の中から声がしたかと思うと、いきなり煙が晴れて、そこにいたのは…
「ぎっやああああああ!」
僕よりはるかに大きく家二軒分くらいはあるだろう白い毛皮に覆われた巨体の犬だった。
「うわ! 食べないでー!」
僕は腰を抜かして後ずさりした。
「バカか。おまえのようなチビ食ったところで腹の足しにもならんわ」
巨大な犬はそんな僕を冷たい目で見下した。
「まあいい。俺の名前は白壇。いつもはおまえら人間の前に姿など現わせないのだが暇だったしな。その願いかなえてやろう。それもまあまあ旨かったしな」
「へ?」
ふとさっきアイスを置いたところを見ると綺麗に袋だけが残っていた。
「さっきの…って! かなえるってことは帰してくれるの!?」
「ああ。ありがたく思えよ。さっさと背に乗れ」
さきほどからの偉そうな態度に腹立たしくなるものの、ここで機嫌をそこねて「やっぱやめた」とか言われたら本当に二度と帰れないかもしれない。しかたなく言われた通り背に乗り込んだ。
「では行くぞ。少し高くに飛ぶから、しっかりしがみついているのだぞ」
次の瞬間僕は風になった。いや、実際には白檀がちょっと高くに飛んだだけなんだけどな。そう、下に山全体が見えるくらい。上を向けば雲が顔にかかるくらい。
…って
「少しじゃねー! 十分落ちたら死ぬ高さじゃねーか!」
「うるさいぞ。あんまり騒ぐと落とすぞ」
本当に死にそうなので黙ってそっと下を見ていることにした。
(人生長くてもこんな体験してる人そうはいないよな~。誰かに行っても絶対信じてもらえな…ん? あれなんだ?)
「な、なあ! あれなんだ?」
白檀はめんどくさそうに首を僕が指差したほうを向けた。僕が指差した方向には空中をふわふわと飛んでいる鳥を指差した。いや、ただの鳥ではない。どっちかというと人間と言ったほうがいいかもしれない。それは人間に羽をはやしたような姿をしていた。
「ああ。あれは低級の妖怪だ。妖力がほとんど感じられないな。おそらくもう少しで消滅するだろう」
「え!? 消滅!?」
僕が驚いた顔をすると白檀は「ああん?」いぶかしげな顔をしたが、すぐに納得したような顔になって
「まあお前が知っているわけないか。妖怪というのはな、たいてい人の思いが。あるいは生前やり残したことの思いの塊みたいなものなんだ。まあ人間が禁忌にふれて妖怪化したことがあるがまあ、まれだな。あれはおそらく元はなにかの動物だったんだな。姿からして鳥かもしれないが」
と、淡々と当たり前じゃないことを当たり前のように話した。
(まあ白檀にとっては当たり前だろうな)
「願いがかなったから消滅するの?」
「ちがう。だいたい妖怪になっても願いのかなったやつなんかほとんどいないぞ」
「じゃあ助けようよ!」
「なっ!」
白檀は驚き半分、呆れ半分という顔で僕を振り返った。
「おまえばかか。あんなの助ける義理もないし、第一、消える運命にはあらがえん」
「うん。だから、最期に願いだけでも聞いてあげたらなあと思って」
「やめとけやめとけ。最後の力を振り絞って襲いかかれるに決まっている」
「いいからお願い! このまま消えるなんてかわいそすぎるよ! 目の前にいるんだから助けなきゃ!」
すると白檀は少し考えるそぶりをし、何か思いついたのかとニヤッと笑った。
「なら、お前の願いと交換だ」
「え?」
「お前はさっき、ここから帰りたいと願った。その願いと交換だ。あの妖怪のところへお前をつれていけばお前はこの山から自力で出なければならない。しかし、あの妖怪を見捨てればお前は家に帰れる」
どうする? という目線に、そのときの僕は目を輝かせて喜んだ。
「じゃあ、あの妖怪の所へ連れて行ってくれるんだね! ありがとう!」
その様子に白檀は目を見開いて僕の顔をまじまじと見た。そして、なにかおもしろいことでも見つけたようにニッと笑い、
「では降りる。途中で落ちるなよ!」
再びさっきより恐怖感いっぱいの、九十度の急降下を体験したのだった。
「着いたぞ。生きてるか?」
急降下が終わり、僕は少し顔色を悪くしながら
「…大…丈夫」
と半ば無理やり声を出した。
「おい。しっかりしろよ。すぐそこにいるぜ」
僕は顔を上げると木の根元にうずくまった、さっきの鳥人間がいた。
「気をつけろ。うかつに近づくと危ない…って! おい!」
白檀の制止の声を振り切り鳥人間に走り寄った。
「大丈夫?」
鳥人間に話しかけると、その顔をゆっくりとこちらに向けた。それは意外にも若い女性(動物だから雌だけど)だった。今にも消えそうな白い、透き通る肌をしている。白い羽が肌と一体化しているようだ。
「なんだい、人間じゃないか。何の用だい? 私はここで静かに消えていきたいんだ。放っておいてくれるかい」
「あなたのやり残したことは何なの?」
鳥人間は一瞬驚いた顔をしたが、それはすぐばかにしたような顔へと変化した。
「あんたに言って何になる。だいたい、お前に言う義理もない」
「そうだけど教えてよ。もしかしたらなんとかできるかもしれないし」
「できるもんか。まあいい。どうせもうすぐでこの世を去るんだ。それまで暇つぶしに話してやろう。もう、ずいぶん昔のことだ。ここの近くに《カワイ》という人間が住んでいてな。私は生前小さな白い小鳥だった。その人間に飼われていたんだ。とても優しい人間だった。そして、綺麗な女だった。まだ小さな子どもだったがな」
ひとつひとつ、思い出すようにどこか遠くを見て話すその顔はまるでその日を懐かしむようであった。
「その子どもには二人の両親と共に暮らしていて、その二人も優しかった。しかし、ある日その家が火事で燃えてしまったのだ。その時私は檻の外にいて、子どもと部屋で遊んでいたのだ。いきなりの火事で子どもは怯えきって立ったまま動けなかった。そのとき子どもの後ろのたんすが倒れてきてな。私は必死の力で子どもに突っ込んだ。いくら小鳥の私でも力なく突っ立ている子どもをよろけさせることくらいできる。子どもは倒れ、私はそのたんすに押しつぶされそのまま息絶えた」
そこまで話すと鳥人間は顔をゆがめ苦しそうな顔をした。
「そして、この姿になったわけだ。あの後の子どもの安否を心配しながら死んだからな」
話し終えると鳥人間は「で」と僕を見ると
「お前はなんとかできるのかい? なんにも手がかりのないこの状況で」
(確かに、どうにかできる状況じゃないな…せめてもう少し情報があったら…ん? 火事?)
「ねえ、その子供の名前覚えてる?」
「さあな。もうずいぶん昔のことだからなあ」
「もしかしたら…優華…さんって名前じゃ」
その瞬間鳥人間の顔色が変わり、いきなり僕の肩を強くつかんできた。
「おい! そいつから離れろ!」
白檀の怒鳴り声が聞こえたが、鳥人間は気にもしない様子でじっと僕を凝視している。
「なんでお前がその名を?」
「ということは優華さんっていうんだね?」
「ああ。お前に言われて思いだした。しかし…今さら思いだしたところで…」
「じゃあ、会いに行こうか」
「え?」
僕は鳥人間の手を静かに肩から外して立ち上がった。
「どこかにあてでもあるのか?」
白檀が聞いてくる。
「うん。昔、おばあちゃんから聞いたことあるんだ。まだおばあちゃんも子供だった頃、同じようなことがあったんだ。消防隊員が中に入ったときにはすでに家じゅうに火が回っている状態で助からないだろうと消防隊員も思っていたらしい。でもその子供は倒れたたんすの近くに倒れていたらしい」
鳥人間は一言も聞き逃すまいと最後まで静かに瞬きもせずに聞いていた。
「その子だ…その子は、優華は今どこにいるのだ!?」
「案内するよ。ついてきて」
「ああ! うぅ…」
鳥人間は勢いよく立ちあがったが、すぐに力なく膝をついてしまった。
「!? どうしたんだ!?」
駆け寄ろうとした僕の肩を後ろにいた白檀がつかんだ。
「無駄だ。もう、こいつは力など無いに等しい。ここに存在するので精一杯なんだ」
「そんな! せっかく会えるっていうのに! なんとかできないのか!?」
白檀と僕はしばらくの間睨みあっていたが、おもむろに白檀が口を開いた。
「お前はなんでそいつのことでそんなにむきになるんだ?」
「むきになってるってわけじゃない。ただ、困ってる人がいたらなんとかしなくちゃって思うだろ? 普通!」
白檀はまたしばらく僕の顔を見続けていたが、いきなり口を緩め、「おもしろい」とつぶやくように言うと急に低い姿勢になった。
「え?」
「行くんだろう? その優華とやらのところまで。さっさと乗れ」
僕は一瞬白檀が何を言っているのか分からなかった。
(さっきまで助けることすら嫌々だったのに)
「なにをしている? さっさと行くぞ」
その声に僕ははっとして急いで鳥人間のもとに走り寄り腕を肩に乗せて、そっと立ち上がるとその体重の無さにびっくりした。
(妖怪って体重ないのかな? …いや今はそれどころじゃない!)
「さあ、行くよ」
「おまえは、なぜそんなに世話を焼いてくれるんだ。何をしてくれても、何もやれんぞ? 人間」
「そんなのいいから。あと、僕は人間じゃなくて優士っていう名前があるんだからね」
白檀に背にそっと乗せると僕も飛び乗った。
「乗ったな? じゃあ行くぞ」
次の瞬間、僕はとっさに鳥人間を支え、それとほぼ同時に風のこぶしに殴られたような衝撃が襲ってきた。
しかし、慣れたのか前よりも余裕があり、下を見ることができた。
雲は止まっているかのように白檀に抜かれていき、すぐに僕の村が見えてきた。
「! 白檀! あそこ! あの赤い屋根の家だ! あっでも、白檀達が行ったら皆驚いちゃう…」
「安心しろ。俺たちは普通の人間には見えない。お前が見えるのは俺のような力の強い妖怪と一緒にいて妖力をたくさん浴びたからだ」
「なるほど。じゃあ降りよう。でもいるかな?」
僕たちはそっと降り立つと鳥人間は最後の力を振りしぼりながら歩き始めた。
「ちょ! 危ないよ」
僕はあわてて追いかけると、鳥人間は玄関の庭先で一点を見つめていた。
「どうし…あっ」
そっと庭に入ると、ベランダにおばあさんが座っているのが見えた。
「優華さん…」
鳥人間は足を引きずりながらおばあさんのもとに歩いて行った。
おばあさんの前に立つと
「優華さん、無事だったのね。なによりです。いつも、ありがとう。遊んでくれて、楽しかった。ありがとう」
と、言った後、僕の方を振り向くと
「ありがとう、人間。消える前に、会いたい人に会えたのはお前のおかげだ。こんなに静かに逝けるとは思わなかったよ。本当に、ありがとう。優士」
そういうと、鳥人間は光出した。少しずつ、輪郭がぼやけてくる。
「…銀?」
いままで、静かに座っていたおばあさんがいきなり口を開いた。
鳥人間は一瞬、目を見開いたが。すぐにその目を優しく細めると
「はい、優華さん。どうか、いつまでもお元気で」
と、微笑みながら風に流されるように消えていった。
僕はしばらくの間、そこに立ったまま動けなかった。
「誰かいるんですか?」
おばあさんの声にはっとして慌てて出ていき
「す、すみません。勝手に入ってしまって」
と謝った。すると、おばあさんは気にも留めていないようににっこり笑い、
「いいんですよ。それより、今ここに、何かいませんでした? 何か、懐かしいものに会ったような気がしたんですよ。おや…?」
おばあさんは足もとの何かを拾い上げたかと思うと驚いた顔と同時に少し悲しい顔になり、その何かを大切そうに手で包みこんだ。
「どうしたんですか?」
「ふふ。笑わないでくださいね。今ここに、昔一緒に住んでいた鳥が来たような気がしたの。」
そう言って差し出した物に僕は驚きを隠しきれなかった。
「銀っていう名前なんだけど、こんな風に真っ白な羽をしていたわ」
おばあさんが差し出した物は真っ白な、とても綺麗な羽だった。
「いました」
「え?」
僕は、つい本当のことを言ってしまった。でも、そのあと、後悔なんてしなかった。なんとなく、この人になら分かってもらえる気がしたんだ。
「いましたよ。とても、綺麗な、綺麗な、鳥でした。おばあさんのことをとても心配してましたけど、今おばあさんが元気にこうして生きている所を見て安心していました」
おばあさんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐ穏やかな顔になり、
「そうですか」
と言った。
僕と白檀はその後おばあさんと別れ、川岸を歩いていた。
「そういえば結局帰してもらうことになっちゃったね。なんか、ごめん。約束とは違っちゃったね。…白檀?」
返事が無く振り返ると、そこに白檀はいなかった。
「…白檀?…そっか、もう帰ったのか…そりゃそうだよね。あそこが家なんだから」
僕は心の中で「ありがとう」とつぶやき、家へと足を向けた。
なんだか、今日会ったばかりなのに、白檀はそこにいるのが当たり前な感じになって、隣を通り過ぎる風が妙に冷たく感じた。
「ただいま~…ん?おばあちゃん?」
ベランダの方で声がしたような気がして行ってみると、そこには祖母と一匹の大きく太っている猫がいた。
「ああ、おかえり。なんかこの猫が庭に来ていてねえ。人懐っこくてねえ。今、昨日の刺身の残りをあげてたんだよ」
「へえ~。野良猫?」
「かもねえ。ああもうこんな時間かい。私は夕飯の準備をするからその子と遊んでなさい」
そういうと祖母は台所へと消えていった。
「なかなかの美味だったよ」
「え?」
声がして後ろを振り向くも気のせいかと思い顔を戻そうとすると
「おいおい。無視とはひどいな」
と半分あきれ口調がの声が背中越しに聞こえてきた。
「え!?」
しかし後ろには大きなデブ猫しかいない。
「私だ私。もう忘れたのか?」
猫は口を開きはっきりと言った。
「うわ!化け猫!?」
「あほか! 白檀だ!」
「…はい? え~!?」
思わず叫び後ろに尻もちをついてしまった。
「今日一日お前と過ごしてみてなかなか楽しかったからな。あそこにいるのも飽きてきたところだったんだ」
平然とつらつらいうこのデブ猫に僕はただひきつった顔で見つめていた。
「というわけで、今日からよろしく頼むぞ」
さあ、明日から何かが始まりそうだ。