1-4:拒否権がなかった
出産のときの痛みを男が経験すると、男は死ぬらしい。つまり、男は女性よりも痛みに対する耐性がないということだ。
痛みでショック死なんて笑えねェ。
▽▲▽▲▽▲
『お主の名は何と言うのだ?』
唐突にドラゴンが訊ねたのは、黒乃の名前であった。「どうしてそんなこと聞くんだ?」と黒乃が問うと、ドラゴンは『何、ワシの力を受け継ぐ者の名を聞いておきたいだけだ』と答えた。
「いや、継ぐ気ないけど……黒乃だ。古住黒乃」
『クロノか。聞かない名だが、良い名を貰ったな』
継ぐ気がないという黒乃の言葉と名字については見事にスルーだった。だが、名前を褒められたのは嬉しいので、「ありがとう」とだけ返した。
「アンタは?」
『ワシか? ワシはな、フェムト・タナニス・エンディアだ』
「へえ、かっこいい名前だな」
『だろう? 自慢の名じゃ』
ドラゴンの表情なんてわかるものではないが、黒乃にはドラゴンがドヤ顔をしているように見えた。
ドラゴンの名前に、黒乃は少し考える。"エンディア"は"終わりをもらたす者"みたいな感じなのだろう。いかにも、ドラゴンっぽいというか、何というか。強そうな名前だ。
『では、いくぞ』
黒乃がちょっと考え込んでいる間に、全てを託す術は発動準備を終え、フェムトの一言で発動した。
「ちょ、ま! がぁッ……!!」
誰もやるなんて言ってないのに!
全身の筋肉が太さが変わっていないにも拘わらず、ドラゴン並の筋力に造り変えられる。その言い様のない不快感が全身を襲う。
一番酷いのは頭だ。フェムトの記憶が黒乃の脳内をぐちゃぐちゃにし、頭は割れるように痛む。膨大な量、密度のフェムトの記憶が、黒乃の意識を押し流し、自分が誰なのかわからなくなる。が、何かが、黒乃の人格がフェムトの記憶に流されないよう守ってくれていた。
だが、黒乃はその何かに気付く余裕もなく、表記することのできないような音を喉から絞り出す。
尋常じゃない痛みに耐える黒乃の手は、爪が頭皮に食い込む程力が入り、涙や鼻水や涎で顔はぐちゃぐちゃになっている。地に膝をつき、頭を抱え込むようにしたとき、よりいっそう強い痛みが黒乃を襲う。
プツン、とテレビの電源が切れるように、黒乃の意識は途切れた。ピタリと動くのを止めた黒乃の身体を支える者は誰もおらず、黒乃は地面に崩れ落ちる。
▲▽
パチリと黒乃の目が開く。気絶してうつ伏せに倒れていた黒乃は、暫し、ぼーっとしていた。
「俺は……一体……」
そう呟いたところで、全てを思い出した。
バッと勢いよく立ち上がり、辺りの状況を確認する。
「フェムト……」
ドラゴンの身体は、そのままの状態であった。だが、先程までの威圧感、輝きはそこになかった。
『起きたようだな』
「フェムト!」
黒乃の脳内に響くのは、確かにフェムトの声である。しかし、目の前の"脱け殻"に生の気配はない。
『そちらではないぞ』
可笑しそうな声音でフェムトの声は言った。まるで見えているようだ。
『ワシは今や残骸のようなものだ。魂は完全にお主へと取り込まれた故にな』
「じゃあ、今話してるお前は何なんだよ」
『ワシの精神じゃよ。言ったであろう? お主がどう生きていくか、お主の中で見ると。精神まで完全に取り込まれては、見ることもできん』
「ふーん」
自分で聞いておきながら興味無さ気な返事をする黒乃を気にすることなく、フェムトは続ける。
『同化はかなり痛かったようじゃな』
「そうだよ! マジで死んだと思ったんだからな!」
『すまん。それほどとは思わなんだ。じゃが、それがお前の最後に感じる痛みであろう』
「はぁ?」
『ワシの力をそのまま受け継いでおるからの。皮膚は龍鱗の硬さと同じに、体力も筋力も魔力も凄まじく上昇しておる筈じゃ。まあ、本気を出せば、拳一つでそこいらの魔物を挽き肉に、魔法一撃でこの森より広範囲の土地を焦土にできるくらいじゃな』
開いた口が塞がらないというのは、こんな感じなのだろう。黒乃の口は阿呆のようにポカンと開いている。
「いくら何でも、ヤバいだろ……この力はよ」
『じゃろ? これが龍王の力よ』
威張るな。
「で、何で俺の中で黙って見てねェんだよ」
えげつない力のインパクトに流されてしまいそうだったが、黒乃はまだフェムトが話しかけてきた本来の目的を聞いていない。
『おぉ、そうじゃった。いずれ気付くとは思うが、お主の記憶から採用した機能が幾つかあるのでな、説明しておこうと思ったのじゃよ』
「機能?」
『うむ。先ずは"メニュー"とか言うやつじゃ。まあ、使い方はお主の方がよくわかっとるじゃろうから、更に追加した機能を説明しよう』
こいつ、ゲームやった時の記憶見やがったな。
『わざとではない。赦せ』
「心を読むな!」
『仕方ないじゃろう。ワシとお主は今、一心同体なんじゃから』
フェムトが言っていることが正しいために、黒乃はこれ以上文句が言えない。少しぶすくれながら、続きを促した。
『先ずは、"メニュー"と言ってみよ』
「……メニュー」
フェムトはむくれる黒乃を完全にスルーした。黒乃は更にいじけるが、話しが進まないのもアレなので、渋々――ファンタジーみたいだとか思ってワクワクなんかしてないんだから――といった感じで言った。メニューはすぐに黒乃の目の前に現れた。誰もが想像するようなありふれたメニュー画面だった。
『慣れれば言わずともできるようになる。この"メニュー"のことはお主の方がよくわかっとるじゃろうから、弄くったところだけ言うぞ。
先ずは、氏名欄じゃ。ここはお主の名前が表示される。加えて、念じれば名前を変えられるようになっておる。
変えるならば変えるがよい。身分証を作る際に、魔法で読み取られる。"メニュー"で変えておけば、身分証には反映されん』
「やっぱ、身分証とかは必要だよなー」
『ここはお主の世界よりも戸籍がちゃんとしておらん。正式な身分証を作っておけば、後はどうとでもなる』
クロノ・フルス
黒乃の名前が、見覚えのない言語で表示してある。これが読めるということは、フェムトは言葉の知識を入れてくれたのだろう。
今更ながら黒乃は、「ここは異世界なんだ」と強く認識した。
黒乃は目を閉じて念じる。不思議とメニューは、目を閉じても見ることもができた。
音もなく、名前は変更される。
『"クロノ・タナニス・エンディア"か……嬉しいことをしてくれる』
「俺とお前は一心同体、なんだろ?」
『うむ。まさしく、な』
黒乃は名字を、家族との繋がりを、元の世界を捨てた。そして、この世界で"クロノ"として生きていくと無意識のうちに決断した。
どのみち、ドラゴンの力を受け継いだのであっては、元の世界で普通になど暮らしていけない。
「で、次は?」
『氏名欄の下、種族名欄を見よ』
渡人
『"渡人"とは異界から来た者を指す。古の勇者なども渡人だったようじゃ。ここも念じれば、変えられる。そうじゃな、"人族"としておくがよい』
「人間以外になった覚えはねェよ」
ただし、ドラゴンの力を受け継ぎ、脳内でドラゴンの精神と同居するなどのことについて、クロノはカウントしていない。着実に普通の人間からは離れていっている。
『その下は称号欄じゃな』
龍王
『言わずともわかるな?』
旅人
「こうだろ?」
『それが無難じゃの。で、その下がレベルじゃ』
1000
「ん?」
目の錯覚か? とクロノは目を擦る。
『おぉ、上がっておる』
「って、高すぎだろ!! おい!」
クロノがプレイしたことのあるゲームは、ほとんどがLv.99もしくはLv.100が上限であった。今表示してあるレベルが正しいのであれば、カンストを通り越して一桁多い。
Lv.90代がいいとこだろうと思っていたクロノは、余計に驚いた。
『ワシがLv.999。恐らくお主がLv.1だったんじゃろう。足して1000じゃな』
流石龍王。お見逸れしました。
『なんせ、世界一じゃったからの』
威張るn……
「なんだって……?」
世界一、だと……?
『この世界ではな、龍種だけがLv.900代まで到達しておる。つまり、龍種は最強の種族で、世界最強の種族ので最も強い龍王は世界最強の個体というわけじゃ』
「で、今はLv.1000の俺が世界最強って訳か」
『よく、わかっておるではないか』
フェムトは愉快だと笑う。頭の中で笑い声が響くというのは、何と言うか、この上なくムカつく。
『まあ、これも変えておいた方がよかろう』
「言われなくても変える。人間のだいたいのレベルは?」
『国お抱えの騎士が100から350程、冒険者が一桁から300程、人間最強が400程、一般人は一桁。旅人なら弱くて45、強くて80程だな』
「じゃ、60くらいにしとくか」
1000の文字が音もなく溶けて消え、61という文字が浮かび上がる。
『それが妥当じゃろうな。次は"アイテムボックス"じゃ。これはかなり便利じゃのう。クロノ、とても広い部屋にワシの身体を入れるイメージをしてみろ』
「ん? あぁ」
クロノがイメージすると、フェムトの脱け殻は地面に吸い込まれるように消えた。
「おぉ……!」
『アイテムボックスの中身はメニューから確認できる。これの容量はワシも知らん』
クロノがメニューを見ると、アイテムボックスという欄が増えていた。念じて選択すると、中身の一覧表がでてきた。
龍の死骸:一体
すごく、生々しい……です。
「で、後は?」
『後は森を抜ける道中話すとしよう。あぁ、クロノ』
「あ?」
『人前でワシと話す時は、頭の中で話すのだぞ。一人で話しておっては、頭のおかしい人間になってしまう故な』
「それくらい、わかってるよ! 馬鹿にしとんのか!?」
ゲラゲラと頭の中で笑う声。いくらイラついても、実体が無ければ殴ることもできない。握りしめた拳の行き場がなかった。
▽▲
「魔王が生まれた」
クロノが目覚めたのと同刻、奇しくも、二人の女が同じ言葉を放った。
▽▲
「あぁ゛っ……!」
「巫女様!? いかがなさったのですか?」
荘厳な雰囲気が充満する一室で、祈りを捧げていた巫女と呼ばれた女が悲痛な声をあげる。
「巫女様! 目が!!」
巫女の目は閉ざされていたが、瞼の奥からはドロリと濃い血が溢れ出している。
「すぐに治療を……!」
「いいの、です……それより、も……きいて……くだ、さ、い……まおう、が……たったい、ま……たんじょう、しました……」
「それは……!」
「すさまじ、い……ちからを……もって、います……まおうの、こうどう……が、ほんかく、か……すれ、ば……せかい、が……あぶな、いの……です」
「では」
「わたくし、の……かわり……は、いくにん……も……い、ます……どうか、さいやく……の……まおう、の……たんじょう……を、つたえ…………」
「巫女様? 巫女様!」
神官服の男の腕に抱えられ、巫女は息絶えた。
巫女の眼球は眼孔の中で握り潰されたようになっていたという。が、巫女の脳がかき混ぜられたようにぐちゃぐちゃになっていたことは、誰にもわからなかった。
▽▲
「今……」
「あぁ、わかっている」
十数本の蝋燭に灯る小さな炎が大きく揺らいだ。仄かな灯で淡く照らされた室内に、彼女達はいた。
長方形のテーブルには6つ席があり、5人の人間が座っている。5人は、いずれも肌が青かった。
「魔王様の誕生だ」
上座にいる男が言った。
「見えたか?」
「いえ……高位の魔法で隠れていらっしゃるわ。見たら死ぬ」
右側の女が閉じていた目を開いた。女を見ていた男に落胆の色はない。
「たった今御生まれになった魔王様は、恐らく歴代最強でしょう」
「なれば、我らの悲願も成されると?」
「魔王様が我らの側についてくださるのなら」
肌の青い人間達が、喜びにざわめく。
「お迎えに行かねばなるまい」
すっぽりとローブを被った小さな男が嗄れた声で言った。ざわめきはピタリと止んだ。
「私が行きましょう」
上座の男が立ち上がる。
「他には」
「私も行きます」
右側の女が静かに言った。
「では、主らに任せる」
「必ずや魔王様を我らが王に」
「我らが悲願のために」
▽▲
『そう簡単に見せると思うたか』
「何か言ったか?」
『いや、考えが洩れたのであろう』
暗い森を黒乃は猛スピードで駆け抜ける。黒乃が地を蹴る度に地面は抉れる。かれこれ五分程走っている黒乃は、もう気にする素振りもなかった。
「そうか? まあ、いいけど……」
何時になりゃ、この森を抜けられんだよ。
森はまだまだ続いている。