挿話『メイドと少年』
家に帰ると、父と母が待っていた。
私の奉公先が決まった、らしい。
12歳で奉公に上がるというのは周りを見ても少し早い。
奉公に出て礼儀作法を学んだ後、すぐさま結納へと直結する上流階級ならまだしも、うちはお世辞にもそういったものとは縁遠い。
だが、今回は先方たっての願いだそうだ。
なんでも、そこのご子息が産まれながらに体を動かすことが出来ず、それ故話し相手となる者が必要であるということ。
なるべく歳の近い人材が求められたが、新生児に幼児を充てがったところでどうとなるものでもなく。かと言って大人ではいけないということらしい。
そのご子息の主治医?が言うには
『まぁ大人は私で間に合っているし、子供の精神を保ち育成するのが目的であるからやはり子供が適任だろう。しかしなかなかショッキングな見た目をしているから肝が座っている子がいいね。子育ての経験もあれば言うことはない。職場が山奥になるからある程度山や森に慣れた子がいいね。いないかね?そんな子供は』
とのことらしい。
ずいぶんな無理難題に聞こえるが…というか無理難題以外の何物でもないが、同時になるほど私にその話が回ってくるわけだ。とも思った。
私の家はこの一帯を治める領主のお膝元で代々続く猟師の一族である。
その歴史は古く、領家とのつながりも深い。というのは、その一族、アンダルシィ家は代々弓の技を誇っており、その声は遠い王国まで響くほどであった。
そして私の家も代々、アンダルシィ家に弓、――主に狩猟の技術、を手ほどきする役目を授かっていた。
私が物心ついた頃にも、そちらの一番末のご息女が我が家に花嫁修業にやって来ていた。
花嫁修業に弓を收めるというのは今思えば随分な話であるが、それがアンダルシィ家の伝統であり、私の家が代々途切れることなく続いていける理由でもあるので、歓迎すべきことだろう。
そういった事情もあり、私の家は他の猟師を営む家に比べ、ずいぶんと裕福で家名を名乗ることも許されている。
その代わり家を存続させられることも同時に求められるので、我が家は長男である弟が産まれるまでに私を含め3人の女子を抱えることとなった。
長女である私は物心ついた頃から幼い妹達の世話を任され、同時に修行に来る領家の方に失礼のないよう、幼いうちから一般的な礼儀作法を叩きこまれた。
更には父から弓の手ほどきまで受けていたのだから、他の家の子供達と比べて不満を感じなかったことがないわけではない。
その所為か、件のご息女が修行しにいらっしゃった際には、相手が年上ということもありずいぶんと甘えてしまい、父母の肝をたいそう冷やしたのだが。
そんなわけで、私は子供であり、礼儀作法をある程度修め、子育ての経験もある。見事に前述の条件を満たしているといえた。
山や森に慣れた― などは問題外であろう。なぜなら帰宅したばかりの私の腰には、先ほど仕留めて血抜きしたばかりの獲物がぶら下がっている。
そして極めつけが奉公先の名前。
『フリーザン家』
おひい様おひい様、と後をついてくる私に嫌な顔ひとつせず、まるで本当の妹のように可愛がって下さったファクシリア様がお嫁ぎになられた家である。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
屋敷に着くなりすぐさま旦那様とおひい様、もとい奥様の元へ連れて行かれた。
旦那様は私を一目見ると
「息子をよろしく頼む」
とおっしゃった。
ヤマネズクよりも黒い肌に大きな躯。見つめられビクッと射竦められた私にかけられたお声は、予想以上に穏やかで優しいものだった。
奥様は私に「久しぶりですね。ジータ。大きくなったわね」と微笑んでくださったが、記憶にあったおひい様と目の前の奥様のあまりの違いに、思わず言葉を失ってしまった。
あの綺麗で美しかった白い御髪は輝きを失い、目元は赤く腫れ上がって、肌はゾッとするほど青白くなっていた。
「あの子を…リヴィロを頼むわね…私が…あの子を」
そう言ってお顔を伏せられた奥様に、どう声をかけていいか解らずに居ると、横から場違いなほどに平坦な声がかかった。
「全く…自分を責めるなと先程もバルドの奴に言われたばかりだろう…あぁ、君。君がジータ嬢かね。私かい?私の名はタブロ。ちょっとは名のしれた魔術師だよ。これから君が行く職場の本来の持ち主だ。よろしく頼むよ?さぁ顔見せも済んだ、早速仕事の説明をさせてもらおう。ついてきたまえ」
何も言えないでいる私に構いもせずタブロ様はそうまくしたて、私の手を引いて部屋を出てしまった。
奥様をあのままにしていいのかと問うと
「あれかい?あんなものはいくら言ったところで時間の無駄さ。それに彼女を慰めるのは君の仕事ではない。もちろん私の仕事でもない。バルドの仕事だ」
それはあんまりではないかと食って掛かろうとした私にかぶせてタブロ様はこれから私が向かう先と私に課せられた仕事を話し始めた。
私の仕事はこのフリーザン家の長子であるリヴィロ様の食事の世話兼、話し相手であること。
リヴィロ様は産まれながらにお身体に重い障害を持ち、首から下が動かない状態にあること。
また、現在その治療のためこの屋敷から離れた山頂の小屋にお住いになられているということ。
その小屋は本来はタブロ様の研究室兼自宅であり、そこを占拠されて非常に迷惑しているということ。
後半、というかほとんどが愚痴に費やされ、山小屋に着いてもそれはとどまることを知らなかった。
ここまで来ると私もこの人がずいぶんと変わった人であるということを理解していたので、というか迂闊に相槌を打とうものならその話題が延々と続いてしまうので、黙ってタブロ様の後を着いていった。
山小屋のドアを開けると、すぐ下に続く階段があり、その先にリヴィロ様が居るという。
私は階段前の部屋でメイド服に着替えさせられると椀に入った液体を渡された。
「これが坊の食事になる。回数は1日に1回。昼ごろに与えてやってくれ。他のものは一切厳禁だ。ちなみにここは坊の所為でずいぶんと手狭になってしまっているからね。寝泊まり及び食事は下の屋敷で行ってくれ。それでは、私はやることがあるのでね。後はよろしく頼むよ」
そう言って私を階段に促すと、自分はさっさと山を降りて行ってしまった。
途方に暮れたが、いつまでもこうしているわけには行かないので、階段を降りる。椀の中身をこぼさぬようゆっくりと慎重に。
光苔で覆われた石段の先に鉄の扉が見える。この先にリヴィロ様が居るのだろう。私は奥様の泣き顔を思い出し、気合を入れると、鉄扉をぐっと開いた。
「だれ…たぶろ?」
扉をくぐった私の目に飛び込んできたものは私の身長より大きな石の「箱」だった。声はその箱の上から聞こえる。
「…だれ?」
「申し遅れました、私本日よりリヴィロ様のお世話をさせていただきます、ジータ・ウィステンウッドと申します。」
「じーたさん?」
「どうぞジータとお呼びください」
…
会話はそれで途切れてしまった。無言が石で覆われた部屋を支配していく。
冷たい石で覆われた部屋。
窓は遥か頭上に小さく一つ。
こんなところに2歳の子供が1人で居る。
12を越えたばかりの私にすらはっきりと分かるその異常性に私はただ圧倒されていた。
「…ぐすっ」
均衡を破ったのは石の箱の向こうから聞こえるぐずり声だった。
「…だれ?…どこ?…たぶろ!たぶろ!」
気づけばぐずりは大きな泣き声となっていた。はっとした私は周りを見回す。
部屋の隅にある椅子を引きずって、箱の前に置くと、足をかけた。
ぐっと体を乗り出そうとした時、家で聞いたフレーズが頭のなかをよぎる。
『ショッキングな見た目をしているからね…肝の座った子がいい』
それが目の前の光景なのか、この箱の上に居るであろう子供の姿を指しているのか。
椅子にかけた足が恐れとともに震えるが、頭上から聞こえる泣き声はもはや悲痛な叫びとなって私の耳を打つ。
小さな子にこんな声を上げさせてはいけない。
実家に残してきた幼い弟達を思い出し、意を決して箱の縁を掴み体を持ち上げた。
「あっ…」
旦那様のような深い青毛に、奥様譲りであろう白毛――彼らの種族では「星」とよばれている。が、天窓からわずかに溢れる陽の光を受けてキラキラと輝いている。
「はじめまして…ジータと、申します」
そうつぶやいた私をその黒い瞳で見つめ、彼、リヴィロ様は涙をこぼしたままニッコリと笑った。
これが私、ジータ・ウィステンウッドとリヴィロ様の初めての出会いである。




